6月23日 主日礼拝

6月23日 説教

詩篇147編説教     主の2024623

ハレルヤ。                 ハレルヤ。 

わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく 実に良い、ほめ歌うこと

神への賛美はいかに美しく快いことか。は、わたしの神に。実に喜ばしい、

主はエルサレムを再建し 美しい賛美は。エルサレムを建てる者、主は。

イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。イスラエルの追いやら

打ち砕かれた心の人々を癒し れた者らを、彼は集める。癒す者、心の

その傷を包んでくださる。 砕かれた者らを。包む者、彼らの傷を。

 

主は星に数を定め 彼は星たちの数を数える。

それぞれに呼び名をお与えになる。それらのすべてに名を、彼は名付ける。

わたしたちの主は大いなる方、御力は強く わたしたちの主は偉大で、御

英知の御業は数知れない。 力は大きい。彼の英知は限りない。

主は貧しい人々を励まし 主は励まされる、貧しい者らを。

逆らう者を地に倒される。 悪人らを、地まで低くされる。

感謝の献げ物をささげて主に歌え。主に歌え、感謝をもって。ほめ歌え、

竪琴に合わせてわたしたちの神にほめ歌をうたえ。 わたしたちの神に

                      琴をもって。

主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え 密雲で天を覆い、地のために

山々に草を芽生えさせられる。 雨を備え、山々に草を芽生えさせる方を。

獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば 彼は与えられる、獣に、烏の子らが鳴

食べ物をお与えになる。 けば、食物を。

 

主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく 彼は、馬の勇ましさを喜ばない。

人の足の速さを望まれるのでもない。彼は人の脚力ではなく、彼を恐れる

主が望まれるのは主を恐れる人 者らを、彼の慈しみを待ち望む者らを望

主の慈しみを待ち望む人。 まれる。

 

エルサレムよ、主をほめたたえよ エルサレムよ、主をほめたたえよ。

シオンよ、あなたの神を賛美せよ。シオンよ、あなたの神を賛美せよ。

主はあなたの城門のかんぬきを堅固にし 実に彼はあなたの門のかんぬき

あなたの中に住む子らを祝福してくださる。 を強くし、あなたの中で

あなたの国境に平和を置き あなたの子らを祝福される。彼はあなたの

あなたを最良の麦にあかせてくださる。 領地に平和を置く者。彼は最良

                  の小麦であなたを満腹させられる。

主は仰せを地に遣わされる。主は彼の御言葉を地に送る者。

御言葉は速やかに走る。 御言葉が早く走るまで。

羊の毛のような雪を降らせ 彼は羊毛のような雪を降らせる者。

灰のような霜をまき散らし 彼は灰のような霜をまき散らし、

氷塊をパン屑のように投げられる。彼が氷をパン屑のように投げられたら、

誰がその冷たさに耐ええよう。誰がその冷たさの前に立ち得るだろう。

御言葉を遣わされれば、それは溶け 彼は御言葉を送られると、それらを

息を吹きかけられれば、流れる水となる。溶かす。風を吹かせられると、

                   水となって流れる。

主はヤコブに御言葉を 彼はヤコブに彼の御言葉を告げられる。

イスラエルに掟と裁きを告げられる。 彼の掟と裁きを、イスラエルに。

どの国に対しても 彼はすべての国に  

このように計らわれたことはない。 このように行われない。

彼らは主の裁きを知りえない。 彼らは、主の裁きを知りえない。

ハレルヤ。 ハレルヤ。

                 詩篇第147120

 

 説教題:「主の慈しみを待ち望む人」

 今朝は、詩篇第147120節の御言葉を学びましょう。

 

146150編は、「ハレルヤ詩編」と呼ばれています。冒頭に「ハレルヤ」とあり、最後にも「ハレルヤ」とあります。「ハレルヤ」で始まり、「ハレルヤ」で終わっています。このハレルヤ詩編は、エルサレム神殿で神の民、会衆の神賛美として歌われました。

 

 147編は、文学類型としては賛美の歌です。詩人は、1節と7節と12節で神の民、会衆に共同の神賛美を促しています。そして続いてその理由を述べるために、1節と13節に「実に」という言葉を用いています。7節以下には「実に」という言葉が使われていません。しかし、理由は述べられています。このように詩編147編は、1節と7節と12節で詩人は、神の民、会衆に神賛美を促し、その理由を述べているのです。

 

では、1節から見ていきましょう。詩人は1節で「ハレルヤ」と、神賛美し、神賛美をすることは良いことであり、美しい神賛美は実に喜ばしいと賛美しています。

 

「ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく 神への賛美はいかに美しく快いことか。」この御言葉に出会って、わたしたちの心はハーッとしないでしょうか。

 

わたしたちは、長年主日礼拝で神賛美しています。それが当たり前と思っていないでしょうか。気づくと、何の感動もなく賛美していないでしょうか。

 

詩人が「いかに喜ばしく」と言っているのは、「実に良い」という意味です。詩人が「神への賛美はいかに美しく快いことか」と言っているのは、「実に讃美はわたしたちの神にふさわしい」という意味です。

 

わたしたちが毎週主日礼拝で讃美歌を歌うことは、わたしたちにとって実に良いことであり、わたしたちの讃美歌は神にふさわしいことなのです。詩人は、わたしたちに毎週日曜日にわたしたちが教会に集まって礼拝で讃美歌を歌うことは、実に私たちにとって良いことであり、キリストにふさわしいことであると、歌っているのです。

 

詩人は、わたしたちにそのように神賛美を促す理由を26節で賛美しています。23節はイスラエルの神の民たちの歴史です。主なる神は、バビロン捕囚の神の民たちをエルサレムに帰還させて、エルサレム神殿を再建されました。紀元前515年です。それによって70年間バビロン捕囚で心傷ついていた神の民たちは主なる神に癒され、主が彼らの心の傷を包んでくださいました。それがエルサレム第二神殿での彼らの礼拝でした。

 

神の民をバビロンからエルサレムに導かれた主なる神は、創造主です。全能の神です。主は造られた夜空の星の数を御存じです。詩人は、「それぞれに呼び名をお与えになる」と歌っていますが、主がその無数にある星を支配されているという意味です。

 

詩人は、56節でわたしたちの主は大いなるお方であり、偉大なお方であり、わたしたちは想像もできない主の英知の御業によって裁かれ、主は貧しい者らを励まし、悪人たちの身を低くくさせて、死者の世界まで落とされると歌っているのです。

 

このように詩人は神を賛美する理由を、こう述べています。創造主であり全能の神である主がわたしたちのために神殿と教会を造られたからです。主がわたしたちのために自然を支配し、貧しい者らを励まされ、神に敵対する富める者たちを低くされ、滅ぼされるからです。

 

詩人は、神の民に、わたしたちに、理由を述べて、こう伝えたいのです。自然と人と民族の運命を左右するのは、カナンの神々でも、人でもない。唯一の神である創造主なる神、全能の神である主であると。だから、わたしたちが主なる神を賛美することは、わたしたちの神、主に相応しいことであると。

 

続いて詩人は、7節でも神の民、会衆に神賛美を促しています。「感謝の献げ物」は、神への感謝のことです。詩人は、主なる神に感謝して、神賛美せよと勧めています。「竪琴に合わせて」とは、オルガンの演奏に合わせてという意味です。「うたえ」は、応えるという意味です。主なる神の慈しみに応えて、すなわち、主なる神によってバビロン捕囚から解放された神の民は、その神の恵みに応えてエルサレム第二神殿で神賛美したのです。わたしたちキリスト者も同じです。キリストの十字架によってわたしたちは罪を赦され、永遠の滅びから救い出されたのです。わたしたちは、この恵みを感謝して、主なる神を、キリストを賛美するのです。

 

詩人は、8節でパレスチナの自然を支配するのは、カナンの神々ではなく、主なる神だと賛美しています。主なる神は、慈しみ深いお方です。パレスチナの地で神の民が生きるために、そして造られたすべての生き物のために水を備えられ、日々の糧を与えられます。

 

詩人は食べ物を求めて泣く、烏の子らにも与えてくださいますと賛美していますね。わたしは、主イエスが彼の弟子たちに日々の糧のことで思い悩むなと諭されたことを思い起こします。ルカによる福音書1224節で主イエスはこう言われました。「烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、烏よりもどれほど価値があることか」と。

 

詩人は、さらに1011節で主なる神が神の民に何を望まれているのかを教えています。主は、神の民が、わたしたちが軍事力に頼ることを喜ばれません。馬は詩人の時代、軍事力の代表でした。「人の足の速さ」とは、健脚力の強い人間のことです。馬と歩兵の強さが当時の戦争を左右したからです。しかし、主なる神は、神の民が馬と人に信頼することを望まれませんでした。主が望まれたのは、主を畏れ、主の愛を待ち望んでいる信仰者です。

 

バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちは、ペルシア帝国の支配下にありました。ペルシア帝国は、馬、すなわち戦車によって、歩兵の強さによって諸国を支配していました。常にこの世は力が優先します。大国の軍事力の前で神の民イスラエルは無力な存在です。しかし、主なる神が望まれるのは、イスラエルが軍事力を得ることではなく、主なる神を畏れ、神の慈愛に望みを置くことでありました。

 

詩人は、12節でエルサレムとシオンに主なる神をほめたたえよと促しています。詩人は1314節で「実に」(13)という言葉を使ってその理由を述べています。賛美する理由は、主なる神が神の民にエルサレムの都の城壁の修復を促され、エルサレムの都を守られ、都に住む神の民たちを最良の小麦で養われ、祝福されたからです。

 

「城門のかんぬきを堅固にし」とは、主なる神がシオンを、エルサレムの都を保護されたということです。エルサレムは都市国家として独立するようになり、エルサレムは神の民の中心に属するものとなり、神は彼らを祝福し、生活を豊かにされるだけではなく、神の律法によって掟と裁きによって神の民を支配されました。

 

詩人は、1520節で神の御言葉について述べているのです。15節の「仰せ」は神の啓示であり、神の御意思です。「御言葉が速やかに走る」とは、パレスチナの自然の中で主なる神は創造主としてご自身の御心をあらわされたのです。

 

わたしたちは、神の啓示を自然啓示と特別啓示である聖書に区別します。パレスチナは乾季と雨季があり、冬になると、パレスチナでは雪、霜、雹が天から降りました。その自然界の現象を、詩人は不思議な神の御業と思っているのです。天の雲に蓄えられた水が雪に、霜に、雹という氷に変化するのです。そして、主なる神は、自らの御意志で、「御言葉を遣わされて」その氷を水にして、ヨルダン川に流され、パレスチナの地を人や獣が生きることのできる豊かな地としてくださるのです。

 

そして、主なる神は、ヤコブ、すなわち、神の民イスラエルにご自身の御心を伝えて、「掟」と「裁き」、すなわち、神の律法を、特別啓示である旧約聖書を与えられました。神の民たちは、エルサレム神殿の礼拝で祭司やレビ人によって神の律法が朗読されるのを聞きました。

 

神の民であるユダヤ人以外に、どの諸国民も神の御意志である特別啓示、旧約聖書の神の御言葉を、礼拝を通して聴いたものはいません。神の民以外に神の律法を、特別啓示である旧約聖書を知りえる者はいませんでした。

 

詩人は、主なる神は神の民イスラエルを選ばれ、彼らに神の律法を与えられたことを伝えているのです。

 

詩人がわたしたちに伝えたかったことは、神殿とエルサレムの城壁の再建であり、それによって神の民が確立されたことです。詩人にとってバビロン捕囚からエルサレムの都に神の民たちが帰還し、神殿とエルサレムの都を再建できたことは、主なる神に見捨てられた彼らが再び主なる神の花嫁として迎え入れられた喜びのおとずれでありました。

 

だからこそ詩人は、神の民に、会衆に、そしてシオンとエルサレムに主なる神を賛美せよと促しました。彼らは、神の律法を通して彼らの礼拝を、そして、日常の生活を整え、主なる神を賛美したのです。

 

神の民を特徴づけるものは、神の御言葉です。神の御言葉によってわたしたちの世界は守られています。創造主であり、全能の神である主は、ご自身の御心によってこの世界を支配し、人も獣も守り、養われています。

 

そして、主なる神が授けられた神の律法が神の民たちの「掟」と「裁き」として神の民たちを確立しました。神の民にとって神の御言葉は神の律法という形になりました。

 

キリスト教会とわたしたちキリスト者にとっては、神の御言葉は、キリストとキリストを宣教する福音です。特別啓示としてのキリストを預言する旧約聖書とそのキリストの成就を記す新約聖書とその聖書の御言葉を解き明かす説教が神の御言葉として最も重要であります。

 

旧約の神の民も新約の教会も神の御言葉を与えられていることで、主なる神の民として生きることができるのです。それゆえにわたしたちは、今朝の詩編147編の詩人の神賛美の御言葉を通して、わたしたちに聖書を与えてくださった主なる神に、キリストを与えてくださり、この教会の礼拝を通して神の御言葉を与え続けられている主なる神を賛美し、この神に心から感謝をしようではありませんか。

 

お祈りします。

 

 主イエス・キリストの父なる神よ、今朝、詩篇第147編の御言葉を学べる機会をお与えいただき、感謝します。

 

 わたしたちが今朝の礼拝で主を崇め、主を讃美することに理由のあることを、147編の詩人から学ぶことができて感謝します。

 

天地万物を創造された主なる神が、全能の神として自然を支配され、人と獣のために水を備え、食べ物をお与えくださり、感謝し、主をほめたたえさせてください。

 

 主なる神が摂理の御業を通してわたしたちに教会を与え、毎週の主日礼拝を守り導いてくださり、感謝し、主なる神をほめたたえさせてください。

 

 わたしたちに聖書とキリストをお与えくださり、キリストの十字架の福音を聞き、人々に福音として語らせてくださることを感謝し、主なる神をほめたたえさせてください。

 

 今日、ここで主を崇め礼拝し、主を賛美できる幸いを感謝させてください。どうか、上諏訪湖畔教会が主を礼拝し、賛美する教会としてこれからも継続させてください。

 

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

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