7月21日 礼拝

7月21日 説教

詩篇149編説教        主の2024721

ハレルヤ。                 ハレルヤ。 

新しい歌を主に向かって歌え。 歌え、主に、新しい歌を。

主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。彼への賛美を、忠実な

イスラエルはその造り主によって喜び祝い 者たちの集いの中で。喜べ、

シオンの子らはその王によって喜び踊れ。イスラエルは、己の造り主を。

踊りをささげて御名を賛美し シオンの子らは、王のゆえに喜び踊れ。踊

太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。りで主の御名を賛美せよ。太鼓と

                 竪琴で彼をほめ歌え。

主は御自分の民を喜び まことに主は、彼の民を喜び

貧しい人を救いの輝きで装われる。貧しい人たちを救いで装われる。

主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み 忠実な者たちは栄光の

伏していても喜びの声をあげる。中で喜び勇み 自らの寝床の上で喜び

口には神をあがめる歌があり 叫ぶ。神への称賛が彼らの喉に。

手には諸刃の剣を持つ。 両刃の剣が彼らの手の中に。

国々に報復し 諸国民に報復を行うために。

諸国の民を懲らしめ 諸民族を懲らしめ

王たちを鎖につなぎ 彼らの王たちを手かせで縛るために

君侯に鉄の枷をはめ 彼らの貴族たちを鉄の足枷で

定められた裁きをする。 書かれた裁きを、彼らの中で行なうために。

これは、主の慈しみに生きる人の光栄。それは、彼の忠実な者たちすべて

ハレルヤ              の輝き。    ハレルヤ。

                 詩篇第14919

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主の2024721

 

説教題:「主を賛美せよ」

 今朝は、詩篇第148114節の御言葉を学びましょう。

 

 この詩編149編は、「ハレルヤ」で始まり、「ハレルヤ」で終わっています詩編の4番目のものです。

 

1節で詩人は、「新しい歌を主に向かって歌え」と歌っています。詩編961節と981節の御言葉と同じです。この御言葉の始まりは、イザヤ書4210節の御言葉です。そこには、第二イザヤが主の僕、預言者として主に召された記事があります。そして、彼は主なる神の勝利を預言しています。すなわち、主なる神がバビロニア帝国に捕囚された神の民たちを解放してくださるという福音です。そこで第二イザヤは、神の民たちに主に向かって新しい歌として歌えと呼びかけたのです。バビロン捕囚からの解放は、主なる神の新しい奇蹟の御業であったからです。

 

続けて詩人は1節後半で「主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。」と賛美を促しています。「主の慈しみに生きる人」は、前の詩編14814節に出てきました。149編でも1節と5節に出てきます。ヘブライ語の「ハシディム」という言葉です。神を敬う者、忠実な者、信実な者という意味があります。紀元前2世紀にマカベアの時代にハスモン家の運動が政治運動となり、そこから「ハシディム」が生まれました。そして、後の主イエスの時代のファリサイ派となるのです。

 

「ハシディム」は、集会で主なる神を礼拝し、賛美していたのでしょう。「主の慈しみに生きる人」は、意訳です。神を敬う人、主なる神に忠実な人です。新改訳聖書2017は、「敬虔な者たちの集まりで」と訳し、聖書協会共同訳は、「忠実な人々の集いで」と訳しています。要するに、神の民イスラエルの共同体のことを意味するのだと思います。神の民イスラエルの会衆の中で主に向かって新しい歌を歌えと、詩人は促しているのです。

 

わたしは、上諏訪湖畔教会が『讃美歌21』を主に向かって賛美することをうれしく思っています。ヒムプレヤーのお陰でわたしたちは、主の日の礼拝ごとに新しい歌を主に歌っています。この諏訪の地で主イエスがわたしたちを救われた奇蹟の御業を、『讃美歌21』を通して賛美できるのは幸いであると、わたしは思うのです。将来、オルガニストが与えられれば、改革派教会のジュネーヴ詩編歌も賛美に加えてほしいと思います。

 

詩人は、15節と69節の二部構成でこの詩編を賛美しています。主題は、「諸国民に対する勝利を喜ぶイスラエルの民の新しい歌」です。

 

2節の「イスラエル」と「シオンの子ら」は、イスラエルの神の民です。詩人は賛美します。「イスラエルはその造り主によって喜び祝い シオンの子らはその王によって喜び踊れ。」この讃美によって、神の民イスラエルにとって、彼らが礼拝し、賛美する主なる神は、創造主であり、彼らの王様であることが分かります。

 

主なる神は、昔出エジプトにおいて神の民イスラエルを奴隷から解放され、シナイ山で彼らを主なる神の民としてお造りになりました。彼らと契約を結ばれて、主なる神はイスラエルの民の神となられ、イスラエルの民は主なる神の民となりました。そして彼らに十戒を授けられたのです。また、彼らの周りの諸国には王がいましたが、イスラエルの神の民の王は、主なる神でありました。主なる神は彼らに授けられた十戒によって彼らを統治されました。

 

詩人が3節で「踊りをささげて御名を賛美し 太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ」と賛美していますね。出エジプトの出来事の時、主なる神は神の民たちに紅海を渡らされました。海に道を造られ、神の民たちは渡しました。追いかけて来たエジプトの王パロと家来たちは、海に呑まれて滅びました。その勝利を、モーセの姉ミリアムと女たちがタンバリンを鳴らして踊り、勝利の賛美を主に向かって歌いました。

 

詩人は、マカバイの時代の人でしょう。捕囚の地から帰還した神の民たちは、出エジプトの神の民たちが荒野の40年という苦難を経験したように、多くの苦難を経験したでしょう。特にシリアのセレウコス王朝によるユダヤ支配は苦難に満ちたものだったでしょう。特にアンテオコス四世エピファネスは、ユダヤの地をヘレニズム化しようと、神殿にオリンポスのゼウス像を安置し、偶像礼拝を強要しました。これによって有名なマカバイの乱が起こりました。指導者ユダ・マカバイがユダを勝利に導きました。主なる神が勝利を与えてくださいました。これを詩人は、新しい歌として賛美を促したのでしょう。

 

45節は、次のような背景があったでしょう。ヘレニズム化に反対したハシディムの人々がマカバイの乱を起こしたマタティアとその五人の子供たちを支持し、アンテォコス四世エピファネスと戦いました。

 

「主は御自分の民を喜び 貧しい人を救いの輝きで装われる。主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み 伏していても喜びの声をあげる。」

 

「貧しい人」とは、支配者に抑圧されている人のことです。「主の慈しみに生きる人」のことです。ユダヤのヘレニズムかによって偶像礼拝が強要されました。主なる神に忠実な敬虔な人が支配者から厳しい拷問を受け、虐待されました。しかし、政権によって虐待されたイスラエルの民を、主なる神は御自分の民として喜んでくださいました。そして、彼らに主なる神は勝利を与えてくださったのです。その栄光に、神の民たちは喜び踊りました。その喜びは彼らの寝床まで歓喜で満ちました。

 

この詩編の後半の部分は、前半とは様子が変わっています。69節です。一言で言えば、詩人は主なる神による諸国民への、諸国の王や高官たちへの復讐を賛美しています。

 

「口には神をあがめる歌があり 手には諸刃の剣を持つ。国々に報復し 諸国の民を懲らしめ 王たちを鎖につなぎ 君侯に鉄の枷をはめ 定められた裁きをする。これは、主の慈しみに生きる人の光栄。」

詩人の口には主なる神をほめたたえる歌があります。主なる神は、どのような苦難の中でも神の民を見捨てられません。荒れ野の40年間、神の民は繰り返し主なる神に背きました。しかし、主なる神は彼らの子たちを、孫たちを約束の地カナンに導かれました。

 

主なる神は、アンテオコス四世エピファネスの大迫害から神の民イスラエルを守ってくださり、勝利を与えてくださいました。敬虔な者たちにとって現実は、彼らの無力さを強く感じさせたでしょう。彼らは、貧しい人に過ぎませんでした。異国の王の迫害で日々虐待される人々でした。だから、彼らは、主なる神の復讐を祈りました。主なる神がユダの民を迫害する諸国民に、王に、高官たちに復讐してくださるようにと。主なる神が諸国の民を懲らしめ、王に手かせをはめ、高官たちに足枷をはめられるようにと。そして昔の預言者たちが預言の書に書いているように、主なる神が諸国民を裁いてくださり、主なる神に忠実な神の民イスラエルが誉れを得られるように、と詩人は祈るのです。

 

紀元前2世紀のマカバイの時代の神の民たちは、奴隷の地からの解放でも、捕囚の地からの帰還でもなく、彼らを支配する異国の王とその勢力から彼らが解放され、救われることでした。詩人は、主なる神が諸国民を支配され、裁かれ、神の民たちの解放と救いの時代が来ることを待ち望んでいるのです。

 

詩人の祈りと願いは、主イエス・キリストの到来によって実現するのです。それは、慈しみに生きる人の光栄であります。旧約聖書に書かれているとおりに、主なる神は、裁きによって主なる神に忠実な人、敬虔な人を救われました。わたしたちを救ってくださったのです。

 

旧約聖書の預言通りに、キリストは神であられたのに、人となり、来られました。神に裁かれるわたしたちの罪の身代わりとして、十字架に死なれました。同時にご自身が十字架に死ぬまで、神に従順に従われ、得られた義を、わたしたちに与えてくださいました。

 

こうしてわたしたちは、毎週日曜日に教会に集まり、主イエス・キリストの奇蹟の御救いを、わたしたちの新しい歌として賛美するのです。

 

お祈りします。

 

 主イエス・キリストの父なる神よ、今朝、詩篇第149編の御言葉を学べる機会をお与えいただき、感謝します。

 

 わたしたちは、毎週主日礼拝に集まり、『讃美歌21』によって主なる神に新しい歌を歌える喜びを感謝します。

 

主イエスの十字架と復活の御業を通して、わたしたち上諏訪湖畔教会の群れをお造りくださり、主イエスをわたしたちの王として礼拝できる喜びを感謝します。

 

 わたしたちは、詩篇149編の詩人同様に、異教の偶像礼拝の世界に生きています。幸い、今は迫害がありませんが、いつ今の天皇を現人神として礼拝を強要される時代が来るか分かりません。

 

 どうか今日、ここでわたしたちが再臨の主イエスがすべてのものを裁くために来られることを信じさせてください。どうか、上諏訪湖畔教会をこれからも守り、毎週日曜日に主を礼拝し、賛美する教会として立たせてください。

 

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

7月14日 週報