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礼拝説教 (2017年10月8日)

 

 ヨハネによる福音書説教58       主の2017108

 

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

 

わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足します」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なせ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父がその業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

 

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行なう業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

 

            ヨハネによる福音書第第14114

 

 

 

 説教題:「主イエス、迎えの用意」

 

 今朝から、ヨハネによる福音書の14章を学びましょう。114節の御言葉を数回に分けて学びたいと思っています。

 

 

 

 前回は、主イエスが弟子のペトロの離反を予告されたことを学びました。

 

学ぶと共に、わたしたちもペトロと同じであることを自己吟味させられ、主の晩餐の食卓へと招かれました。

 

 

 

 そこで次のような主イエスの御言葉を、わたしたちはペトロと共に聞きました。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」(1336)

 

 

 

ペトロは、この後、大祭司の中庭の裁判で三度主イエスを否定します。確かに今主イエスについて行くことができませんでした。しかし、ペトロの罪を主は十字架に担われ、そして、復活し、そして、彼に聖霊をお与えくださり、ペテロを生まれ変わらせてくださいました。だから、ペトロは復活の主イエスにもう一度召されて、主イエスの羊たちを飼う者とされました。

 

 

 

わたしたちも同じだと、思うのです。こうして礼拝で主の御言葉である説教を聞いていても、今主について行くことはできません。

 

 

 

初めて教会の礼拝に来て、初めて説教を聞いた時のことを思い起こしてみてください。

 

 

 

わたしが初めて宝塚教会の礼拝に出ました時、説教と、その後で聖餐式がありました。説教もその後の聖餐式も、わたしは何も理解できませんでした。

 

 

 

だから、礼拝が終わると安心して、教会を去ろうとしました。その時に宝塚教会の一人の姉妹が声をかけてくださいました。「足立さん、次も来てくださいね」と。わたしは、「はい」と答えました。それから42年間、教会で礼拝を続けています。

 

 

 

主イエスがペトロに、そして、ペトロを通してわたしにも約束された通りに、主イエスは復活し、天に帰られ、父と共に聖霊をお与えくださいました。聖霊が礼拝での説教を通して、わたしを信仰によって主イエスに結びつけてくださり、ペトロのように主イエスの御後について行くことができるようにしてくださったのです。

 

 

 

大学を卒業する時に、田舎に帰れば、長男ですし、キリスト教は家でも地域でも受け入れられないのでは、と思い、どうしようかと悩みました。その時にわたしは主イエスに一つのことを祈りました。「主よ、あなたからわたしを引き離さないでください」と。

 

 

 

今朝、主イエスは、11弟子たちに「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」と約束されていますが、それは真実です。主イエスはわたしが主の御名によって願ったことを、わたしが伝道者になるという形でかないえてくださいました。

 

 

 

さて、1417章は、主イエスが11弟子たちに最後の晩餐で語られた御言葉であります。榊原康夫牧師は、「遺言のような大変長い説教集がしるされていて」と言われています。

 

 

 

遺言にしては、「心を騒がせるな」という言葉は穏やかではありません。141節の「心を騒がせるな」は、現在形の命令文です。

 

 

 

主イエスは11弟子たちに彼らの心が動揺することを禁じられました。

 

 

 

弟子たちが心を動揺させたのは当然であると思います。主イエスがペトロの離反を予告されたからです。そして、主イエスが11弟子たちに「今あなたがたはわたしの行く所について来ることはできない」とはっきりと断言されたからです。

 

 

 

だから、最後の晩餐の食事は、11弟子たちの心の動揺で満たされました。

 

 

 

実は最後の晩餐は夜の闇を背景とし、主イエスと11弟子たちだけが光の中にいるのです。

 

 

 

主イエスは、裏切り者のユダが夜の闇の中に去り、裏切りを実行に移した時、11弟子たちにお別れの説教を始められ、ペトロの離反を予告され、11弟子たちが今主イエスにだれもついて行くことができないとはっきり言われました。

 

 

 

それを聞いて11弟子たちの心に大きな動揺が起こりました。

 

 

 

その時に主イエスは、お別れの説教において11弟子たちの近い将来の幸い、あるいは彼らの救いを約束され、反対に彼らへの迫害と艱難の到来を予告されました。

 

 

 

近い将来の幸い、彼らへの救いの約束は、「弁護者」である聖霊の到来の約束です。そのお方が到来され、11弟子たちが主イエスの名によって願うことはすべて神がかなえて下さるのです。彼らは多くの迫害と艱難に苦しむでしょうが、弁護者の到来で彼らは悲しみから喜びに変えられるのです。

 

 

 

以上のことが、主イエスのお別れ説教の要約であります。

 

 

 

さて、この世の闇に取り囲まれ、今彼らは心を動揺させざるを得ません。そして、11弟子たちの中に臨在される主イエスは、彼らに心の動揺を禁じて、御自分と神を信じるようにお命じになり、御自分が父の家に弟子たちを住まわせる用意ができれば、すぐに迎えに来ると約束されました。

 

 

 

このように主イエスが11弟子たちに説教された目的は、御自分のいる所に弟子たちを共におらせるためであったと、ヨハネによる福音書はわたしたち読者に伝えているのです。

 

 

 

最後の晩餐にいる11弟子たちの今は、彼らの目に見えない迫害、艱難が迫っている時でありました。11弟子の一人ペトロが主イエスに「あなたのためなら、自分の命を捨ててもよい」と言ったのは、彼が単に自分を誇示したかったのではなく、迫りくる不安を感じていた面もあるでしょう。

 

 

 

主イエスはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言う」と予告され。それを聞きました11弟子たちに大きな衝撃が走りました。一体どんな大きな艱難が彼らに襲ってくるのだろうかと、彼らは心穏やかにいることができませんでした。

 

 

 

しかし、11弟子たちの目の前に、主イエスがおられます。だから、主イエスは11弟子たちが今迫害と艱難を目前にして、心を動揺させないようにお命じになり、御自分と神を信じるようにお命じになりました。

 

 

 

主イエスの命令の背後には、主イエスとサタンとの対決があります。既にサタンは裏切り者のユダの心を支配し、主イエスを裏切る行動に導きました。そして、これからサタンは、ユダヤ人の官憲を用いて主イエスを捕らえ、主イエスを処刑にしようとします。それに11弟子たちは対抗できません。

 

 

 

だから、主イエスは、今、11弟子たちにサタンと、この世を覆う闇と対決されている主イエスと父なる神に信頼して、心を動揺させないようにしなさいとお命じになられたのです。

 

 

 

そこで主イエスは、11弟子たちに心を騒がせなくてよい理由を、次のように23節で言われています。

 

 

 

父なる神の家は、多くの神の民が滞在できる場所があります。神の家は、一つの建物のことではありません。無限に広い場所のことです。無数の建物や庭を含んでいるのが神の家であります。

 

 

 

神の家に許されて滞在する場所が、主イエスが言われている「住む所」であり、「あなたがたのために場所を用意」することです。

 

 

 

要するに主イエスは、神の家には住む所がたくさんあり、11弟子たちのために場所を用意すると話されたのは、主イエスが11弟子たちのために永遠の滞在を保証する所を用意するという意味です。

 

 

 

本当に多くの主イエスの弟子たちが、世界中からキリスト者たちが集まってくる場所です。神がいます永遠の場所であります。そこに主イエスは。11弟子たちが永遠に滞在できる場所を用意するために、この世を去られるのだと言われているのです。

 

 

 

そして、11弟子たちや世界中のキリスト者たちを神の家に住まわすために、主イエスは再臨すると約束されています。「戻って来て、あなたがたを迎える」とはキリストの再臨のことです。

 

 

 

2節後半の「もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろう」という主イエスの御言葉は、すでに神の家には十分に11弟子たちやキリスト者たちが滞在できる場所が十分に備えられており、安心してよいのだと言う意味であります。

 

 

 

今主イエスは11弟子たちに御自身が昇天して、彼らのためにその場所を用意し、そして再臨の時に迎えに来ると約束されました。

 

 

 

使徒パウロは、フィリピの信徒への手紙320節で次のようにキリスト者の本国は天にあり、そこから救い主キリストがこの世のわたしたちを救いに来てくださると述べています。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」

 

 

 

この世、この地上の世界は、わたしたちキリスト者が永遠に住まう所ではありません。主イエスがおられるところが、わたしたちキリスト者の住まう所であり、本国なのです。

 

 

 

そのところを、主イエスは昇天によって用意してくださっているし、そこがキリスト者たちの本国です。

 

 

 

その喜びの本質は、インマヌエルであります。主我らと共にあるということです。

 

 

 

11弟子たちにも、そしてわたしたちにも、今朝の主イエスが御言葉で約束してくださったのは、主イエスは、心を騒がせず主イエスと神に信頼している者と共にいるということです。

 

 

 

わたしたちがこの世で生きていても、死んでも、主イエスを信じる11弟子たちとわたしたちキリスト者は、常に、そして永遠に主イエスと共にいるのです。これが、ヨハネによる福音書がわたしたち読者に提供します永遠の命であります。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

 イエス・キリストの父なる神よ、今朝は主イエスが11弟子たちに心を騒がせず信仰を持てと励まし、彼らに神の家に住まう場所を用意してくださり、再び迎えに来ると約束してくださったことを学ぶことができて感謝します。

 

 

 

わたしたちは、今朝の主イエスの御言葉を信じます。どうか11弟子たちだけでなく、すべてのキリスト者たちに御国の住まいを用意してくださって、再臨の時に迎えに来てくださるとのお約束をお与えくださり感謝します。

 

 

 

願わくは、常に主と共におらせ、生きる時も死ぬ時も、主と共にあるという喜びに、わたしたちを満たしてください。

 

 

 

どうかわたしたちが世の人々に、わたしたちの本国が天にあり、そこから再臨のキリストが救いに来られる喜びを伝えることができるようにしてください。

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。 

 

 

 

10月1日 礼拝説教
ヨハネによる福音書 第13章 36~38節
170930_001_02.MP3
MP3 オーディオファイル 34.5 MB

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