今週の礼拝録画 (4月11日)

イースター礼拝説教 (2021年4月4日)

イースター礼拝説教(2021)        202144

 

 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。

「死は勝利に飲み込まれた。

死よ、お前の勝利はどこにあるのか。

死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

        コリントの信徒への手紙一第155058

 

 説教題:「死に打ち勝つキリスト」

 イースター、おめでとうございます。

 

 先週一週間、わたしたちはマルコによる福音書によって、キリストの最後の一週間の御苦しみを瞑想し、過ごしました。

 

 そして、今朝わたしたちは、ここに共に集められ、「主イエスは甦られました。おめでとう」と挨拶をします。なぜなら、主イエス・キリストは、死者の初穂として復活されたからです。キリストが死者の中から復活されたように、わたしたちも死者の中から復活するのです。

 

 死に打ち勝たれたキリストは、将来わたしたちが死に対して勝利し、永遠の命に生きる保証であります。

 

 コリントの信徒への手紙一第155058節の御言葉は、復活によるキリストの死に対する勝利を高らかに歌っています。

 

 使徒パウロは、キリストが遣わされた使徒です。神の民ユダヤ人以外の異邦人たちにキリストの福音を伝えることが彼の使命です。

 

彼の若き日、彼はキリスト教徒を迫害する熱心なユダヤ教徒でした。しかし、彼は回心してキリスト教徒となりました。彼の人生が180度変わりましたのは、復活の主イエス・キリストに出会ったからです。

 

 コリントの信徒への手紙一は、使徒パウロが開拓伝道したコリント教会の信者たちに書き送った手紙です。

 

 彼は、生涯において三度の伝道旅行をしました。小アジア、ギリシアを旅し、異邦人たちにキリストの福音を宣べ伝え、教会を建て上げて行きました。

 

 その一つがコリント教会です。彼は二度目の伝道旅行でコリント市を訪れました。そして福音宣教しました。

 

コリント市は、交通の要所でした。商業の盛んな町でした。ローマ帝国にとって重要な植民都市でした。また大きな神殿があり、千人の神殿売春婦がおりました。不品行で、不道徳な町としても有名でした。

 

 それゆえにコリント教会は、いろんな問題を抱えていました。分派争い、近親相姦という不品行、信者の婦人は未信者の夫との生活に悩んでいたこと、神殿で捧げられた動物の肉が市場で売られ、信者たちはその肉を食べることができるか否かを、言い争っていました。

 

信者の日常の問題だけではありません。キリスト教の教えにとって、キリストの復活は大切な教えです。ところが、信者たちの中で、死人の復活を否定し、キリストの復活を否定する者たちがいました。

 

信じられませんね。キリストの復活を信じるから、わたしたちは死者の中からの復活を信じて、キリスト者になったのです。

 

ところがコリント教会のある信者たちは、死人の復活そのものを否定しました。それは、古代のギリシア人たちの人間観に影響されていたからです。

 

使徒パウロが「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした」(Ⅰコリント1:21)と、この手紙で述べています。

 

ギリシア人たちは、人間の肉体を魂の牢獄と考えていました。彼らにとっての救いは、魂が肉体という牢獄から解放されることでした。だから、彼らは、人間の死後の命を、魂が肉体の牢獄から解放され、不滅であると考えました。

 

それゆえ、復活によって再び肉体を得ることは、魂が再び肉体の牢獄につながれることです。彼らにとって復活はあり得ませんでした。

 

そこで使徒パウロは、この手紙の15章で復活について述べています。

 

彼は、コリント教会の信者たちを、「兄弟たち」「あなたがたは」と呼びかけて復活論議を始めています。そして、また「兄弟たち」「あなたがたは」と呼びかけて、それを閉じています。

 

「兄弟たち」「あなたがた」は、パウロが宣べ伝えたキリストの福音を受け入れ、信じたコリント教会の信者たちです。

 

彼がコリントで異邦人たちにキリストの福音を宣べ伝えましたとき、それを受け入れ、信じた者たちは比較的に貧しい階級に属する者たちでした。彼は彼らを「世の無学な者」「無力な者」「世の無に等しい者」「身分の低い者」「見下げられている者」(Ⅰコリント1:2728)たちと呼んでいます。

 

しかし、この手紙を書き送った現在のコリント教会には貧しい階層の者たちだけではなく、富める知識人たちも加わりました。そして彼らが教会の中で大きな影響力を与えていたでしょう。彼らは、世の知恵によって死人の復活を否定しました。

 

そこでパウロは、15章で復活を述べるにあたり、まず彼自身とコリント教会の兄弟たちが受け入れたキリストの福音としての復活の重要性について語りました。

 

キリスト教会の中ではキリストの復活は、十字架と共に重要な教えでありました。

 

次に彼は、死人の復活を否定すれば、キリストの復活を否定することになると述べています。

 

その結果、コリント教会の宣教は無駄となり、彼らの信仰はむなしくなり、すでに復活を信じて死んでいった信者たちは、罪の中で滅んだこの世で最も惨めな人間になると、彼は述べています。

 

パウロは、さらに彼らに復活の希望を述べました。なぜなら、実際にキリストは死者の中から復活され、死者の復活の初穂となられたからです。アダムの罪によってすべての人が死に、キリストの復活によって主イエスを信じるすべての者が生かされるのです。

 

復活には順序があります。最初にキリスト、そしてキリストの再臨のときに、リストに属する者たち、そして世の終わりにすべての者たちが復活します。

 

さらに、パウロは、死者はどんなふうに復活するのかと、復活の体について述べています。朽ちる体が朽ちない体に復活し、自然の体が霊の体に復活し、地に属する体が天に属する体に復活すると述べています。

 

このように使徒パウロは、当時の信仰告白を用いて、彼がキリストによって遣わされた者であることとキリストの福音の内容がキリストの十字架と復活であることを確認し、キリストの復活に保証された信仰者の体の復活とその将来における現実に焦点を当てて、復活を述べているのです。

 

そして、それによって最後に彼は「兄弟たち」と呼びかけて、キリストの復活による死に対する勝利を高らかに賛美しています。

 

それが今朝の御言葉です。

 

彼の、そして教会が宣べ伝えているキリストの福音を、彼の十字架と復活を受け入れた信者たちは、次のことをよく知るべきです。

 

兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。(50)

 

彼はコリント教会の兄弟たちに、重要なことを言いたいと述べています。それは、生まれながらの自然の体で、死んで朽ちてしまうこの体で、神の国には入れないということです。復活されたキリストの体でなければ、神の国に入ることはできません。復活の体は、わたしたちが神の国に入るために必要です。

 

さらに彼は、わたしたちの復活の体の奥義について、こう述べています。

 

わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります(5153)

 

パウロは、わたしたちの復活の体の奥義、神秘を語ります。すなわち、わたしたちは、必ず死者の中から神によって呼び出されるのです。その時にわたしたちは、死ぬべき体ではなく、永遠に朽ちない復活の体に変えられるのです。着物を着替えるように、変えられるのです。

 

彼は、彼が語る奥義の保証がどこにあるかを述べています。それは聖書に書いてある通りに実現すると。

 

この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。

「死は勝利に飲み込まれた。

死よ、お前の勝利はどこにあるのか。

死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(5455)

 

 死ぬべきわたしたちが復活し、死ぬことのない体に変えられると、聖書はその実現を語っているのです。これが、信仰によってわたしたちが復活について理解すべき重要なことなのです。

 

 復活は、聖書しかわたしたちに教えることはできません。死ぬべき人間が、死から新しい命に復活する、それが実現すると保証してくれるのは、キリストの復活を証言する聖書の御言葉だけであります。

 

 パウロが言う復活の体の奥義は、「聖書に書いてある御言葉にある」のです。

 

 旧約聖書のイザヤ書258節とホセア書1314節にあります。それが「「死は勝利に飲み込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」」です。

 

 この預言者たちの聖書の御言葉は、キリストの十字架の死と復活によって実現したのです。

 

キリストが死んで三日目に復活された。聖書が語りますこの御言葉によって、キリストが死に打ち勝たれたゆえに、もう罪と死はわたしたちに対して力はありません。

 

 今、わたしたちは、死が絶対的力を持っていると思っています。だから、死ぬことは避けられないことです。

 

 ところが聖書は、キリストが復活によって死に勝利された。復活されたキリストの前に無力なものとなった。だから、死よ、お前は人を傷つける棘にもなれない。もうお前は無力なものであると賛美します。

 

パウロは、勝利者キリストによって死に対してわたしたちも勝利者になったことを、神に感謝しようと述べています。

 

 「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。(57)

 

 わたしたちが将来復活し、死に対して勝利できるのは、キリストの復活という出来事を通して神がわたしたちに死に対する勝利をお与えくださったからです。だから、パウロは、神に感謝しようと述べているのです。

 

 そしてこの神への感謝こそが、コリント教会の信者たちが復活信仰という不動の確信をもって、日々の主の御業、すなわち、キリスト者の生活に励める原動力であると述べています。

 

 キリストが復活されたように、死ぬべきわたしたちも、将来復活するのですから、この世における信仰者の苦労は無駄に終わらないのです。

 

 「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(58)

 

 キリストの復活こそ、わたしたちの究極の救い、体の復活と御国における永遠の命の保証であり、この世の困難な中でもキリスト者として生きていく力なのです。

 

 どうかコロナウイルスの災禍の中で、復活のキリストが死に勝利されたゆえに、わたしたちも死を恐れることなく、将来のわたしたちの復活を信じて、歩もうではありませんか。

 

お祈りします。

 

「死は勝利に飲み込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。

 

復活であり、命である主イエス・キリストの父なる神よ、イースターの朝、わたしたちは、今朝この教会に集められ、コリントの信徒への手紙一155058節の御言葉を開くことが許され、心より感謝します。

 

今年もコロナウイルスの災禍が続き、礼拝できない教会もあるかもしれません。どうか、死に勝利された復活の主イエス・キリストの御力に寄り頼み、今の困難な状況にわたしたちが立ち向かえるようにしてください。

 

どうか、共にこの礼拝に集う者たちを、主よ、憐れんでください。世の知恵では復活は理解できません。どうか聖霊がわたしたちの心に働きかけてくださり、聖書が証しする主イエスの復活とわたしたちの復活を信じさせてください。

 

どうか罪と死が支配するこの世から永遠の命へと、御国へと希望に生きることができるように、わたしたちをお導きください。

 

どうかイースターの喜びを、わたしたちの家族、この町の人々に伝えることができるようにしてください。

 

 

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。