ハイデルベルク信仰問答 11           2013320

 

聖書箇所 ヘブライ人への手紙第72328

 

 

 

 問16 なぜその方は、

 

     まことのただしい人間でなければならないのですか。

 

 答   なぜなら、神の義は罪を犯した人間自身が

 

       その罪を償うことを求めていますが、

 

       自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなど

 

       できないからです。

 

 問17 なぜその方は、

 

     同時にまことの神でなければならないのですか。

 

 答   その方が、御自分の神性の力によって、

 

       神の怒りの重荷をその人間性に担われ、

 

       わたしたちのために義と命を獲得し、

 

       再びそれをわたしたちに与えてくださるためです。

 

 問18 それではまことの神であると同時に

 

     まことのただしい人間でもある、

 

     その仲保者とはいったい誰ですか。

 

 答   わたしたちの主イエス・キリストのことです。

 

     この方は、完全な救いと義のために

 

      わたしたちに与えられているお方なのです。

 

 問19 あなたはこのことを何によって知るのですか。

 

 答   聖なる福音によってです。

 

     それを神は自ら、まず楽園で啓示し、

 

       その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、

 

       律法による犠牲や他の儀式を通して予型し

 

       御自身の愛する御子を通してついに成就なさいました。

 

                              

 

 今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問1619と答を学びましょう。ハイデルベルク信仰問答の問12より「第二部 人間の救いについて」に入りました。そして、問1219で「ただ一人の仲保者」である主イエス・キリストについて学びます。

 

先週は、その前半の部分である問1215を学びました。人間の救いのために、仲保者(救い主)が必要であることを学びました。

 

今夜は、後半の部分、問1619において、神と人との唯一の仲保者(救い主)は、誰であるかを学びましょう。

 

ハイデルベルク信仰問答は、わたしたちの救いに焦点を定め、仲保者(救い主)の主イエス・キリストの神性と人性を教えています。

 

仲保者とは、神と人との間、両者を仲介する者のことです。そしてこの仲保者は、わたしたちの救いのために、まことの神であり、まことの人でなければなりません。その方が、主イエス・キリストであることを学びます。

 

そこでハイデルベルク信仰問答の問16は、わたしたちの救いのために、どうして主イエス・キリストは、「まことのただしい人間でなければならないのですか」と問うています。

 

答を見ますと、その理由を二つあげています。第1は、「神の義は罪を犯した人間自身がその罪を償うことを求めています」という理由です。

 

神の義は、人の罪の償いを、罪を犯した人間自身に求めています。ヘブライ人への手紙927節に「人間にはただ一度死ぬことと、その後裁きを受けることが定まっている」とあります。神は、罪を犯した人間に命の償いをお求めです。ですから、仲保者キリストは、ヘブライ人への手紙214節に「子らは、血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました」とあるように、「まことの人」となられたのです。

 

2は、「自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなどできないからです」。罪の償いをお求めの神は聖なるお方であります。ですから、神への償いは罪のない聖なるものでなければなりません。罪に汚れた人が、他の人の命を償って神の義を満足させることは不可能です。そこで仲保者は、「ただしい人」であります。それは道徳的に正しいという意味ではありません。「完全な人」という意味です。「欠けのない」という意味です。仲保者主イエス・キリストは、受肉し、そして地上の生涯において人としての完全をお示しになりました(マタイ548)。父なる神が完全であられるように、御子キリストも人として完全であられたので、わたしたちの命を償うことができるのです(ヘブライ72627)

 

ハイデルベルク信仰問答の問17は、仲保者がどうして「同時にまことの神でなければならないか」を問うています。

 

1は、「その方が、御自身の神性によって、神の怒りの重荷をその人間性に担われ」と答えています。神の怒りと永遠の刑罰を、人が負うことは不可能です。人は、神の怒りと永遠の刑罰に耐えることはできません。だから、父なる神は、御自身の独り子を十字架に引き渡され、わたしたちを救ってくださいました(ヨハネ316)

 

2は、「わたしたちのために義と命とを獲得し、再びそれらをわたしたちに与えてくださるためです」と答えています。義と命を人に与えることができるのは、神のみです。義と命は、ひと言で言えば「救い」です。仲保者キリストは、御自身の神性によって神の怒りと永遠の刑罰に耐え、そして死人から復活し、わたしたちが神に創造された人間の本来の姿に回復するために、義と命をお与えくださいました。

 

18は、まことの神であり、同時にまことの人である仲保者は、誰かと問うています。そして答は、「わたしたちの主イエス・キリストです」と答えています。そして、唯一の仲保者主イエス・キリストがわたしたちに与えられている目的を説明します。「完全な救いと義のために」と。仲保者主イエス・キリストは、父なる神のクリスマスプレゼントとして、わたしたちに与えられました(ヨハネ316)。そして、十字架と復活のキリストによって、神の完全な救いと義が示されました。

 

19は、仲保者主イエス・キリストの完全な救いを、わたしたちがどこで知るのかという問いかけです。答は、「聖なる福音によって」と答えています。福音とは喜びの訪れです。聖書からその喜びを教えられます。聖書は、恵みの契約を通して、わたしたちにその喜びを伝えています。原始福音(創世記315)からノア、アブラハム族長、ダビデ王と預言者たち、そしてエルサレム神殿と動物犠牲を通して救い主が約束され、主イエス・キリストが救いを成就されたという救いの歴史を教えています。

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 12           201343

 

聖書箇所 使徒言行録第103448

 

 

 

 問20 それでは、すべての人が、

 

     アダムを通して堕落したのと同様に、

 

     キリストを通して救われるのですか。

 

 答   いいえ、

 

     まことの信仰によってこの方と結び合わされ、

 

       そのすべての恵みを受け入れる人だけが救われるのです。

 

 問21 まことの信仰とは何ですか。

 

 答   それは、神が御言葉において

 

     わたしたちに啓示されたことのすべてを

 

       わたしが真実であると確信する、

 

       その確かな認識のことだけでなく、

 

       福音を通して聖霊がわたしのうちに起こしてくださる

 

       心からの信頼のことでもあります。

 

     それによって、他の人々のみならずこのわたしにも、

 

       罪の赦しと永遠の義と救いとが神から与えられるのです。

 

     それは全く恵みにより、ただキリストの功績によるものです。

 

                              

 

 今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問2021と答を学びましょう。ハイデルベルク信仰問答の「第二部 人間の救いについて」に入り、問1218においてまことの神であり、まことの人であるわたしたちのただ一人の仲保者、主イエス・キリストを学びました。

 

本来であれば、続いて仲保者である主イエス・キリストの御業について学ぶのが、順序であります。ところが、ハイデルベルク信仰問答は、その前にわたしたちに「まことの信仰」について教えようとしています。わたしたちが教理を学ぶために配慮しているのです。

 

この配慮は聖書に基づいています。ヘブライ人への手紙42節です。そこに福音が告げ知らされたのに、聞いた人々に役に立たなかったことを記しています。福音が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったからです。

 

さて、ハイデルベルク信仰問答の問20と答は、まこの信仰によってキリストに結び合わされ、福音において提供されるすべての恵みを受け入れる者だけが救われることを教えています。

 

すべての人間はアダムの子孫であり、生まれながらにアダムの原罪によって腐敗し、堕落しています。

 

しかし、キリストを通して救われるのは、すべての人間ではありません。ハイデルベルク信仰問答は、次のように信仰告白しています。「まことの信仰によってこの方と結び合わされ、そのすべての恵みを受け入れる人だけが救われるのです」と。

 

ハイデルベルク信仰問答は、わたしたちに次の2重の関係を教えています。わたしたちとアダムとの関係は、生まれることによってつながっています。キリストとわたしたちの関係は、わたしたちが信仰によってキリストに結び付いています。

 

主イエスは、弟子たちに「狭き門より入りなさい」と教えられ、その門から入る者は少ないと言われました(マタイ714)。主イエスは、すべての人を救うと言われません。主イエスを信じ、従う者のみが救われます。また主イエスは、「御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている」(ヨハネ31617)と言われています。使徒パウロも「ユダヤ人は不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています」(ローマ1120)と述べています。主イエスを信じる者だけが、信仰によって主イエスに結ばれて、救われます。

 

ですから、ハイデルベルク信仰問答は、仲保者であり、救い主であるキリストは、信じても信じなくてもすべての人を救ってくださるかという問に「いいえ」と答え、キリストを信じて、キリストに結び付く者のみが救われると教えています。

 

「キリストを通しての救い」は、わたしたちが信仰によってキリストと結合され、神がわたしたちに与えられるすべての恵みを受け入れることによって得られるのです。

 

次にハイデルベルク信仰問答の問21と答は、わたしたちに「まことの信仰とは何か」と問うています。これは信仰を定義しているのではありません。まことの信仰がどんな成り立ち方をしているのかを教えようとしています。すなわち、キリストに結び付く信仰です。わたしたちが何かを信じても、その信仰がわたしたちをキリストに結び付けない信仰は、まことの信仰ではありません。

 

この「まことの信仰」とは、神の御言葉に対するわたしたちの信仰です。聖書において神がわたしたちに啓示された(語られた)すべてのことに対するわたしたちの信仰です。

 

まことの信仰は、聖霊による神の賜物です。その信仰に2種類の性質があります。認識(知ること)と信頼(信頼すること)です。ヘブライ人への手紙111節に信仰を「望んでいる事柄を確信し、見えていない事実を確認することである」と教えています。希望と見えていない事実とは同じです。確信と確認も同じです。わたしにとって希望、見ていない事実を、確実なこと(真実なこと)として認識することが信仰です。信仰とは神とキリストを知ることです。だから、ヨハネによる福音書173節に主イエスは、「永遠の命とは父なる神と御子キリストを知ることである」と教えておられます。

 

さらに信仰に信頼という性質があります。使徒パウロは、アブラハムの神への信頼に対して次のように述べています。「神は約束したことを実現させる力を、お持ちの方だと、確信していたのです」(ローマ421)。神に対する心からの信頼です。

 

次にまことの信仰は、わたしたちがキリストの福音を聞くことから来ます。わたしたちは、毎日曜礼拝の説教を通して福音を聞いています。そして、教会に共にその福音を信じる者がいます。その前提に立って、ハイデルベルク信仰問答は「それによって、他の人々のみならずこのわたしにも、罪の赦しと永遠の義と救いとが神から与えられるのです」と信仰告白しています。

 

わたしも大学の時に宝塚教会に導かれ、他の人々と同様に毎日曜日の礼拝において説教を通してキリストの十字架と復活の福音を聞きました。そして聖霊に導かれて主イエス・キリストをわたしの救い主と信じました。そして洗礼を授けられ、キリストに結び付けられ、罪の赦しと永遠の義と救いを、すなわち、永遠の命の恵みに与りました。

 

最後にハイデルベルク信仰問答は、「それは全く恵みにより、ただキリストの功績によるものです」と信仰告白しています。わたしたちが信仰によって受け取るすべての恵みは、全く神の賜物であり、キリストの功績と関係します。キリストの従順と十字架と復活の御業によって罪の赦しと永遠の義と神のすべての恵みを、わたしたちは与えられました。

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 13           2013410

 

聖書箇所 マタイによる福音書第281820節 

 

ヨハネによる福音書第203031

 

 

 

 問22 それでは、キリスト者が信じるべきことは何ですか。

 

 答   福音においてわたしたちに約束されていることすべてです。

 

     わたしたちの公同的な、確固たるキリスト教信仰箇条が

 

       それを要約して教えています。

 

 問23 それはどのようなものですか。

 

 答   我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

 

     我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

 

       主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、

 

       ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

 

       十字架につけられ、

 

       死にて葬られ、陰府にくだり、

 

       三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、

 

       全能の父なる神の右に座したまえり、

 

       かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。

 

     我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、

 

       罪のゆるし、身体のよみがえり、永遠の命を信ず。

 

問24 これらの箇条はどのように分けられますか。

 

答   三つに分けられます。

 

       第一に、父なる神と、わたしたちの創造について、

 

       第二に、子なる神と、わたしたちの救いについて、

 

       第三に、聖霊なる神と、わたしたちの聖化についてです。

 

 問25 ただ一人の神がおられるだけなのに、

 

     なぜあなたは父、子、聖霊と三通りに呼ぶのですか。

 

 答   それは、神が御自身についてそのように、すなわち、

 

       これら三つの位格が唯一のまことの永遠の神であると、

 

       その御言葉において啓示なさったからです。

 

                              

 

 今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問2225と答を学びましょう。今夜から使徒信条に従って、信仰の内容について学びます(2459)

 

そこでハイデルベルク信仰問答は、問22に「キリスト者が信じるべきことは何ですか」と問うています。それは、すべてのキリスト者が信じる必要のある信仰の内容のことです。

 

ハイデルベルク信仰問答の問22の答は、「福音においてわたしたちに約束されていることすべてです」と答えています。

 

「福音」については、ハイデルベルク信仰問答の問19と答において「聖なる福音」として言及されています。「聖なる福音」とは、神についての良い知らせです。すべてのキリスト者が信じなければならないのは、この神についての良い知らせ(福音)が、わたしたちに語ることです。それは、わたしたちに対する約束として語られました。例えばエデンの園の原始福音(創世記315)、アブラハム(イスラエルの民)の選び(創世記1213)、律法と神殿の祭儀、そして約束のメシアの成就としての主イエス・キリスト(新約聖書)

 

それらを要約して教えているのが、信条です。例えば「わたしたちの公同的な」信条です。それは普遍的信条です。世界のすべての教会が、そしてすべてのキリスト者が信仰告白する「確固たるキリスト教信仰箇条」です。それが使徒信条、ニカイア・コンスタンチノポリス信条、アナタシウス信条等です。

 

ハイデルベルク信仰問答は、問23と答は、使徒信条とそれの本文です。使徒信条が今の形になるのが8世紀です。古ローマ信条に由来し、6世紀に教会の礼拝における典礼に用いられました。特に洗礼志願者の信仰の学びに用いられていました。宗教改革者たちが使徒信条を高く評価し、使徒信条に従って信仰の内容を解説し、カルヴァンはキリスト教綱要を著しました。そしてプロテスタント教会は、礼拝の中で使徒信条を唱和しました。

 

ハイデルベルク信仰問答の問24と答は、使徒信条を3つに区分しています。1項は、次の告白です。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」です。それを、ハイデルベルク信仰問答は、「父なる神と、わたしたちの創造について」という見出しを付けています。

 

2項は次の告白です。「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。」です。ハイデルベルク信仰問答は、「子なる神と、わたしたちの救いについて」という見出しを付けています。

 

3項は、次の告白です。「我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、身体のよみがえり、永遠の命を信ず。」です。ハイデルベルク信仰問答は、「聖霊なる神と、わたしたちの聖化について」という見出しを付けています。

 

ハイデルベルク信仰問答は、その見出しで分かりますように使徒信条に従って、三位一体の神とその神がわたしたちを創造し、救い、聖化される御業について教えようとしています。つまり、わたしたちが三位一体の神と神の御業を学ぶ時に、神とわたしたちを結びつけて、信仰の内容を学ぶように配慮しています。

 

ハイデルベルク信仰問答の問25と答は、キリスト教独自の神理解を教えています。それが問いであります。「ただ一人の神がおられるだけなのに、なぜあなたは父、子、聖霊と三通りに呼ぶのですか。」

 

旧約聖書の申命記64節に「我らの神、主は唯一の主である」とあります。使徒パウロも「唯一の神以外にいかなる神もいない」「唯一の神、父である神がおられ、・・・唯一の主、イエス・キリストがおられ」(Ⅰコリント846)と告白しています。キリスト教は一人の神、主を信仰しています。そして同時に父、子、聖霊という3つの位格を区別します。そして三位一体の神を信じます。これは、キリスト教の特有の神理解です。

 

実は、三位一体という教理は、聖書に表現されていません。ですから、問25の問いがなされています。答は、「それは、神が御自身についてそのように、すなわち、これら三つの位格が唯一のまことの永遠の神であると、その御言葉において啓示なさったからです。」と答えています。要するに神は聖書の御言葉によってこのように啓示されたと言っています。三位一体の神という教理は、聖書の証言であると教えています。マタイ福音書31617節、同281819節、ルカ福音書418節、ヨハネ福音書1426節、同1526節、1コリント1313節、ガラテヤ46節、テトス356節。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 14           2013417

 

聖書箇所 創世記1131

 

 

 

 問26 「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時、

 

     あなたは何を信じているのですか。

 

 答   天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、

 

       それらをその永遠の熟慮と摂理とによって

 

       今も保ち支配しておられる、

 

       わたしたちの主イエス・キリストの永遠の父が、

 

       御子キリストのゆえに、

 

       わたしの神またわたしの父であられる、

 

       ということです。

 

     わたしはこの方により頼んでいるので、

 

       この方が身と魂に必要なもの一切を

 

       わたしに備えてくださること、

 

       また、たとえこの悲しみの谷間へ

 

       いかなる災いを下されたとしても、

 

       それらをわたしのために益としてくださることを、

 

       わたしは疑わないのです。

 

     なぜなら、この方は、

 

       全能の神としてそのことがおできになるばかりか、

 

       真実な父としてそれを望んでもおられるからです。

 

                              

 

 今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問26と答を学びましょう。ハイデルベルク信仰問答の問2628と答は、使徒信条の第1項の信仰の内容について学びます。すなわち、「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」という告白です。この告白について、ハイデルベルク信仰問答は、問24の答に「父なる神と、わたしたちの創造について」という見出しを付けました。主に創造と摂理について学びます。

 

 さて、使徒信条を毎週礼拝の中でわたしたちは、唱えています。「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱えます時、わたしたちは何を信じているのでしょうか。それが、ハイデルベルク信仰問答がわたしたちに問うていることです。

 

答は、問21と答で教えられた「まことの信仰」によって、聖書の御言葉に啓示された父なる神について、何を真実と確信し、どのように信頼しているのかを答えています。

 

 わたしたちが信仰によって真実であると確信していることを次のように告白しています。「天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらをその永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる」。

 

 次に父なる神への信頼を、次のように告白します。「わたしはこの方により頼んでいるので、この方が身と魂に必要なもの一切をわたしに備えてくださること、また、たとえこの悲しみの谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、わたしは疑わないのです。なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。」

 

 ハイデルベルク信仰問答は、使徒信条の第1項を、信仰によって聖書の御言葉に啓示された父なる神を、次のように確かに認識しています。(1)天地万物を無から創造されたお方(創世記12章他)(2)父なる神は、永遠の熟慮(御意志)と摂理によって天地万物を保持し、支配されています(エフェソ111)(3)創造主(父なる神)は、仲保者である御子イエス・キリストのゆえに「わたしの神、またわたしの父であられる」(ヨハネ11112)

 

 ハイデルベルク信仰問答は、創造主であり、摂理の神である「わたしの神、またわたしの父」に次のように信頼していると告白しています。(1)天の父は、無力なわたしたちの「身と魂に必要な一切を」備えてくださいます(マタイ62526)(2)人生の悲しみの谷間にあり、いかなる災いが自分の身に下されても、父なる神は「それらをわたしのために益としてくださることを、わたしは疑わない」(ローマ828)

 

 ハイデルベルク信仰問答は、そこまで父なる神を、わたしたちが信頼できる理由を次のように告白します。「全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。」

 

 (1)父なる神は全能の神です(創世記1814)。主なる神に不可能はありません。そして「真実な父」として意志される以上、必ず父親が愛する子が求めるものを与えるように、必ずそうなるようにしてくださるはずです(マタイ7911)

 

 ハイデルベルク信仰問答は、「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時に、天地万物を無から創造された父なる神の力強い御業に、神の全能を確かに認識しています。そして、神の全能を「わたしたちのために益としてくださる」ものであると心からの信頼を寄せています。

 

 父なる神は、御子キリストの十字架の贖いのゆえにわたしたちの神、またわたしたちの父として、父親がわが子を全力を尽くして養い守るように、わたしたちの益のために全力を尽くして養い守ってくださいます。

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 15           2013424

 

聖書箇所 マタイによる福音書第62534

 

 

 

 問27 神の摂理について、あなたは何を理解していますか。

 

 答   全能かつ現実の、神の御力です。

 

     それによって神は天と地とすべての被造物を、

 

       いわばその御手をもって

 

       今なお保ちまた支配しておられるので、

 

       木の葉も草も、雨もひでりも、豊作の年も不作の年も、

 

       食べ物も飲み物も、健康も病も、富も貧困も、

 

       すべてが偶然によることなく、

 

       父親らしい御手によって

 

       わたしたちにもたらされるのです。

 

 

 

 問28 神の創造と摂理を知ることによって、

 

     わたしたちはどのような恵みを受けますか。

 

 答   わたしたちが逆境においては忍耐強く、

 

       順境においては感謝し、

 

       将来については

 

       わたしたちの真実な父なる神をかたく信じ、

 

       どのような被造物も

 

       この方の愛からわたしたちを引き離すことはないと

 

       確信できるようになる、ということです。

 

     なぜなら、あらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、

 

       御心によらないでは

 

       動くことも動かされることもできないからです。

 

                       

 

 今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問2728と答を学びましょう。

 

ハイデルベルク信仰問答は、わたしたちに問27において、神の摂理をどう理解しているのかと、問うています。

 

 答は、「全能かつ現実の、神の御力です。」この答は、問26の答に「それらをその永遠の熟慮と摂理によって今も保ち支配しておられる」という神の摂理を、わたしたちがどのように理解しているのかという問いであります。

 

 問26の答に神の摂理は、神の「永遠の熟慮と摂理によって」今も行われているとありますように、「全能かつ現実の、神の御力です」。それがハイデルベルク信仰問答の神の節についての理解です。より分かりやすく表現すると、「神の全能の、今働く御力です」。神の全能とは、無から天地万物を創造された神の御力です。その御力を今も働かせて、万物を保持し支配されていることを、神の摂理だと、ハイデルベルク信仰問答は教えています。

 

 そのことを、次のように告白します。「それによって神は天と地とすべての被造物を、いわばその御手をもって今なお保ちまた支配しておられる」と。

 

 神の摂理は、神の御力です。そして、神の御力は、神の決定そのものです。ですから、今行われている神の御意志が神の摂理です。それは、誰の目にも、日常生活の中で見ることができるものです。わたしたちが今目にしている神の御業です。

 

 それゆえハイデルベルク信仰問答は、次のように告白します。「木の葉も草も、雨もひでりも、豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も、健康も病も、富も貧困も、すべてが偶然によることなく」と。今草花が存在し、わたしが見ているのは、摂理を通して神が御自分の御意志を実行しておられるからです。雨も日照りも、世界のすべての存在と出来事を、神が摂理を通して保持し、支配されていますから、わたしたちは今見ているのです。

 

豊年と不作の年も、わたしたちの日々の糧も、健康も病気も、富と貧困もすべては偶然によるのではありません。神の御心によるのです(箴言1633)

 

 ハイデルベルク信仰問答は、神の摂理を、「父親らしい御手によってわたしたちにもたらされるのです」と教えています。神の摂理は、神の父としての愛の配慮であります。親が子を思う親しみの御業であります(マタイ1029)。放蕩息子のたとえ話(ルカ151124)

 

 ハイデルベルク信仰問答の問28は、神の創造と摂理を、わたしたちが知ることによって得られる神の恵みを教えています。信仰によって、わたしたちが神の創造と摂理を知ることによって、わたしたちは実際どのような益を得ているのでしょうか。

 

 第1に忍耐と感謝です。苦難と逆境においては、創造と摂理の父なる神への信頼によって忍耐強さを得ます。平和と順境においては、父なる神をたたえて感謝します。

 

 第2に信頼と確信です。将来何が起こるのか、わたしたちにはわかりません。しかし、この世界とわたしたちを創造された父なる神は、この世界とわたしたちを父が子を思う愛の配慮によって起こるすべてのことを保持し支配されています。だから、わたしたちは真実の父なる神に全幅の信頼を寄せることができます。

 

 また父なる神は、御子キリストの十字架によってわたしたちへの愛を示され(ローマ58)、「この方の愛からわたしたちを引き離すことはないという確信」を与えられています(ローマ839)

 

3に「あらゆる被造物はこの方の御手の中にあります」。この世界と人と、すべての出来事は、父なる神の御意志によって動かされています。ゲツセマネの園で主イエスは、ペトロを励まされて、次のように言われました。「シモン、シモン、サタンがあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ223132)

 

 神の摂理を、「全能かつ現実の、神の御力です」と告白することは、すべての被造物は父なる神の御手の中にあると確信することです。そして、父なる神に、全面的に信頼を寄せて今を生きることです。