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礼拝説教 (2019年8月11日)

 

マルコによる福音書説教03              2019811

 

それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

 

                   マルコによる福音書第11213

 

 

 

  説教題:「主イエスの試み」

 

 今朝は、マルコによる福音書第11213節の御言葉を学びましょう。

 

 

 

 神の子主イエス・キリストがサタンから誘惑を受けられた物語です。

 

 

 

 12節の冒頭に「それから」という接続詞があります。主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を授けられ、天が裂けて、そこから鳩の姿で聖霊が主イエスに降られました。その時に主イエスは天から神の御声をお聞きになりました。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者(11)

 

 

 

神の御子である主イエスが洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受けられ、罪ある者と一つとなられ、罪ある者たちを救う救い主の働きを始められました。

 

 

 

神は御自分の愛する子がこれから十字架の道を歩むことを、喜び、「わたしの心に適う者」と主イエスに呼びかけられました。

 

 

 

主イエスが洗礼を受けられると天が裂け、御国の入口が開かれました。そして、主イエスと同様に水で洗礼を受けた者は主イエスの弟子であり、彼らは主イエス同様に聖霊を授けられて、開かれた御国を相続する神の子とされるのです。

 

 

 

さらに主イエスは、聖霊に導かれて救い主、神の子の働きを始められます。それが、12節の「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」という御言葉です。

 

 

 

この「“霊”」は、ここでは聖霊という意味です。洗礼者ヨハネが主イエスに洗礼を授け、主イエスが天から聖霊を受けられて以来、主イエスの活動は常に聖霊に導かれ、守られ、聖霊の御力によって主イエスは悪霊を追い出され、病気を癒され、奇跡を行われます。

 

 

 

だから、マルコによる福音書は、「“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」と記しています。

 

 

 

送り出した」と過去形ですが、マルコは「送り出す」と、現在形で書いています。マルコは、現在形を用いて活き活きと主イエスの救い主、神の子の御業を描いているのです。

 

 

 

続いて13節前半で、聖霊が主イエスを荒れ野に送り出された目的を、こう記しています。「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。

 

 

 

主イエスは、40日間荒れ野に留まり、サタンから誘惑を受けられました。

 

 

 

荒れ野」は、ヨルダン川低地の荒野です。主イエスの公生涯、すなわち、福音宣教は、荒れ野で始まります。聖霊に導かれて主イエスは、40日間ヨルダン川沿いの低地の荒れ野で過ごされ、サタンから誘惑を受けられました。

 

 

 

預言者イザヤは、「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ(イザヤ40:3)と預言し、洗礼者ヨハネがメシアの道を、荒れ野に備えました。

 

 

 

主イエスは洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼によってメシアの道を備えた荒れ野で救い主の働きを始められたのです。

 

 

 

それが、主イエスが洗礼を授けられた出来事に続いて、主イエスがサタンから誘惑されたという出来事でありました。

 

 

 

マルコによる福音書は、サタンが主イエスをどのように誘惑したかという内容は記していません(マタイ4:111,ルカ4:113)

 

 

 

しかし、荒れ野が人の肉体にとって困窮の場所であることとサタンから誘惑を受けられたのが主イエスであることは明白です。

 

 

 

マルコは、初代教会の主イエスについてのこの短い物語伝承を用いて主イエスがサタンの誘惑に勝利されたことを伝えようとしているのです。

 

 

 

サタンの誘惑の目的は、神が愛する子、心に適う者と言われた主イエスを、神に不従順な者に誘惑すること、それによって主イエスの救い主としての資格をはく奪することでした。

 

 

 

主イエスは、サタンの誘惑を退けられることで、天が裂かれ、御国の入口が開かれ、わたしたちをその御国の相続人として入れるようにしてくださったのです。

 

 

 

ここにはっきりと書いていないので、わたしたちは推測する以外にありません。旧約聖書の創世記第3章で人類の代表者であるアダムとその妻エバが蛇、すなわち、サタンから誘惑を受けて、主なる神が禁じられた善悪を知る木の実を取って食べました。彼らの不従順によって人類は堕落し、御国の入口が閉ざされました。

 

 

 

しかし、主イエスがサタンからの誘惑を退けられたので、主イエスを信じるすべての者たちに御国の入口が開かれ、御国へと招かれるのです(マルコ1:1415)

 

 

 

その喜びの象徴が13節後半の御言葉です。「その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

 

 

 

主イエスは獣と共存されていました。神が世界を造られ、人間や獣を造られた時、アダムとエバは獣たちと共存していました。

 

 

 

そして天使たちは、荒れ野で主イエスに仕えていました。

 

 

 

仕える」は、本来食卓の世話をすることです。給仕の仕事です。それが広く生計のために配慮するという意味となり、一般に仕えるという意味になりました。奴隷が主人に仕えるという従属関係ではなく、誰それの利益を図ってなされる奉仕という意味です。

 

 

 

天使たちは、荒れ野で主イエスの食事を世話し、主イエスに仕えていたのです。

 

 

 

さて、今朝の御言葉から「試みられる」ことと「仕える」ことを思い巡らせて、わたしたちの今の信仰を、主イエスの弟子としての歩みを顧みたいと思います。

 

 

 

主イエスがサタンから誘惑を受けられたのは、救い主の使命を果たすためでありました。しかし、主イエスが洗礼を受けられて、わたしたち罪人とひとつに連帯されたように、主イエスがサタンから誘惑され、父なる神に十字架の死に至るまで従順を示されたのは、洗礼を授けられ、聖霊をいただき、聖化の道を歩むわたしたちのためでもありました。

 

 

 

主イエスが父なる神に仕えて、十字架の道を歩まれたように、わたしたちも主に仕えて、御国への道を歩むのです。わたしたちにとってこの世は荒れ野です。主に従い、主に仕えて、聖化の道を歩もうとするならば、わたしたちも主イエスのように試練に向けて備えなければなりません。謙虚に聖霊に依り頼み、サタンからの誘惑、この世からの誘惑に対して備えていなければなりません。

 

 

 

御国に至るまでには、この世でわたしたちは多くの苦難を、試みを経なければならないでしょう。サタンとこの世からの誘惑に打ち勝てる道は一つです。主イエスのように聖霊に依り頼むことです。

 

 

 

次に仕えることは、主イエスによって方向付けられているキリスト者の大切な態度です。

 

 

 

わたしたちにとって奉仕は、神の愛と恵みに対する応答です。だから、奉仕は自分のために、自分の利益のためにするのではありません。隣人の益のために、神を愛するゆえに奉仕するのです。

 

 

 

主イエスは御自身の命をわたしたちに献げて、わたしたちに仕えられました。今もこの礼拝を通して、主イエスは御言葉と礼典によってわたしたちの救いのために仕えてくださっています。わたしたちは主に愛されたから、主と隣人を愛するのです。それをわたしたちの生活で表現するならば、奉仕であると思います。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

主イエス・キリストの父なる神よ、マルコによる福音書第11213節の御言葉を学び機会を与えられ、感謝します。

 

 

 

サタンから誘惑された主イエスは、聖霊に依り頼まれて、サタンに打ち勝たれました。

 

 

 

わたしたちも聖霊に依り頼み、聖化の道を歩み、サタンとこの世の誘惑に備えさせてください。

 

 

 

天使たちが主イエスに仕えたように、わたしたちも神の愛と主イエスの恵みに応えて隣人の益のために仕えることができるように導いてください。

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

8月11日 礼拝説教
マルコによる福音書 第1章 12~13節
190811_001_03.MP3
MP3 オーディオファイル 28.9 MB

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