2017年ペンテコステ礼拝説教     201764

 

 

 

その後

 

わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。

 

あなたたちの息子や娘は預言し

 

老人は夢を見、若者は幻を見る。

 

その日、わたしは

 

奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。

 

天と地に、しるしを示す。

 

それは、血と火と煙の柱である。

 

主の日、大いなる恐るべき日が来る前に

 

太陽は闇に、月は血に変わる。

 

しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。

 

主が言われたように

 

シオンの山、エルサレムには逃れ場があり

 

主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

 

            ヨエル書第315

 

 

 

 説教題「聖霊降臨

 

 ペンテコステ、おめでとうございます。

 

 

 

 新約聖書の使徒言行録第2章に聖霊降臨の出来事が鮮やかに記されています。ペンテコステの祭の最中にエルサレムの都のある家で、120名の主イエスの弟子たちが集まり、熱心に祈っていました時、そこに聖霊が降臨されました。

 

 

 

使徒言行録は、その出来事を次のように表現しています。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」たと。「炎のような舌」とは聖霊のことです。聖霊が120名の主イエスの弟子たちひとりひとりの上にとどまられました(使徒言行録23)。すると、120名の主イエスの弟子たちは聖霊に満たされて、聖霊が導くままに他国の様々な言葉を口にして、預言しました。

 

 

 

 使徒言行録は、更に次の出来事を付け加えて記しています。聖霊降臨の出来事は、家全体に響き渡るものであったと。その大きな音を聞いて、エルサレムの都でペンテコステの祭を祝っていた大勢の人々が集まりました。彼らはいろんな国々からエルサレムの都に巡礼で詣でていました。そして彼らは自分たちの国の言葉で120名の主イエスの弟子たちが「神の偉大な業を語る」のを聞いて驚きました。

 

 

 

 これがわたしたちの教会の誕生物語です。

 

 

 

 ペンテコステの出来事を通して、エルサレム教会が生まれ、エルサレム教会から全世界に向けてキリスト教の宣教が始まりました。

 

 

 

 今朝は、旧約聖書のヨエル書からペンテコステの出来事の喜びを学びましょう。

 

 

 

ヨエル書は、旧約聖書の中の一つの書物です。小さな預言書です。旧約聖書の中には、小さな預言書が12あるので、「十二預言書」と呼ばれています。

 

 

 

普通預言書には、預言者が活躍した時代やその時の王の名が記されています。ところが、ヨエル書には、預言者の名と彼に主の言葉が臨んだことしか記されていません。

 

 

 

ですから、ヨエル書を読むだけでは、ヨエルがいつごろの預言者か、はっきりしません。ハガイ書、マラキ書等の、他の預言書を読むことで、次のように推測できるのです。彼は紀元前6世紀、バビロン捕囚後に活躍したと。

 

 

 

 さて、ヨエル書は小さな書物で、全部で4章しかなく、その内容は第1部と第2部に分かれています。

 

 

 

1部は1章から217節までです。「嘆きと悔い改めの訴え」です。嘆きとは、イナゴの大きな被害です。主なる神は、預言者ヨエルを通して、神の民に災いを告げられました。イナゴの大群が飛来し、農作物を食い荒らし、国の食糧がなくなると。それは、主の日が来るしるしでした。

 

 

 

主の日とは、主なる神が神の民と諸国民を裁かれる日です。

 

 

 

主なる神は預言者ヨエルを通して、神の民たちに彼らの罪を嘆き、悔い改めて、主なる神に立ち帰るように訴えられました。

 

 

 

 第2部は218節から4章までです。神の民は主なる神の訴えに応えて、立ち帰りました。そして彼らは主なる神に祈りと嘆願をしました。それに対して主なる神が預言者ヨエルを通して答えられたのが、この第2部です。

 

 

 

主なる神は、預言者ヨエルを通してユダとエルサレムの解放を、すなわち「主の名を呼ぶ者」に対する新しい命と救いを約束されました。

 

 

 

 今朝のヨエル書315節の御言葉は、主なる神が預言者ヨエルを通して、未来における神の御救いの出来事を明らかにされました。旧約聖書で「救い」とは、主なる神が神の民イスラエルと共にいてくださることです。預言者イザヤが一言で「インマヌエル」と預言しています、神の現臨です。

 

 

 

 主なる神は預言者ヨエルを通して、この神の民の救いである「神の現臨」をどのように未来に実現するかを、幻、すなわち、黙示という方法で表されました。それが、今朝の御言葉のヨエル書315節の御言葉です。

 

 

 

 1節の「その後」とは、主なる神が大きな転換をされた後という意味です。主なる神は、神の民にイナゴの大群の被害で、主の日を示されました。すなわち、主なる神は神の民と諸国民を裁くと告げられ、神の民に罪を悔い改め、主なる神に立ち帰るように訴えられました。

 

 

 

神の民は、主なる神の訴えを聞き入れ、主なる神に立ち帰りました。そこで主なる神は裁きから平和へと大きく転換されました。この場合の「平和」とは神が神の民を救われることです。主なる神が神の民と和解し、彼らと共にいてくださることで、神の民との平和を実現されました。

 

 

 

 そこで主なる神は預言者ヨエルを通して、次のように言われています。1節で「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。」、2節で「その日、わたしは奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」と。

 

 

 

主なる神は預言者ヨエルを通して、神の民に「霊を注ぐ」と語られることで、裁きから平和に大きく転換されました。

 

 

 

すべての人にわが霊を注ぐ」「奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ」ことによって、主なる神がバビロンで捕囚されている神の民たちの内にとどまられ、彼らと共にいてくださいます。

 

 

 

「わが霊」「霊」とは、聖霊なる神です。主なる神は神の民に約束してくださいました。聖霊を通して主なる神は神の民の内にいると、バビロンで捕囚され、奴隷とされた男女の神の民と共にいると。

 

 

 

そして主なる神が聖霊を通して彼らのうちに現臨されるしるしが、「あなたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る」ということでした。

 

 

 

ここで主なる神が預言者ヨエルを通して語られている真実は、聖霊をいただく者の祝福です。人生経験のない息子であろうと娘であろうと、バビロンで男女の奴隷であろうと、老人であろうと若者であろうと、聖霊をいただく者は神の御言葉を語り、神の御救いの啓示を受け取り、人々に伝えることができるのです。

 

 

 

それは、まさしくペンテコステの日に聖霊が降られたエルサレム教会の預言ではないでしょうか。

 

 

 

やがて34節で記されています主の日がやって来るのです。主なる神が神の民とすべての諸国民を裁かれる終末が来ます。

 

 

 

「天と地に」とは、全宇宙でしょう。神が創造された「天と地に」、すなわち、この世界にこの世の終わりの予兆が示されます。

 

 

 

「血と火と煙の柱」とは戦争をイメージしています。

 

 

 

「太陽が闇に、月が血に変わる」とは、天体に起こる大異変をイメージしています。

 

 

 

主の日のイメージは、「大いなる恐るべき日」です。主なる神が神の民と諸国民を裁かれる恐ろしい日です。戦争と宇宙の大異変がその日を予兆しているのです。

 

 

 

しかし、主なる神は預言者ヨエルを通して、5節で「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。」と、主の御名を呼ぶ者たちの救いを約束されました。

 

 

 

「主の御名を呼ぶ者」とは、主なる神を礼拝する者のことです。創世記128節でアブラハムが「主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ」と記しています。神を礼拝したのです。

 

 

 

新約聖書のローマの信徒への手紙1013節で、使徒パウロが主イエスを心で信じて、口で告白する者は救われると述べて、この御言葉を引用しています。そして、使徒パウロは続けて、14節以下で次のように述べています。「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』と書いてあるとおりです。」

 

 

 

主なる神が聖霊を注がれ、息子、娘たちがエルサレムの神殿で説教をし、その礼拝に集まる者たちがそれを聞いて、主の御名を信じます。そして主の御名を信じて、主を礼拝する者たちを皆、主なる神は主の日に救ってくださいます。

 

 

 

預言者ヨエルの時代は、主なる神はエルサレムの都にあるエルサレム神殿に現臨されました。だから「シオンの山、エルサレムに神の救いがある」のです。

 

 

 

そして、主なる神の救いに、「残りの者」もあずかることができます。この「残りの者」とは主なる神が選ばれた者たちであり、神が世界の諸国民の中から選ばれたわたしたち異邦人キリスト者たちのことです。

 

 

 

預言者ヨエルの預言は、確かに使徒言行録の第2章のペンテコステの出来事で実現しました。主イエスは教会に、そしてすべてのキリスト者に聖霊をお遣わしになりました。そして、聖霊をいただく者は、すべて預言者、祭司です。預言者として人々に神の言葉を語り、祭司として人々をキリストに執り成すことができます。

 

 

 

とりわけ、今年は宗教改革500周年の年です。

 

 

 

宗教改革以後、聖書が万人に手渡され、すべてのキリスト者は聖霊をいただき、万人祭司とされたと確信し、この世の中でキリストの福音を伝え、神との和解の務めを、日々の生活の中でなしています。

 

 

 

わたしたちは、今から共に聖餐式にもあずかります。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一1126節の聖餐式の式辞で、このように述べています。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」

 

 

 

罪と死からわたしたちを救うことの御力を持つ復活の主イエス・キリストが、この聖餐式の主人です。復活の主イエス・キリストは、わたしたちの目には見えません。しかし、聖霊と御言葉を通して、この場にいてくださいます。だから、説教と同じです。目に見えないキリストを信じる信仰が、必要でありますし、その信仰は聖霊をいただかなければ、わたしたちの賜物とはなり得ません。信仰によって、わたしたちは裂かれたパンを通して十字架の上でわたしたちの罪のために体を裂かれたキリストを、そして杯に注がれたぶどう酒を通して流されたキリストの血を思い起こします。そしてわたしたちは信じます。キリストの十字架の死がわたしたちの罪のためであることを、そして、キリストの復活がわたしの永遠の命の保証であると。

 

 

 

今朝のペンテコステの日に、わたしたちが信じなければならないことは、今ここに復活の主イエス・キリストが、わたしたちと共に、この教会にいてくださっているということです。聖霊を通して復活のキリストが今ここにいてくださるので、わたしたちは今日も十字架のキリストのゆえにキリスト者としての存在を許され、ペンテコステ礼拝で主を礼拝し、聖餐にあずかることを許されていると信じています。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

イエス・キリストの父なる神よ、ペンテコステの日に主を礼拝し、御言葉と聖餐の恵みにあずかれる祝福を心より感謝します。

 

 

 

復活の主イエス・キリストは天に昇られ、地上の教会とわたしたちキリスト者に聖霊をお与えくださり、心より感謝します。

 

 

 

願わくは、預言者ヨエルが預言しました主の日はなお未来であります。キリストの再臨を待ち望みつつ、毎週の日曜日に主を礼拝し、御言葉を聞き続けさせてください。

 

 

 

わたしたちは、聖霊をいただいています。預言者ヨエルが預言した預言者であり祭司です。家族や地域の人々に、友人たちに預言をし、キリストの執り成すことを許されています。この世の終わりが来ないうちに、ひとりでも多くの方々にキリストの福音を伝えさせてください。

 

 

 

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。