ヘブライ人への手紙説教14 2022年5月15日
さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。
同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、
「あなたはわたしの子、
わたしは今日、あなたを産んだ」
と言われた方が、それをお与えになったのです。また、神は他の個所で、
「あなたこそ永遠に、
メルキゼデクと同じような祭司である」
と言われています。キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。
ヘブライ人への手紙第4章14節-第5章10節
説教題:「大胆に御座に近づこう」
ヘブライ人への手紙は、三つの説教から成り立っています。第一の説教は、既に学びました1章1節から4章13節です。ヘブライ人への手紙は、「神の御言葉に聞き従おう」と題して説教しています。
神は、昔多くの預言者を通して語られ、終わりの日、すなわち、わたしたちの時代には神の御子主イエス・キリストを通して語られました。
神の御言葉である神の子キリストは、天使にも、昔のイスラエルの指導者モーセにも勝るお方です。だから、ヘブライ人への手紙は、神の子主イエス・キリストを通して語られる神の御言葉に聞き従おうではないかと説教しました。
このように第一の説教は、神の御言葉がテーマでした。神の御言葉は、神の子主イエス・キリストに始まり、その証人たちである12使徒たちを通して初代教会に伝えられました。
第一の説教は、2章1-4節で救いを軽んじることを警告する短い勧告があり、3章1-4章13節の長い勧告において3章1節で大祭司主イエスを仰ぎ見ることを勧めて、旧約時代の荒れ野のイスラエルのように不信仰に陥ることがなく、約束の神の永遠の安息に入る努力をしようと勧めています。
こうして第一の説教は終わりました。
第4章14節から10章31節までが第二の説教です。説教題を付ければ、「告白を固守し、神の恵みの御座に赴こう」です。
大祭司キリストについては、既に第一の説教に出てきました。2章17節と3章1節です。2章17節と18節でヘブライ人への手紙は、主イエスが「忠実な大祭司」となり、「民の罪を贖うために、兄弟たちと同じように」なられたことを述べて、主イエス御自身が人として試練をうけられたので、この世において試練を受けている者たちを助けることが出来ると述べています。大祭司キリストと彼の苦難について述べています。
そしてヘブライ人への手紙は、手紙の読者たちに3章1節でわたしたちが教会で告白している主イエス、使徒であり大祭司を仰ぎ見なさいと勧めています。
ヘブライ人への手紙は、第二の説教において大祭司キリストについて詳しく説教します。
4章14-16節と10章19-31節の勧告がこの第二の説教の額縁の役割を果たしています。ヘブライ人への手紙は、これらの勧告によって、わたしたち読者に主イエスへの信仰の告白に堅く立ち、神の恵みの御座に近づこうと励ましています。その励ましの中で大祭司キリストの救いが説教されているのです。
ヘブライ人への手紙を最初に受け取りましたのは、ユダヤ教からキリスト教に改宗した信者たちです。ヘブライ人への手紙が4章1節で「だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう」と述べていますように、ある者たちが自分は救いに乗り遅れてしまったと思い、キリスト教会から離れて、ユダヤ教に戻ろうとしていたのです。
ヘブライ人への手紙は、信仰に揺らぎのある弱いキリスト者たちに向けて第二の説教を始めました。4章14-16節は、その説教の序論です。ヘブライ人への手紙は、信仰の励ましでもって第二の説教を始めています。そして、10章19-31節で閉じているのです。
キリストの福音を聞いてイエスは主であると最初に告白したことに忠実であろう。そして共に神の恵みの御座に近づこうと勧めているのです。
この勧告が第二の説教の額縁であり、基調ですので、わたしたちもヘブライ人への手紙をわたしたちに語られた説教として聞き、自分たちが告白したキリストに堅く留まり、そして共に神の恵みの御座に赴こうではありませんか。
さて、ヘブライ人への手紙は、わたしたちに14節でこう語りかけています。「さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。」
古代の人たちは、宇宙を幾つもの天の層に覆われていると考えました。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙二の12章2節でこう述べています。「わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神が御存じです。」
このように使徒パウロの時代のユダヤ人たちは、天が七層も重なり、その上に神の御座があると信じていました。
ヘブライ人への手紙はわたしたち読者に神の御子キリストが神の御座から七層もの天を通り抜けられ、わたしたちの世界にわたしたちの偉大な大祭司として来られたと述べているのです。
ヘブライ人への手紙は、1章3節後半でこう述べていますね。「人々の罪を清められた後、天の高い所おられる大いなる方の右にお着きになりました。」
だから、新共同訳聖書は、「わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから」と訳しています。復活した主イエスが天に昇られ、父なる神の右の座に着かれたとイメージしているのです。
しかし、「通過された」という言葉は、行くという意味ではなく、来るという意味です。だから、聖書協会が新たに聖書翻訳しました聖書協会共同訳聖書は、次のように翻訳しています。「さて、私たちには、もろもろの天を通って来られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、信仰の告白をしっかり保とうではありませんか。」
神の御子主イエスがわたしたちと同様の人となられたことを、ヘブライ人への手紙は述べているのです。
「偉大な大祭司」とは、ユダヤ教の大祭司と区別するためです。主イエスは、神の御子です。そして主イエスはわたしたちの大祭司となるために、天から人の子としてこの世に来て下さいました。
ヘブライ人への手紙は、わたしたち読者に大祭司である神の御子主イエスに対する信仰告白をしっかりと保とうと勧めています。
そしてヘブライ人への手紙は、2章17節での大祭司キリストについて、さらにここでは詳しく述べています。主イエスは、神の御前で憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を宥めるために、あらゆる点でわたしたちと同じ人間となって下さったのです。
大祭司、神の御子主イエスは、わたしたちが生きているこの世界に、わたしたちと同じ人間となり、来られました。そして、人がこの世で経験することを、御自分で経験されました。罪を除いてすべてにおいて、主イエスはわたしたちと同じことを経験されたのです。
初代教会のキリスト者同様に迫害を受けられました。貧しい大工の子として生まれ、貧困を経験されました。父ヨセフを早くなくされ、御自身が一家を支える労苦を担われました。そして、十字架の死によって、人の死の悲しみ、苦しみを経験されました。
だから、大祭司主イエスは、わたしたちの苦しみを傍観している御方ではありません。わたしたちの苦しみの中に入られて、わたしたちの苦しみを御自身の苦しみとして担うことのできるお方です。
このようにわたしたちと全く同じ試練を受け、わたしたちの弱さを十分に知る大祭司主イエスがおられるのです。そして、大祭司主イエスはわたしたちを父なる神に執り成してくださるのです。
だから、わたしたちは、神より恵みを受け、憐れみをいただいています。その証拠にわたしたちは、日常生活の中で試みに遭うことがあります。しかし、私たちが主イエスの御名で「試みに遭わせないでください」と祈ります時に、折に適った助けをいただくことがしばしばです。
わたしたちの日常生活は、いつも思いがけない神の恵みをいただく時があります。しばしば試みに遭いますが、主イエスは逃れの道を備えてくださっています。そして時に応じて助けてくださいます。
わたしたちが、日常での小さな神の助けを覚えます時、神の御子がわたしたちと同じ人となられたことに、喜びと慰めを見出すことが出来るでしょう。
恐れることなく、堂々と神の恵みの御座に赴こうではないかと、ヘブライ人への手紙がわたしたちを励ます言葉に喜び答えたいと思います。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、ヘブライ人への手紙第4章14-16節の御言葉を学ぶ機会を得て、心より感謝します。
わたしたちは、ヘブライ人への手紙の第二の説教を学び始めました。大祭司、神の子キリストがわたしたちと同じ人となられたことを学びました。
主イエスは、罪を除いて。わたしたちと同じ人となってくださいました。わたしたちがこの世に体験する弱さや苦しみを体験されました。最後の苦しみである死も体験されました。その主イエスがわたしたちの大祭司としていてくださることを感謝します。
今も主イエスは生きておられますので、わたしたちは日常生活で試みに遭うときに、折に適って助けをいただき、神の恵みと憐れみを覚えることができます。
どうか、今朝の神の御言葉を聞き、堂々と神の御前に出ることが出来ることを感謝します。
どうか、わたしたちが告白した主イエスに堅く留まり、教会の礼拝に与らせてください。
この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。