ウェストミンスター信仰告白01    主の2017829

 

 

 

聖書箇所:ローマの信徒への手紙第10817(新約聖書P288289)

 

 

 

 『ウェストミンスター信仰告白』 第1章「聖書について」

 

一 自然の光および創造と摂理のみわざは、人間を弁解できないものとするほどに、神の善と知恵と力とを表わすとはいえ、しかしそれらは、救いに必要な神とそのみ旨についての知識を与えるには十分でない。従って主は、いろいろな時に、いろいろな方法で、ご自身の教会に対してご自分を啓示し、み旨を宣言し、また後には、その真理を一層よく保存し広げるためと、教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して一層確立し慰めるために、その同じ真理を全部文書に委ねることをよしとされた。これが、聖書を最も必要なものとしているのであって、神がその民にみ旨を啓示された昔の方法は、今では停止されている。

 

 

 

 今夜から、『ウェストミンスター信仰告白』を学びましょう。

 

 

 

テキストは、日本基督改革派教会大会出版委員会編の翻訳を用いる。しかし、近年、『ウェストミンスター信仰告白』の本文批評を踏まえた、より優れた翻訳が出版されている。松谷好明訳『ウェストミンスター信仰規準』(一麦出版社)2001年に、村川満・袴田康裕共訳『ウェストミンスター信仰告白』が2009年に出版された。松谷訳は、1937年にS・w・カラッザーズが成した画期的なウェストミンスター信仰告白の本文批評の書を底本にし、村川・袴田共訳はその9年後カラッザーズの本文批評の書(1946年版)を底本にしている。

 

 

 

ウェストミンスター会議(16431649)に参加した牧師、神学者たちによって生み出された信仰規準の文書であり、163回の定例会議で『ウェストミンスター信仰告白』『ウェストミンスター大教理問答』『ウェストミンスター小教理問答』が作成された。

 

 

 

この信仰規準の文書はイングランドでは定着しなかったが、スコットランド長老教会を通して、アメリカ、カナダ、オーストラリアの長老教会の信仰規準となり、日本キリスト改革派教会と日本長老教会も信仰規準としている。

 

 

 

ウ小教理が教会の礼拝(信仰告白)と学び(教会学校)でよく用いられている。ウ大教理はほとんど用いられていない。教会的、教理的、神学的に重要なのは、ウェストミンスター信仰告白である。信仰の宣言は、ウェストミンスター信仰告白に基づき、それが現代の教会において足りない所を補うものである。だから、信仰の宣言はウェストミンスター信仰告白を学ばないと実りある成果を得られないのである。

 

 

 

改革派教会は、「日本基督改革派教会 宣言」(通称:日本基督改革派教会創立宣言)の「日本基督改革派教会信仰規準の前文」で、聖書が教会の唯一の無謬の経典であり、それが信仰告白されて、教会の信仰規準となり、古来の信仰告白、そして宗教改革以後の諸信条の真理の体系として最も完備せるものと確信すると表明している。

 

 

 

改革派教会は、自らの信条を祈り求めているが、それはウ信条を廃するためではない。ウ信条に加えて、我ら日本の改革派教会の信条を生み出すことを祈り求めている。そのためには繰り返し、改革派教会の各個教会が、そして、改革派教会のすべての信徒がウェストミンスター信仰告白を愛し、その学びに熱心になることを、今求められている。

 

 

 

故矢内昭二先生は、「ウ告白をよく勉強している人は、新信条を作らねばという思いになります」と言われています(『矢内昭二 遺稿集』P28)

 

 

 

今、教派が祈り求めている新信条作成がとん挫している。それは、教派の危機である。今、わたしたちはウェストミンスター信仰告白との対話を欠かし、ウェストミンスター信仰告白への教派的関心を失い、それゆえに信仰の宣言への熱心が冷めているのではないか。

 

 

 

だからこそ今、各個教会でウェストミンスター信仰告白への学びが求められているのである。よく勉強する人が求められている。その人は改革派教会の「新信条の作成」というビジョンに生きる者となるのである。

 

 

 

そうした者が増えることで、日本キリスト改革派教会はこの異教の地日本で健全な教会形成をなせるであり、この日本で教派形成する意義がある。

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白02    主の201796

 

 

 

聖書箇所:ローマの信徒への手紙第11821(新約聖書P274)

 

 

 

 『ウェストミンスター信仰告白』 第1章「聖書について」

 

一 自然の光および創造と摂理のみわざは、人間を弁解できないものとするほどに、神の善と知恵と力とを表わすとはいえ、しかしそれらは、救いに必要な神とそのみ旨についての知識を与えるには十分でない。従って主は、いろいろな時に、いろいろな方法で、ご自身の教会に対してご自分を啓示し、み旨を宣言し、また後には、その真理を一層よく保存し広げるためと、教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して一層確立し慰めるために、その同じ真理を全部文書に委ねることをよしとされた。これが、聖書を最も必要なものとしているのであって、神がその民にみ旨を啓示された昔の方法は、今では停止されている。

 

 

 

 今夜から、『ウェストミンスター信仰告白』の「第1章 聖書について」の1節より逐次学びましょう。

 

 

 

ウ告白(ウェストミンスター信仰告白の略)は、1節で神知識の源泉(神啓示)を二つ述べている。一般啓示(自然啓示)と特別啓示である。

 

 

 

改革派神学の主要な主題の一つは「認識」というカテゴリーである。カテゴリーとは、「判断が成り立つために従わなければならない思考(悟性)の形式である」(カント)。すなわち、神は啓示するお方であり、人間はそれを認識する者である。カルヴァンは『キリスト教綱要』において、神を「創造主」(『キリスト教綱要』第1)と「贖い主」(『キリスト教綱要』第2)という二重の神認識を述べている。

 

 

 

カルヴァンは、『綱要』(『キリスト教綱要』の略)の第131節で次のように述べている。「人間精神の内に、自然的衝動ともいうべき神的なものへの感覚が具わっていることを、我々は議論の余地なきものとして確認する。」。これが、ウ告白「第1章 聖書について」の1節冒頭の「自然の光(「本性の光」松谷訳、「自然本性の光」村川・袴田訳)である。

 

 

 

創造主は、人間を御自身の形(似姿)に創造された(1:2627)。だから、『綱要』第13章で表題が「神についての知識は人間精神の内に生来入れられている」と付されている。

 

 

 

創造と摂理のみわざ」は、創造主がこの世界を創造し、保持し、自然と歴史を摂理(統治)されていることである。カルヴァンは、創造主の創造と摂理の御業を「第1の秩序」と名付け、神の贖いの御業を「第2の秩序」と名付けている。そして、その両者の関係を述べている(『綱要』第1618)

 

 

 

カルヴァンの啓示論の出発点は、「神の超越性」、「主権性」、「無比性」である。この神(創造主)が人間を御自身の形に男と女に創造されたのである。それをカルヴァンは「順応というへりくだり」と述べている。神が御自身を人間の能力に順応させられたことである。このゆえに人間は神の啓示を理解できるのである。

 

 

 

ウ告白は、神の啓示を「一般啓示」と「特別啓示」に分けている。そして、ウ告白は一般啓示を「自然の光」と創造主の「創造と摂理のみ業」に分けている。すなわち、創造主なる神は、御自身を「人間精神の内に」「御自身が創造し、摂理されている被造世界の内に」現わされているのである。

 

 

 

しかし、ウ告白は一般啓示(自然啓示)の不十分性を指摘し、「人間を弁解できないものとするほどに、神の善と知恵と力とを表わすとはいえ、しかしそれらは、救いに必要な神とそのみ旨についての知識を与えるには十分でない」と述べている。

 

 

 

一般啓示は、すべての人間が言い逃れできないほどに、「神の善と知恵と力とを表わすとはいえ」(ローマ1:19)、「しかしそれらは、救いに必要な神とそのみ旨についての知識を与えるには十分でない」からである。

 

 

 

救いに必要な神」とは、贖い主なる神である。「そのみ旨についての知識」とは「その意志を知る知識」(鈴木英昭訳)である。一般啓示は、我々に贖い主なる神とその神の意志を知る知識を与えることはできないのである。

 

 

 

それゆえに特別啓示が我々の救いのために必要なのである。

 

 

ウェストミンスター信仰告白03    主の2017913

 

 

 

聖書箇所:ヘブライ人への手紙第114(新約聖書P401)

 

 

 

一 従って主は、いろいろな時に、いろいろな方法で、ご自身の教会に対してご自分を啓示し、み旨を宣言し、また後には、その真理を一層よく保存し広げるためと、教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して一層確立し慰めるために、その同じ真理を全部文書に委ねることをよしとされた。これが、聖書を最も必要なものとしているのであって、神がその民にみ旨を啓示された昔の方法は、今では停止されている。

 

 

 

 今夜は、特別啓示とそれの文書化(聖書)を学びましょう。

 

 

 

前回は、一般啓示(自然啓示)の不十分性を学びました。ウ告白は、自然啓示(一般啓示)が「救いに必要な神とそのみ旨についての知識を与えるには十分でない。」と告白している。神は人間本性と被造世界を通して、御自身の存在と善と知恵と力をすべての人間に啓示されたが、自然啓示で、御自身が贖い主であり、どのように罪人を救われるかを知らされてはいないのである。

 

 

 

従って主は、いろいろな時に、いろいろな方法で、ご自身の教会に対してご自分を啓示し、み旨を宣言し、また後には、その真理を一層よく保存し広げるためと、教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して一層確立し慰めるために、その同じ真理を全部文書に委ねることをよしとされた。これが、聖書を最も必要なものとしている

 

 

 

だから、わたしたちが神を贖い主として知り、神が人をどのように救われるかを知るためには、特別啓示とその文書化である聖書が必要である。

 

 

 

 特別啓示について、ヘブライ人への手紙112節で次のように記している。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この世の終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。

 

 

 

神の特別啓示は、歴史において、言葉(言葉による解釈も含めて)を通してなされた。ヘブライ人への手紙は、その中心を御子キリストであると証ししている(ヘブライ1:)。歴史の中で御子キリスト(言であるキリスト)が受肉され、キリストの言葉と行為の両方において啓示されたのである。

 

 

 

いろいろな時」は歴史である。アブラハム、モーセ、ダビデ、サムエル、エリアとエリシャ、イザヤなど記述預言者を通して。夢幻、出来事(奇跡等)、預言を通して、神の特別啓示がなされた。そして、「この世の終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。

 

 

 

いろいろな方法で」とは、「聖書啓示という啓示方法」(矢内昭二『ウェストミンスター信仰告白講解』P23)のことです。啓示の文書化のことである。

 

 

 

ご自身の教会に」とは、旧約時代は神の民イスラエルであり、新約時代はキリスト教会である。

 

 

 

ご自分を啓示し、み旨を宣言し、」とは、神の民イスラエルには「エロヒーム()」「エルシャダイ(全能者)」「わたしはあるという者」「アドナイ()」として、神は御自身を啓示され、神の民を救われました(出エジプトの出来事)。新約の神の民には、キリストにおいて神を、父なる神、子なるキリスト、聖霊という三位一体の神として御自身を啓示され、そして、キリストの十字架と復活によって神の御救いを遂行されたのである。

 

 

 

旧約時代の預言者たちの預言は神の御言葉でしたが、御子キリストは人間の形を取られた(受肉された)神の言葉でした(ヨハネ1:1418,ヘブライ1:2)

 

 

 

後には、その真理を一層よく保存し広げるためと、教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して一層確立し慰めるために、その同じ真理を全部文書に委ねることをよしとされた。

 

 

 

文書化された聖書の目的である。聖書啓示(真理)の保存と普及、神の民に腐敗の阻止と悪魔と世の敵からの慰めのためである。

 

 

 

神がその民にみ旨を啓示された昔の方法は、今では停止されている。」聖書自体が神の十全な特別啓示であり、聖書の完成で、特別啓示は停止した。

 

 

ウェストミンスター信仰告白04    主の2017920

 

 

 

聖書箇所:ヘブライ人への手紙第114(新約聖書P401)

 

 

 

「日本キリスト改革派教会 信仰の宣言 一、聖書について」

 

 

 

(一、    聖書について) 

 

 

 

 超自然啓示の契約的構造

 

 「父・子・聖霊なる神は、見えるもの見えないものも、天地のすべての者を創造し、また人間を神のかたちに創造して、これと命の契約を結ばれた。それは、人間が神をあがめ、神に仕え、神に寄り頼み、神との交わりのうちに生きるためであった。しかし、人間は、禁じられた木の実を食べる日には死ななければならない、と明らかに威嚇された神の戒めに背いて、堕落した。

 

 救拯的内容

 

 神は、人間が堕落した後、再びアダムを求め、その名を呼び、その罪を責め、有罪の宣告をし、しかも女のすえは蛇のかしらを砕くとの喜ばしい約束、すなわち、彼は悪魔のわざを打ち砕くであろうとの約束を与えられた。

 

 統一性

 

 この約束は、たびたび繰り返され、次第に明らかにされた。すなわち、アダムからノアへ、ノアからアブラハムへ、アブラハムからモーセへ、モーセからダビデへ、そして、ついにキリストの受肉に至るまで、信仰の父祖たち皆、キリスト・イエスの日を望み見て喜びにあふれたのである。

 

 多様性

 

 神は、アダムからキリスト・イエスの到来までのあらゆる時代に、その教会を保ち、導き、増し加え、教会にみ言葉を与えて死より命に呼び返された。すなわち、神はアブラハムを選んでカルデヤのウルから召し出し、彼とその子孫に契約を与え、そのすえを増し加え、エジプトにおいて一つの民族となるに至るまで養われた。

 

 神は、その契約を覚えてイスラエルを顧み、モーセを用いて彼らをエジプトにおける奴隷状態とパロの圧政とから救い出し、彼らと契約を結んで、律法と制度と儀式とを授けられた。

 

 神はまた、彼らにカナンの地を継がせ、ダビデを王として立て、彼と契約を結んで、そのすえより永遠に王座に着く者が出ることを約束された。また、シオンを選んで、その神殿における礼拝と讃美とを受けることをよしとされた。

 

 この王国が偶像礼拝に傾いた時、神は次々と預言者を送って御自身へと呼び戻されたが、彼らがその呼びかけをかたくなに拒んだため、あえて彼らをバビロンの手に委ねられた。こうして、聖都はこぼたれ、宮は焼かれ、国は失われるに至った。

 

 しかし神は、恵みによって残れる者を世界史の激動の中で支え、彼らの受難の体験を用い、預言者と知恵と黙示によって、約束の救い主を、受難のしもべ・神の知恵・栄光の人の子・契約の使者として待望させられた。

 

 人格的言キリスト

 

 時満ちて、神はその御独り子を世に遣わされた。神の人格的み言葉そのものであるキリストは、御自身の受肉と公生涯、十字架と復活とによって神のみ旨をこの世に充分に啓示し、こうしてすべての預言と啓示に終わりを告げられた。

 

 聖書

 

 復活の主イエス・キリストの昇天と、代りの助け主聖霊の派遣、キリストのからだ・聖霊の宮である教会の建設に伴い、キリストの福音は、使徒たちの宣教を通して全世界に宣べ伝えられ、キリストを証言する神のみ言葉である聖書は完結し、教会に委ねられた。

 

 聖書と教会

 

 真理の柱・真理の基礎である教会は、委ねられたキリストのみ言葉を宣べ伝えつつ、主の再び来られるのを待ち望む。

 

 新啓示の否定

 

 従って、主イエス・キリストのえいこうある再臨の時まで、いかなる新しい啓示も、もはやあり得ない。

 

 

 

 今夜は、『日本キリスト改革派教会宣言集』の「四十周年記念宣言」の「一、聖書について」の信仰の宣言、「一」の平行記事を抜粋し記載した。

 

 

 

 日本キリスト改革派教会は、「日本基督改革派教会 宣言」(創立宣言)で、「我等ノ言葉ヲ以テ更ニ優レタルモノヲ作成スル日ヲ祈リ求ムル」と宣言した(1946428)。「信仰の宣言 一聖書について」は新信条作成への第一歩であった。ウ告白本文と併記されて、信仰の宣言が記載されている。

 

 

 

が神の十全な特別啓示であり、聖書の完成で、特別啓示は停止した。

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白05    主の2017927

 

 

 

聖書箇所:創世記第21517(旧約聖書P3)

 

 

 

「日本キリスト改革派教会 信仰の宣言 一、聖書について」

 

 

 

 (一節)

 

 

 

 「日本改革派教会 信仰の宣言 一.聖書について」は、『ウェストミンスター信仰告白』(略して、ウ告白)の「第一章聖書について」の本文と併記されている。

 

 

 

 ウ告白の「聖書について」の一節は「聖書の必要性」である。

 

 

 

既にウ告白本文で、自然啓示(人間本性と創造と摂理の神の御業)はわたしたちの救いにとって不十分であることを学んだ。そして、「救いに必要な神とそのみ旨についての知識を与える」特別啓示が必要であり、それを文書化したのが聖書であることを学んだのである。

 

 

 

 信仰の宣言の「一.聖書について」の一節の併記は、ウ告白の本文の「どうして聖書が必要であるか」を、「特別啓示」をさらに詳細に述べ、その中心がイエス・キリストであることを明らかにして、聖書が救済史であることを明確にしているのである。

 

 

 

 そのために信仰の宣言は、聖書の救いの構造を明らかにしている。「超自然啓示の契約的構造」である。「超自然啓示」は、「特別啓示」ことであり、それを文書化した聖書のことである。聖書は、「契約的構造」を持っている。

 

 

 

 三位一体の神は被造世界と人を創造し、人と命の契約を結ばれた(創世記2:1617)。命の契約は、人が神を崇め、神に仕え、神に寄り頼み、神との交わりのうちに生きるためであった。

 

 

 

ウ信条は、命の契約を、業の契約と恵みの契約に分けている。神はアダムと業の契約を結び、「善悪を知る木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と宣言された。

 

 

 

 人は、命の契約である業の契約を破って、罪を犯し、堕落したのである。だから、超自然的啓示である特別啓示(救いに必要な神とそのみ旨ついての知識)が必要となったのである。

 

 

 

 原福音である。「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」(創世記3:15)。ここから特別啓示の歴史、すなわち、救済史の歴史が始まるのである。

 

 

 

 原福音の神の約束は、アダムからノアへ、ノアからアブラハムへ、アブラハムからモーセへ、モーセからダビデへ、ダビデからキリストの受肉に至るのである。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖たちに語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」(ヘブライ1:12)

 

 

 

 特別啓示(救済史である聖書)の中心は、イエス・キリストである。旧約聖書と新約聖書は、共にキリストを証ししている。そして、キリストを証しする特別啓示は、聖書として文書化され、教会に委ねられているのである。そして、キリストを証しする聖書は、特別啓示の完結であり、以後特別啓示は停止されたのである。キリスト再臨の時まで新しい啓示はないのである。

 

 

 

 だから、「救いに必要な神とそのみ旨についての知識」を得るために、聖書が絶対に必要なのである。

 

 

 

 信仰の宣言は、ウ告白の本文の「その同じ真理を全部文書に委ねることをよしとされた」の「その同じ真理を」を、「その同じことを」と訳し直している。前者のように訳すると、聖書は「真理を記録した書」という誤解が生じる。聖書は真理の記録書ではない。神が「いろいろな時に、いろいろな方法で、そのみ旨を宣言された」のが聖書である。神が啓示する行為そのものを、全部文書に委ねられたのが聖書なのである。だから、礼拝で朗読される聖書は今神が啓示されている神の御言葉であり、説教はその説き証しなのである。