過去の各礼拝説教・ハイデルベルク信仰問答・ウェストミンスター大教理問答の学びは上記サブメニューからお進み下さい。

礼拝説教 (2020年5月24日)

▷をクリックしていただくと、説教の録音をお聞きいただけます。

 

詩編説教114               主の2020524

 

イスラエルはエジプトを イスラエルがエジプトから出たとき

 

ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り ヤコブの家が異なる言葉を語る民

 

ユダは神の聖なるもの から。ユダは彼の聖なるもの(となり)

 

イスラエルは神が治められるものとなった。 イスラエルは彼が治められる

 

                     領域となる。

 

海は見て、逃げ去った。 海は見た。そして逃げ去った。

 

海は見て、逃げ去った。 ヨルダン川は、後ろに向きを変えた。

 

山々は雄羊のように 山々は踊った、羊のように。

 

丘は群れの羊のように踊った。 丘は仔羊たちのように。

 

どうしたのか、海よ、逃げ去るとは。なぜ、海よ、お前は逃げるのか。     

 

ヨルダンの流れよ、退くとは ヨルダン川よ、お前は後ろに向きを変えるのか。

 

山々よ、雄羊のように 山々よ、お前たちは雄羊のように

 

丘よ、群れの羊のように踊るとは。 丘よ、仔羊たちのように踊るのか。

 

 

 

地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に 主の御前におののけ、地よ。

 

ヤコブの神の御前に ヤコブの神の御前に

 

岩を水のみなぎるところとし に岩を水の湧き出る所とし、

 

硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。 に硬い岩を水の泉に変える者。

 

                   詩編第11418

 

 

 

説教題:「神の御前に畏れ、ひれ伏せ」

 

今朝は、詩編11418節の御言葉を学びましょう。

 

 

 

先月お話ししましたように詩編113編から詩編118編は、「過越のハレル」と呼ばれています。「ハレル」とは「ほめたたえよ」という意味です。

 

 

 

この詩編には「ハレルヤ」がありません。ですから、昔の初代教会の聖書であった70人訳聖書(旧約聖書)では、次の詩編115編と一緒にされていました。

 

 

 

ユダヤ人たちは、この詩編を歌った後に過越の食事をしました。ユダヤ人たちは、過越祭で詩編113編のハレルヤから歌い始め、この詩編114編を歌った後に、過越の食事をしました。そして食事が終わると詩編115編―118編が歌われました。その場面がマルコによる福音書の1426節です。主イエスと弟子たちが「賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」のです。

 

 

 

詩編113編の「ハレルヤ」で始まり、詩編114編で出エジプトからヨルダン川を徒歩で渡る奇跡の出来事を賛美しています。それゆえに詩編114編は、出エジプトの出来事を記念した過越祭で歌われるのです。

 

 

 

さて、先ほどお話ししましたようにこの詩編には「ハレルヤ」という神賛美の言葉がありません。他にも特色があります。短い詩の中に神の民の出エジプトと約束のカナンへの定住を一気に主なる神の奇跡の出来事として賛美しています。そしてこの詩編の最後があまりにも唐突に終わっています。

 

 

 

この詩編の主題は、はっきりしています。主なる神が神の民イスラエルをエジプトから導き出されて、ヨルダン川を渡り約束の地カナンに定住させられた数々の奇跡を賛美しています。

 

 

 

また、2節ずつ区切られていて、4つの内容がはっきりしています。

 

 

 

詩人は12節で、「イスラエルはエジプトを ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り ユダは神の聖なるもの イスラエルは神が治められるものとなった。」と賛美します。これは、出エジプトの出来事と神の民、イスラエルの12部族、すなわち、後に南ユダ王国と北イスラエル王国に分かれる神の民の誕生をテーマにして歌っています。

 

 

 

詩人は34節で、「海は見て、逃げ去った。海は見て、逃げ去った。山々は雄羊のように 丘は群れの羊のように踊った。」と賛美します。これは、神の民が出エジプトするとき、紅海を渡した奇跡、そしてシナイ山で主なる神と出会ったこと、そしてその後ヨルダン川を渡って約束の地カナンを占領した喜びをテーマとして賛美しています。

 

 

 

詩人は、56節で、「どうしたのか、海よ、逃げ去るとは。ヨルダンの流れよ、退くとは 山々よ、雄羊のように 丘よ、群れの羊のように踊るとは。」と賛美します。詩人は勝ち誇ったように、海とヨルダン川と山と丘に問いかけています。

 

 

 

」は紅海のことです。「逃げ去る」とは紅海の奇跡のことです。海が強い東風によって真二つに分けられ、神の民たちは海の底を歩いて渡りました(出エジプト記14)

 

 

 

それを詩人は神話的な表現で賛美しているのです。神が天地を創造された時、海は神に敵対するものでありました。しかし、神は海を御自身の支配下に置かれました。主イエスがガリラヤ湖の嵐を静められたとき、その嵐を、弟子たちは非常に恐れました。海は人の手で支配できないからです。今日も同じです。台風を予測することは出来ますが、人の手でなくし、被害を無にすることはできません。

 

 

 

神の民イスラエルは、出エジプトの時、紅海を見て絶望しました。後ろから追いかけて来るエジプトの王と軍隊に、行き場を失った彼らが滅ぼされると思ったからです。しかし、主なる神は神の民イスラエルが紅海を渡るという奇跡の御業をなさったのです。

 

 

 

56節の詩人の問いかけは、神の民イスラエルが立ちはだかる大自然を前にし無力となるとき、その大自然を完全に支配されるのがイスラエルの神、主であると歌っているのです。

 

 

 

それゆえ詩人は78節で、「地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に ヤコブの神の御前に 岩を水のみなぎるところとし 硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。」と賛美します。これは、詩人が56節で海やヨルダン川、山や丘に問うたことに対する答えです。

 

 

 

主なる神の主権的な支配がテーマとして歌われております。主なる神は、神の民イスラエルをエジプトの国から救い出し、約束の地であるカナンに定住させるために、人には不可能なこと、すなわち主なる神は大自然を完全に支配し、御自身の救済の御業を完全に遂行されたのです。

 

 

 

もう一度最初に戻り、12節を御覧ください。「イスラエルはエジプトを ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り ユダは神の聖なるもの イスラエルは神が治められるものとなった。

 

 

 

これは、主なる神が神の民イスラエルを、主なる神と神の民イスラエルの先祖アブラハムとの契約に基づいて(創世記15:1316,出エジプト記2:24)、異教の地エジプト人の地から救い出し、約束の地カナンに定住させ、ユダとイスラエルを誕生させられたということです。

 

 

 

詩人は、王国時代の人でしょう。南ユダ王国と北イスラエル王国が存在していたでしょう。どうしてこの二つの王国が存在するのかを、主なる神の出エジプトの出来事、シナイ山での主なる神の顕現、そしてヨルダン川を渡り、約束の地カナンを占領したという主なる神の歴史的救済の中にその根拠を見出したのです。

 

 

 

4節の「山々は雄羊のように 丘は群れの羊のように踊った。」と6節の「山々よ、雄羊のように 丘よ、群れの羊のように踊るとは。」は、シナイ山における主なる神の顕現によってシナイ山に地震が起こったという出来事を、ユーモラスに表現しています。出エジプト記1918節です。「シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙ように立ち上り、山全体が激しく震えた。

 

 

 

古代の人々は、現代人以上に自然の脅威を恐れました。海や山に比べると、人間は小さな存在でした。現代でも台風、地震、津波等の自然災害に人は無力です。コロナウイルスに、今のわたしたちは手の施しようがありません。

 

 

 

しかし、詩人がこの詩編で歌っている事は、主なる神は大自然を完全に支配するお方です。そして、主なる神は、出エジプト記において神の民イスラエルを救うために、十の災害と紅海の奇跡、シナイ山での顕現でシナイ山全体を地震で震わすことで、そしてヨルダン川を徒歩で渡る奇跡を通して、御自身の御力を用いられたということです。

 

 

 

詩人は、78節で、「地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に ヤコブの神の御前に 岩を水のみなぎるところとし 硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。」と賛美し、シナイの荒れ野で神の民イスラエルに岩から水を豊かに与えられた奇跡を賛美しています。

 

 

 

詩人にとって主なる神は、創造主であり、摂理の神であり、救い主です。だから、御自身の主権によって御自身が創造された自然を支配し、その御力によって神の民イスラエルをお救いくださるお方です。

 

 

 

神の民イスラエルには、主なる神の他に礼拝すべき神はいません。彼らを、エジプトからカナンの地へと導かれた主なる神のみが彼らが畏れ、ふれ伏すべき神です。

 

 

 

そして、主イエスは、過越祭の夜に弟子たちと共に、この詩編を歌われた後、一緒に最後の食事をされました。そしてその食事が終わりますと、詩編115118編を歌いながら、オリーブ山に弟子たちと共に行かれました。

 

 

 

この詩編は、わたしたちに主イエス・キリストを豊かに指示していると、わたしは思うのです。

 

 

 

主イエスも十字架と復活という奇跡を通して、わたしたちを罪と死の奴隷状態から救い出され、神の民であるキリスト者と教会をこの世に聖霊を通して誕生させてくださいました。

 

 

 

そして主なる神が出エジプトした神の民をシナイ山に導き、そこで主なる神は神の民イスラエルに現れ、モーセを通して神の民に十戒を授け、神の律法を教えられ、ヨルダン川を渡らせ、約束の地カナンへと定住させられました。

 

 

 

同様に主イエス・キリストも、十字架と復活によって御自身の民を教会へと召し出し、聖霊を通して聖書を与え、教え、死を渡らせて、御国へと導かれています。

 

 

 

主イエスは、わたしたちを救い、御国へと導くために、御自身の主権的な御力を、自然を完全に支配する力をお用いになります。

 

 

 

今コロナウイルスの脅威の前にわたしたちは無力です。しかし、主イエスは、ガリラヤ湖の嵐を静められ、多くの病人たちを癒され、死人を甦らされました。

 

 

 

ですから、このお方だけが、わたしたちを罪と死から解放し、わたしたちを御自身のものとしてくださり、わたしたちが畏れふれ伏すべきお方として、今朝もこの教会の礼拝でわたしたちと共に居てくださるのです。

 

 

 

そして主イエスは、今わたしたちにこう約束してくださるのです。「また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。『書き記せ。「今から後、主に結ばれて死ぬ死人は幸いである。」と。』“霊”も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報いられるからである』(ヨハネの黙示録14:13)

 

 

 

 お祈りします。

 

 

 

 イエス・キリストの父なる神よ、詩編114編の御言葉を学べる恵みを感謝します。

 

 

 

短い詩編の御言葉の中に、主なる神の偉大さと、御救いの力強さを覚えて、感謝します。

 

 

 

今、世界はコロナウイルスの脅威に人々は怯えています。わたしたちも不安を隠すことができません。

 

 

 

自然は、人の手で征服することはできません。むしろ、最近のわたしたちは、地震、台風、集中豪雨、そしてコロナウイルスの脅威と毎年苦しめられています。

 

 

 

しかし、今朝の詩編の御言葉を通して、わたしたちの神、主は、創造者であり、摂理の神であり、御自身の主権によって自然を完全に支配され、その御力でわたしたちを死から救うことがおできになるお方です。

 

 

 

昔神の民イスラエルを、奴隷の地エジプトから救い、約束の地カナンへと導かれた主なる神よ、どうかわたしたちを罪と死から救い、永遠の御国へとお導きください。

 

わたしたちには、主なる神と並ぶものはありません。この教会の礼拝を通して主なる神のみを畏れ、ひれ伏させてください。

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

5月24日
詩編 第114編
200524_001_02.MP3
MP3 オーディオファイル 23.5 MB

音声で礼拝説教をお聞きいただけます。

▷をクリックしていただくと、説教の録音をお聞きいただけます。

ファイルをダウンロードされたい方は、「ダウンロード」をクリックしていただき、ファイルを開くを選択していただくと、ダウンロードが始まり、完了後自動的に再生されます。