今週の礼拝録画 5月9日

主日礼拝説教 (2021年5月9日)

マルコによる福音書説教61              202159

復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけなければならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハム神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いしている。」

                       マルコによる福音書第121827

 

説教題:「生きている者の神」

今朝は、マルコによる福音書の第121827節の御言葉を学びましょう。

 

マルコによる福音書は、主イエスの受難週の三日目、火曜日の出来事を記しています(マルコ11:2013:37)

 

マルコによる福音書は、主イエスがエルサレム神殿の境内でユダヤの指導者たちといろいろなことについて論争されたことを記しています(マルコ11:2712:37)

 

権威について(マルコ11:27-33)、ぶどう園の悪い農夫たちのたとえ(マルコ12:1-12)、ローマ皇帝への納税について(マルコ12:13-17)、これまで学んできました。

 

今朝は、主イエスとサドカイ派の人々との復活についての問答(マルコ12:18-27)を学びましょう。

 

マルコによる福音書は、わたしたち読者にサドカイ派の人々を、次のように紹介します。「復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。(18)と。

 

マルコによる福音書は、サドカイ派の人々の際立った特色が復活を否定することであると述べています。

 

サドカイ派の人々は祭司階級、貴族階級の人々です。彼らは、ファリサイ派の人々のように口伝律法、すなわち、先祖の言い伝えを信じてはいません。復活も天使も悪魔も否定しました。

 

さて、彼らは、主イエスのところに来て、「先生」と呼びかけ、次のように質問をしました。「「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけなければならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」(19-23)

 

サドカイ派の人々は、主イエスやファリサイ派の人々が信じています復活信仰を否定するために、主イエスに次のように質問を始めました。「「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけなければならない』と。

 

サドカイ派の人々は旧約聖書のモーセ五書だけを重んじました。すなわち、旧約聖書の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。この五書だけが、彼らにとって「モーセはわたしたちのために書いています」聖書でした。

 

『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけなければならない』。

 

この聖書の御言葉は、モーセが申命記255節において神の民にレビラト婚について命じた掟です。長男が結婚し、子を設けないで死んだ場合、次男が長男の嫁を妻にし、長男の子を設けなくてはなりませんでした。

 

サドカイ派の人々は、それに従って主イエスに次のように質問しました。もしモーセが命じるレビラト婚に従う場合、復活の時に次のような不都合が生じるのではありませんか、と。

 

ある人に七人の兄弟がおりました。長男がある女性と結婚し、跡継ぎを設けないで死にました。次男は、長男の嫁を妻にしました。しかし彼も跡継ぎを設けないで死にました。こうして三男から七男までその女性を妻にしました。しかし、皆死にました。そして女性も死にました。復活の時、その女性の夫は、七人の兄弟たちの中のだれになるのでしょうか。

 

創世記には主なる神が結婚を一人の男と女に定められています。結婚は本来一夫一婦です。ですから、彼らは、主イエスに復活の時に七人の兄弟たちのだれが、その女性の夫となるのかと質問しました。

 

その質問の意図は復活を否定することでした。彼らは、主イエスにモーセが命じたレビラト婚に従うと、こうした矛盾があるのだから、復活はあり得ないと主張しようとしたのです。

 

ところが、主イエスは、彼らの質問に七人の兄弟たちのだれがその女性の夫なるとお答えになりませんでした。

 

主イエスは、「モーセはわたしたちのために書いています」と、彼らが言っています聖書とその聖書が証しする神の御力について、彼らの無理解を指摘されました。

 

主イエスは、彼らにこう言われました。「「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。

 

主イエスは、彼らに「あなたたちは聖書の目的と聖書が証しする神の御力を知らない」と断言されました。

 

彼らは聖書を、彼らの復活を否定する道具に用いました。聖書の過去の事例を根拠にして、自分たちが復活を否定することが正しいと思っていました。

 

しかし、聖書の目的は罪によって滅びる人間とこの世界に対して、神が新たな命を与え、新しい永遠の関係に入れる神の救いの御力を証しするものです。

 

主イエスは、彼らに復活の時、結婚はないと言われました。復活した人間は天使たちのようになると。

 

主イエスの御言葉は、今のわたしたちには神秘です。そしてこの世と復活した世界は異なるのです。

 

サドカイ派の人々に、主イエスはモーセ五書の中に死者の復活はあると主張され、こう言われています。

 

死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハム神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いしている。(2627)

 

主イエスは、彼らに復活の事実を、「モーセの書の『柴』の箇所」で証明しようとされています。

 

出エジプト記の3章です。主なる神がモーセを召し出される物語があります。羊飼いをしていたモーセは、シナイ山で主なる神に召し出されました。その時に柴が火に燃えており、その炎の中から主なる神が「モーセよ、モーセよ」と呼びかけられました。

 

主なる神は、彼に御自身をお示しになり、出エジプト記36節でこう言われました。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と。

 

マルコによる福音書は現在形で記しています。かつて主なる神は、アブラハム、イサク、ヤコブに現れ、彼らと契約を結ばれました。主なる神は彼らと彼らの子孫の神となり、彼らと彼らの子孫は主なる神の民となりました。それ以来主なる神は、彼らと彼らの子孫の神として、彼らと共に生きられました。

 

そして、主なる神は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神として彼らと共に生きておられたように、モーセと神の民イスラエルと共に生きておられるのです。シナイ山で主なる神は、彼らに主という御名で現れ、彼らと契約を結ばれました。そして、彼らの神となられ、神の民イスラエルと共に生きておられるのです。

 

わたしはあなたの父の神である」と言われているように、モーセの先祖のアブラハム、イサク、ヤコブは、死んでこの世から消滅してしまったのではありません。彼らの死後も、主なる神は彼らと共に生きておられるのです。彼らは、主なる神と共に永遠の命の中にあるのです。

 

主イエスの御言葉、「死んだ者の神ではなく生きている者の神である」という御言葉は不思議な御言葉です。

 

この御言葉は、直接死者の復活を述べていつわけではありません。

 

しかし、マルコによる福音書は、わたしたちにこの御言葉によってキリストの復活の希望を伝えているのです。

 

主なる神はアブラハムとイサク、そしてヤコブと契約を結ばれ、彼らと彼らの子孫を見捨てることなく、常に彼らと共に生きてくださったし、今もキリストは復活され、キリストの父なる神は、教会を見捨てることなく、今も共に生きてくださっています。

 

主なる神と共に、永遠に今を生きる保証がキリストの復活であり、わたしたちの復活なのです。

 

だから、わたしたちは、思い違いをすべきではありません。主イエスにあって死んでしまった兄弟姉妹たちは、既に死んでしまったものではありません。主イエスが復活し、今も生きておられるように、今もわたしたちと共に生きているのです。わたしたちも主イエスにあって死ぬのですが、主イエスが永遠に生きておられるように、永遠に生きるのです。

 

お祈りします。

 

主イエス・キリストの父なる神よ、今朝、マルコによる福音書第121827節の御言葉を学べる機会を得ましたことを感謝します。

 

わたしたちに聖書と聖書が証しする神の御力を正しく理解させてください。キリストの十字架と復活を通して、わたしたちを罪から救い、死から解放し、永遠の命の恵みへと導かれる神の御力を信じさせてください。

 

聖書を通して、恵みの契約の神の祝福に与らせてください。神に見捨てられることなく、永遠に神と共に生きる命の恵みを得ていることに感謝させてください。

 

どうか来るべき御国の到来を、キリストの再臨を、わたしたちの復活を待ち望ませてください。

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。