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礼拝説教 (2020年7月26日)

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詩編説教116               主の2020年7月26日

わたしは主を愛する。わたしは主を愛する。

主は嘆き祈る声を聞き まことに主は聞かれる、わたしの嘆き祈る声を。

わたしに耳を傾けてくださる。 主はわたしに耳を傾けてくださるから、

生涯、わたしは主を呼ぼう。 そしてわたしの日々、わたしは呼ぼう。

 

死の綱がわたしにからみつき わたしを取り囲んだ、死の縄が

陰府の脅威にさらされ 陰府の責め苦がわたしに臨んだ。

苦しみと嘆きを前にして わたしは苦しみと嘆きに出会った。

主の御名をわたしは呼ぶ。 そして主の御名を、私は呼ぼう。     

「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」「ああ主よ、わたしの魂を逃

れさせてください。」

主は憐れみ深く、正義を行われる。 主は恵み深く正しく、

わたしたちの神は情け深い。 わたしたちの神は憐れみ深い。

哀れな人を守ってくださる主は 主は未熟な者を守られる。

弱り果てたわたしを救ってくださる。わたしは低められた。すると彼はわたし

わたしの魂よ、再び安らうがよい を救った。帰れ、わたしの魂よ、わたしの

主はお前に報いてくださる。 憩いの場に。主がお前に報いてくださるから。

 

あなたはわたしの魂を死から まことにあなたは助け出した、わたしの魂を死

わたしの目を涙から から。わたしの目を涙から

わたしの足を突き落とそうとする者から わたしの足をつまずきから。

助け出してくださった。 

命あるものの地にある限り わたしは歩もう、主の御前で、生ける者の地で。

わたしは主の御前に歩み続けよう。 

わたしは信じる わたしは信じた。

「激しい苦しみに襲われている」と言うときも わたしは「とても惨めである」

不安が募り、人は必ず欺く、思うときも。と言うときも。わたしは不安にから

                   れ、「人はすべて欺く」と言った時も。

主はわたしに報いてくださった。 何をわたしは返せるだろうか、主に。

わたしはどのように答えようか。 わたしの上に施された主の恵みのすべてに。

救いの杯を上げて主の御名を呼び 救いの杯を、わたしは上げよう。そして主

満願の献げ物を主にささげよう  の御名を、わたしは呼ぼう。わたしの誓願

主の民すべての見守る前で。を、主に、わたしは果たそう。さあ彼の民すべての前で。

主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。主の目に貴い、彼の聖徒たちの

どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。 死は。主よ、まことに

わたしはあなたの僕。わたしはあなたの僕、わたしはあなたの僕、あなたの

わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。婢の子、わたしの枷を解いてく

あなたに感謝のいけにえをささげよう ださった。あなたにわたしは献げよう、

あ主の御名を呼び 感謝の犠牲を。そして主の御名を、わたしは呼ぼう。

主に満願の献げものをささげよう わたしの誓願を、わたしは果たそう。

主の民すべての見守る前で さあ彼の民すべての前で。

主の家の庭で、エルサレムのただ中で。主の家の前庭で、エルサレムよ、

ハレルヤ。  あなたの真ん中で。 ハレルヤ。

                   詩編第116119

 

説教題:「われらの死は主の目に価高い」

さて、今朝の詩編116編は、個人の感謝の歌であります。

 

 今朝の詩編116編は、詩人が経験した主なる神の恵み、救いに対して感謝の応答として、彼は生涯エルサレムの神殿で主なる神を礼拝し、賛美し、主の僕として仕え、服従して生きると歌っているのです。

 

34節と811節において、詩人が重い病と苦難から主なる神に救われた体験と彼がどんなに主なる神に信頼しているかを、57節、10節において歌っています。

 

そして、詩人は、主なる神の恵みの救いに対する感謝の応答を、神殿の礼拝において満願の献げ物を主なる神にささげることで、すると歌っているのです。

 

それが、2節、9節、1214節、1719節です。

 

詩人は、主なる神に瀕死の状態の時に、回復を祈りました。その祈りを、主なる神は聞き届けてくださり、彼を癒されました。また、彼は悪人(不信仰な者)に苦しめられました。命を狙われ、不安の中で、周りの人々には欺かれ、まさに四面楚歌の中で主なる神に苦難からの救いを祈りました。

 

主なる神は、5節で詩人が「主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。」と告白し、賛美していますように、彼の主なる神への信頼と祈りに答えてくださり、彼を苦難の中からヨブ記のヨブのように救い出してくださいました。

 

67節を御覧ください。「哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる。わたしの魂よ、再び安らうがよい 主はお前に報いてくださる。」

 

「哀れな人」は、詩編198節と詩編119130節では「無知な者」(口語訳)と訳しています。昨年12月に聖書協会は新しい日本語訳聖書が出版しました。『聖書協会共同訳』です。それには、「未熟な者」と訳しています。「経験の足りない者」という意味です。

 

詩人は老人ではありません。若いと言っても、30代、40代だったでしょう。人生これからという若さで、重い病で瀕死の状態になりました。老いを重ねて、人の偽りを見抜く経験もなく、身を命の危険にさらしました。

 

「哀れな人」は意訳です。訳者が病める詩人、苦難の詩人をイメージしたのでしょう。若き日々を、重い病気で苦しみ、悪人に苦しめられて、人生の苦境に立ち、毎日死と向き合い、詩人は死の恐怖と涙で過ごしていました。そのイメージから「哀れな人」「弱り果て」という言葉が生まれたのでしょう。「弱り果て」は「低められ」「貶められ」(口語訳・新改訳)という意味の言葉です。

 

 詩人は、未熟な者で人生経験が足りなかったでしょう。若いのに重い病を得て、日々苦しみ、涙で過ごしたでしょう。また、悪人、すなわち、身近にいる不信仰な者たちに欺かれて、命の危険に陥ったでしょう。

 

しかし、彼は、1節で「わたしは主を愛する」という信仰体験をしたのです。詩人は感謝するのではない。主なる神を愛するという信仰体験をしました。

 

その主を愛するという信仰体験をした理由は、2節で「主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。」という彼の体験にあります。

 

彼は、明確に表現しませんが、わたしは、この詩人の「わたしは主を愛する」という告白を、こう理解します。彼が主を愛するのは、主が彼を愛されたからです。

 

詩人が瀕死の状態から回復され、命の危険から救い出されたのは、主なる神の憐れみであり、正義でありました。主なる神は神の民との契約を忠実に守られました。だから主は彼の祈りを聞き入れてくださいました。彼の病を癒され、彼を命の危険から救い出してくださったのです。主なる神が民との契約に忠実であられることこそ、神の真実であり、愛です。

 

主なる神は彼の先祖アブラハムと契約を結ばれました。彼と彼の子孫の神となられ、アブラハムと彼の子孫は神の民となりました。それから主なる神は、奴隷の地エジプトから解放した神の民イスラエルとシナイ山で契約を結ばれました。主なる神は彼らの神となられ、彼らは主なる神の民となりました。

 

こうして神の民が主なる神の御前に生きることこそ、彼らにとって命の道となりました。詩人は、救いの体験を通して契約の神である主が恵み深く、正義を行われ、誠実で、愛あるお方であると信じ、信頼したのです。

 

だから、彼は、主なる神を愛して、生涯、主の御名を賛美し、エルサレム神殿で主なる神を礼拝し続けると歌っているのです。それが、詩人にとって死から救われた者の命の道なのです。

 

この詩編からわたしたちが学びますことは、神への信頼はわたしたちの祈りが神さまに聞かれたという信仰体験にあることです。

 

詩人は、その信仰体験によって主なる神が神の民イスラエルの契約の神であることの恵みを体験しました。その告白が「主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い」です。だから、彼は、続けて10節でこう告白するのです。「わたしは信じる 『激しい苦しみに襲われている』と言うときも、不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。」

 

詩人は、主なる神が契約の神として、彼がどんな絶望の状態にあろうと、命の危険にあろうと、真実で、誠実で、愛あるお方であることを信じると歌っています。

 

話は脱線するかもしれませんが、わたしは口語訳聖書、新改訳聖書、そして新共同訳聖書を礼拝で使用する聖書として用いてきました。近年の聖書学の格段の進歩によってわたしたちは、聖書の原文に近い翻訳聖書を読めるようになりました。これは素晴らしいことです。しかし、わたしたちの心に響く信仰の言葉は学問の進歩とは関係がないようです。

 

56節の御言葉を、口語訳聖書は次のような日本語で訳しています。「主は恵み深く正しくいらせられ、われらの神はあわれみに富まれる。主は無学な者を守られる。わたしが低くされたとき、主はわたしを救われた。」

 

この詩編で次に学びますことは、真逆の真理です。わたしたちの幸福は、毎日が楽しいことですか。この世おいて富めることですか。人生で成功することですか。有名な大学に合格し、一流と呼ばれる企業に就職し、学者となり、博士となり、名誉を得ることですか。健康でスポーツができることですか。毎日自分の意志で自由に生きることですか。

 

主なる神に救われた詩人は、そのようなこの世の人々の求める幸せに背を向けています。この世の人々の全く関心のない神を礼拝する人生に幸いを見出だしています。

 

主なる神に瀕死の状態から回復され、命の危険がある苦難から救われたのに、彼はなおこの世において自分の身に苦難があり、不安がある時も、主なる神に信頼すると告白しています。

 

詩人は、自由であること、富めることを賛美していません。むしろ、1219節で詩人は、主なる神に救われた恵みに、どう答えようかと言って、主なる神に主の僕、すなわち、主なる神の奴隷として服従を誓っています。

 

主なる神のために、自分の身を不自由にして、主なる神の民として生涯生きると誓っています。

 

15節で詩人が「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。」と歌っていますね。聖書協会共同訳は、「主に忠実な人たちの死は 主の目に重い」と訳しています。原文に忠実な訳です。

 

「主に忠実な人たち」とは、聖徒たちのこと、神の民イスラエルとキリスト者たちのことです。主なる神の契約に忠実に従って生きている者たちのことです。詩人は、彼の癒しの体験と苦難からの救いの体験を通して、主なる神は御自身の契約に忠実に生きる神の民たちを空しく滅ぼすようなお方ではないと、信頼しているのです。

 

この世の人々が目を背けること、見たくないと思うもの、何よりもこの世の人々は自分が低められることを避けようとします。病気になること、貧しくなること、無視されること等です。

 

しかし、詩人は、神の民の死を、主なる神は尊ばれると歌っています。そして詩人は、続いて16節で主に救われた自分が主の奴隷であると告白します。彼は、主の御前に一生涯主の奴隷として低められた人生を生きると誓っているのです。

 

このようにお話ししていて、わたしがこの詩編を理解しているのかは、疑わしいです。健康が与えられ、身に危険がなく、ほどほどに自由に生き、悩みと言っても、死ぬほどの苦しみではなく、毎日涙を流すこともなく、不安に恐怖することもなく、今日の一日を感謝して、過ごしているのです。

 

しかし、幸いなことは、信仰の体験は自分が体験しないと理解できないわけではありません。わたしたちの感性は共感するという神の恵みの賜物があります。

 

ご存知の方もあると思います。ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁に、次のような詩があります。

 

大きなことを成し遂げるために/力を与えてほしいと神に求めたのに/謙遜を学ぶようにと弱さを授かった/偉大なことができるように/健康を求めたのに/よりよきことをするようにと病気を賜った/幸せになろうとして/富を求めたのに/賢明であるように/貧困を授かった/世の人々の賞賛を得ようとして/成功を求めたのに 得意にならないようにと失敗を授かった/求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞きとどけられた 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず 心の中に言い表せない祈りは/すべて叶えられた 私は最も豊かに祝福されたのだ

 

詩編116編は、現代この詩によって再びわたしたちの心に届けられているのです。116編とニューヨーク大学の研究室にあるこの詩は、次代を越えて主なる神の契約に生きる神の民の幸いを教えています。それは、人が求めて得るものではなく、主なる神の愛に答えて、主なる神の祝福の中を生きることなのです。

 

そのために詩編116編とこの詩の間で神の愛を主イエス・キリストが現わしてくださいました。御自身の身を低くして、神の御子が十字架の死に至るまで父なる神に服従されました。そのキリストのヘリ下りによって、わたしたちはこの世で得られない永遠の命に祝福に与っているのです。

 

 お祈りします。

 

 イエス・キリストの父なる神よ、詩編116編の御言葉を学べる恵みを感謝します。

 

どうか、詩人のように、わたしたちも主なる神が祈りに答えてくださったという信仰体験を通して神を愛する信仰へ、神を信頼する信仰へとお導きください。

 

今朝の詩編の御言葉を通して、わたしたちは真逆の真理を教えられました。この世が求めるものが、わたしたちを幸いにするのではなく、幸いはわたしたちの低さに関わらず、神が与えてくださる祝福であるということを学び感謝します。

 

どうか、キリストの十字架の愛に答えて、主の僕として、この教会で礼拝生活を過ごさせてください。

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

7月19日
マルコによる福音書7章1~23節
200719_001_02.MP3
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