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礼拝説教 (2018年11月4日)

 

ヨハネによる福音書説教90       主の2018114

 

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と言うと、イエスは、「わたしの羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と言うと、イエスは、「わたしの羊を世話しなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロはイエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

 

ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。

 

これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

 

イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を納めきれないであろう。

 

          

 

ヨハネによる福音書第211525

 

 

 

説教題:「終わり良ければ」

 

今朝は、ヨハネによる福音書の211525節の御言葉を学びましょう。

 

 

 

21章はヨハネによる福音書の付録であり、補遺であります。この福音書は本来20章で終わりでした。しかし、2124節で、「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。」と記した人物によって付け加えられ、足りないところを補われたのです。

 

 

 

この弟子である」とは、ヨハネによる福音書の中でよく出てくる「イエスの愛しておられた弟子(13:2321:720)のことです。使徒ヨハネです。この福音書の著者は使徒ヨハネです。21章の編集者は、そのことを知り、彼の証しを聞いて、真実であると信じていました。彼はヨハネの弟子と考えられます。

 

 

 

彼は、3つのことを付け加え、福音書を補いました。第一に復活の主イエスがガリラヤで7人の弟子たちに現れたことです。21114節です。このところはすでに学んでいますので、今朝は省略します。

 

 

 

今朝は、211525節の御言葉を、21章の編集者が付け加え、補った第二と三のことを学びましょう。

 

 

 

さて、ガリラヤで復活の主イエスが湖で漁をしていた7人の弟子たちに現れ、朝の食事を彼らと共にされました。

 

 

 

そして、食事が終わりました。

 

 

 

すると、復活の主イエスは、シモン・ペトロだけに質問されました。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか(15)と。

 

ペトロは、主イエスに答えました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です(15)。すると、主イエスは彼に命じられました。「わたしの羊を飼いなさい(15)と。

 

 

 

主イエスは、ペトロに二度目に同じことを質問されました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。(16)。ペトロは答えました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です(16)と。主イエスは彼に命じて言われました。「わたしの羊を世話しなさい(16)と。

 

 

 

主イエスは、ペトロに三度目も同じように質問されました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」と。ペトロは主イエスが「わたしを愛しているか(17)と、三度も同じ質問なさるので、悲しくなりました。

 

 

 

このペトロの悲しみは、大祭司が主イエスを裁判したとき、その場に彼が居て、三度彼が主イエスを知らないと否認したことを思い出したからです(18:172527)

 

 

 

だから、ペトロの心は打ち震え、主イエスに答えたのです。「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。(17)

 

 

 

主イエスは、三度ペトロに命じられました。「わたしの羊を飼いなさい(17)と。

 

 

 

どうしても、21章の編集者は、この問答によって、ペトロは復活の主イエスに、彼が三度主イエスを否認した罪を赦され、伝道と教会形成の使命を委ねられたことを記そうとしているのです。

 

 

 

「飼いなさい」は、口語訳聖書では「養いなさい」と訳されていました。羊はキリスト者であり、教会員です。「飼いなさい」とは、羊に餌を与えることです。復活の主イエスはペトロに御言葉によって教会員を、キリスト者たちを養いなさいと命じられました。説教者の務めを命じられました。

 

 

 

「世話しなさい」とは、羊飼いが羊を野獣や泥棒から守り、水場や牧草地に導くことです。主イエスがたとえで話されたように、羊飼いは自分の羊のためなら命を捨てます。

 

 

 

教会の真の羊飼いは、復活の主イエスです。ペトロは罪を赦され、主イエスの代理として、羊飼いに任ぜられました。

 

 

 

だから、彼は教会のリーダーであり、権威ある者です。

 

 

 

しかし、復活の主イエスは、ペトロに直接「お前を教会のリーダーにする」とか、「お前を教会の中で牧師とし、権威ある者とする」と言われませんでした。

 

 

 

むしろ、復活の主イエスは彼に三度「わたしを愛するか」と質問されました。復活の主イエスは、三度ペトロに「わたしを愛するか」と質問されて、彼に問いかけられたのです。「お前は今、わたしを愛する者に変わったのか」と。

 

 

 

ペトロは復活の主イエスに出会い、自分の命を愛する者から、十字架で自分のために命を捨てられた主イエスを愛する者に変えられました。

 

 

 

だから、ペトロはこの世の支配者ではありません。権力を自分のために使いません。愛する主イエスのために使います。

 

 

 

教会のリーダー、牧師・長老であるペトロは、教会の群れを自分の意志に服従させ、支配するのではありません。むしろ、彼は反対に主イエスが彼を愛されたように、教会の群れを愛し、仕えるのです。

 

 

 

更に主イエスは、ペトロに彼の殉教を預言されました。「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(18)

 

 

 

19節は、18節の主イエスの預言を、21章の編集者が解き明かしているのです。

 

 

 

彼はヨハネの弟子です。師のヨハネが死んだことも、使徒ペトロが殉教していることも知っていたでしょう。

 

 

 

だから、彼は初代教会のキリスト者たちが教会の指導者であるペトロが殉教したことに失望しないように、ペトロの殉教は復活の主イエスの御心に適うことであり、神の栄光を表すことなんだということを示唆するために、この記事を書き加え、ヨハネによる福音書の終わりに補ったのです。

 

 

 

復活の主イエスがペトロに彼の未来を預言されたので、ペトロは主イエスが愛されているヨハネのことが気になりました。

 

 

 

ペトロとヨハネには心の通じ合う仲間同士でした。主イエスの最後の晩餐で、主イエスは裏切る者がいると言われました。ペトロは主イエスのそばにいたヨハネに「だれだ」と合図しました。だから、ヨハネは主イエスに「主よ、裏切るのはだれですか」と尋ねたのです。

 

 

 

ペトロは自分よりもヨハネの将来が気になりました。だから、主イエスに尋ねました。「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と。

 

 

 

すると、主イエスは、ペトロに「あなたと関係がない。あなたはわたしに従いなさい」と命じられたのです。

 

 

 

しかし、主イエスの言い方が微妙であったのです。「わたしが来るときまで、彼が生きていることを、わたしが望んだとしても」と。

 

 

 

この主イエスのお言葉を誤解した初代教会のキリスト者たちの中に、ヨハネはキリストが再臨される時まで死なないと噂する者たちが現れました。

 

 

 

そこで21章の編集者は、23節後半から次のように述べて、その噂を訂正しました。「しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか』と言われたのである。」と。

 

 

 

要するに、編集者はこう言います。「主イエスは、ヨハネが御自身の再臨の時まで生きると言われていない。主イエスがそう望まれても、ペトロには関係がないことだと言われているのだ」と。

 

 

 

 

 

編集者が21章を記したころ、すでにヨハネは死んでいたでしょう。最後にヨハネが伝道牧会した教会はエフェソ教会でした。その教会の教会員たちを動揺させないために、この記事を加え、補ったのでしょう。

 

 

 

そして、2425節が編集者の結びであります。編集者は、結びで二つのことを述べています。第一にこの福音書はヨハネが証ししたものであり、その証しは真実であるということです。

 

 

 

第二に復活の主イエスがなさった奇跡は他にもたくさんあり、一冊の書物に収まり切れないと。

 

 

 

その収まり切れない復活の主イエスの御業の一つに、この上諏訪湖畔教会の70年の歴史を付け加えることができます。

 

 

 

わたしたちの教会は、聖霊によって、すなわち、復活の主イエスが奇跡によって、この諏訪大社のひざ元に偶像礼拝の満ちる地域に、主イエスが遣わされた者たちの御言葉によって建てられ、維持され、今日も主を崇めて、主を賛美しているのです。

 

 

 

そして、今から聖餐にあずかります。

 

 

 

21章の編集者はわたしたち読者に、次のことを伝えたかったでしょう。この世の人生がペトロのように殉教の道であっても、ヨハネのようにキリストの再臨の時まで生きられないとしても、共に復活の主イエスは、共にいてくださると。

 

 

 

永遠に主イエスはわたしたちと共にいてくださる、この終わりが良ければ、キリスト者のこの世の人生は苦難の道であっても、幸いなものではないでしょうか。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

主イエス・キリストの父なる神よ、今朝で3年間のヨハネによる福音書の講解説教を終えることができて感謝します。

 

 

 

ヨハネによる福音書の学びを通して、今も復活の主イエスはわたしたちと共にいてくださることを覚えて、感謝します。

 

 

 

願わくは、わたしたちも自分たちの終わりが永遠の主イエスと共にあることを確信し、人生が終わるまで「わたしに従え」とペトロに命じられた復活の主イエスの従わせてください。

 

 

 

聖餐の恵みにあずかります。どうか、信仰によってマグダラのマリアや主イエスの11弟子たち同様に、「わたしは、わたしたちは主イエスを見た」と証しさせてください。

 

 

 

どうか、復活の主イエスが70年間、この教会と共に歩まれたことを確信させてください。

 

 

 

どうか、主イエスよ、クリスマス月間に、わたしたちの家族や知人、諏訪地方の人々を、松本や伊那の人々をお誘いし、共にクリスマスを祝わせてください。

 

 

 

この祈りと願いを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

11月4日 礼拝説教
ヨハネによる福音書 第21章15~25節
181104_001_02.MP3
MP3 オーディオファイル 25.3 MB

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