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礼拝説教 (2019年4月7日)

 

ガラテヤの信徒への手紙説教12       主の2019年4月7

 

しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束の相続人です。

 

            ガラテヤの信徒への手紙第32529

 

 

 

説教題:「約束の相続者-キリスト者の立場」

 

 

 

本日は、ガラテヤの信徒への手紙第32529節の御言葉を学びましょう。

 

 

 

25節でパウロは、次のように述べています。「しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。

 

 

 

この「信仰が現れた」は、「真実が到来した」です。その「信仰」と「真実」は十字架のキリストの出来事のことです。主イエス・キリストは御自身の十字架を通して、ユダヤ人をモーセ律法の呪いから解放されました。更に主イエス・キリストは、父なる神の御救いの御計画に沿って、異邦人たちをアブラハムの約束の祝福へと招かれ、彼らを神の子とされました。

 

 

 

だから、パウロはガラテヤの諸教会の異邦人キリスト者たちに25節でこう伝えているのです。「あなたがたはわたしの語る福音によって十字架のキリストにより罪の赦しを得、神の子とされたのだから、もう養育係としての律法の下にいる必要はないのだよ」と。

 

 

 

そこでパウロは、ガラテヤの諸教会の異邦人キリスト者たちに26節で「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」と宣言しています。

 

 

 

パウロのこの宣言は、異邦人キリスト者が神の民ユダヤ人と同様に「神の子」たる立場を得、アブラハムの約束の祝福を相続できる根拠を提示しているのです。

 

 

 

パウロにとって十字架のキリストの出来事は、父なる神と御子キリストとの永遠の契約がこの世界において実現し、その救いがユダヤ人だけでなく異邦人にも及ぶという決定的な事件でした。

 

 

 

26節でパウロが言おうとしていることは、次のことです。「十字架のキリストという真実がユダヤ人たちをモーセ律法の呪いから解放し、異邦人たちをアブラハムの約束の祝福にあずからせ、神の子とした」と。

 

 

 

イエス・キリストに結ばれて」は、「イエス・キリストの中へ」「イエス・キリストにあって」というキリスト者の体験を表わす表現です。

 

 

 

だから、パウロはガラテヤの諸教会の異邦人キリスト者たちに彼らの立場が神の子であることをどのように体験したかを述べているのです。

 

 

 

パウロは「信仰により」と言っています。もっと分かりやすく言えば、「あなたがたは十字架のキリストに寄り頼むことにより、アブラハムの約束を意識すべきである。あなたがたの立場は神の子であるから」と。

 

 

 

そして、パウロは、27節で彼らがどのようにして神の子の立場を獲得したかを説明しているのです。

 

 

 

洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

 

 

 

キリスト者の洗礼という体験を根拠に、パウロは、キリスト者がどのように神の子の立場を得たかを語ります。

 

 

 

洗礼は、わたしたちの目に見える神の恵みの手段です。「洗礼を受けてキリストに結ばれた」は意訳でして、パウロは「キリストにまで洗礼される」と述べています。

 

 

 

田中剛二先生は、パウロの「洗礼を受けて」を、「新約聖書では、特にキリストの命によってたてられた洗礼の礼典について用いられる。」と説明されています。そして、次のような意味があると述べられています。「それは、我々がキリストに結合されたこと、契約の恩恵にあずかること、キリストのものとされたことを印章する礼典である」(『ガラテヤ書講義』田中剛二著作集 第三巻 P243)

 

 

 

わたしたちは、洗礼を受けてキリストとの新しい命の関係に入れられたのです。それを、パウロは「キリストを着た」と表現しています。

 

 

 

本来神の子でない異邦人キリスト者たちが洗礼を受けてキリストという衣服を着て、神より罪も汚れもない神の子と宣言されるのです。

 

 

 

後にパウロは、この手紙の46節で、キリスト者の洗礼と神の子の立場を結び付けるのが聖霊であることを言及しています。

 

 

 

改革派教会の洗礼のやり方は頭に水を垂らすという滴礼です。教派によって洗礼のやり方が異なります。洗礼者ヨハネのように川に洗礼者の身を沈めるやり方もあります。

 

 

 

パウロは、キリスト者が神の子であるという立場が、神が「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かりますと言っています。

 

 

 

ある学者が興味深いことを述べています。パウロがガラテヤの諸教会で異邦人たちに洗礼を授けたのではないか。その時洗礼は浸礼でなされ、水から出た時に洗礼を受けた者が歓喜の叫びを上げた。それが「アッバ、父よ」という言葉だったと。そこからパウロは洗礼と神の子の立場を結び付けたのではないかというものです(浅野淳博『NTJ 新約聖書注解 ガラテヤ書簡』日本キリスト教団出版局 P310311)

 

 

 

興味深い見解ですが、想像の域をでません。

 

 

 

大切なことは、28節のパウロの御言葉です。洗礼がガラテヤの諸教会の異邦人キリスト者たちを、キリストにあって一つとしました。

 

 

 

それを根拠にパウロは、この世におけるあらゆる差別を退けています。十字架のキリストに寄り頼み、洗礼を受けたてキリストと結ばれたキリスト者の立場は神の子というものだけです。この世に存在する貧富の差、男女の差、身分の差、人種の差はありません。皆、キリストにあって神の子なのです。そして、皆、アブラハムの約束の相続者なのです。

 

 

 

そして、教会には民族的立場、社会的立場、性的立場は存在せず、キリスト者は皆神の子であるという立場があるだけです。この事実を洗礼が象徴しているのです。ユダヤ人が強制した割礼は、男子だけでした。女子はありませんでした。

 

 

 

洗礼によって表された「男も女もない」とは、本来の旧約聖書の創世記127節の御言葉の回復であります。

 

 

 

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

 

 

 

パウロは、神が「男と女に創造された」という創造の秩序を否定しているのではありません。人間の罪と堕落によって歪められた男が女を支配するという関係を否定しているのです。男も女も等しく創造者と対話し、応答できる者として創造されました。神は女を男が人間として生きるためのパートナーとして創造されました。だから、男女が父母と離れ、一人の人間となり、互いが補い合って、創造者なる神の栄光を表わし、「産めよ、増えよ」と祝された神の祝福の豊かさに生きることを願われたのです。

 

 

 

2021世紀になり、今や、家庭も学校も会社も、そして地域社会、そして世界中で男女の間にある性差の垣根を撤廃しようとしています。その動きに、教会も敏感に応じるべきでしょう。

 

 

 

パウロは、洗礼をそのしるしと見たのです。教会の洗礼が男女の性差を、社会層の差別を、そして人種差別を取り除くしるしだと見たのです。それは、パウロの語る福音そのものでした。キリストの十字架がすべての敵意の垣根を退けたのです。

 

 

 

キリストの十字架によって、異邦人は贖われて、キリストのものとなりました。パウロはアブラハムの約束がキリストに与えられたと述べていました(316)ので、29節で彼はキリストのものとされた異邦人キリスト者たちはアブラハムの子孫であり、彼の約束の相続者であると述べているのです。

 

 

 

今朝はここまでにしたいと思います。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

主イエス・キリストの父なる神よ、ガラテヤの信徒への手紙の第32529節の御言葉を学べる機会が与えられ、感謝します。

 

 

 

ガラテヤの信徒への手紙を、1節ずつを学んでいますが、どうか忍耐して学ばせてください。

 

 

 

神の恵みの契約を学ばせてください。父なる神と御子キリストの永遠の契約に基づいて、神は永遠の救いの計画を立てられ、キリストによって実行し、実現され、今わたしたちの教会の宣教を通して完成へと導かれています。

 

 

 

どうか、わたしたちがパウロの御言葉を聞くことで、わたしたちの礼拝、活動、奉仕等が神の永遠の救いのご計画の一部であることを信じさせてください。

 

 

 

今朝のその学びを通して、わたしたちもキリストの十字架によって贖われ、キリストのものとされたアブラハムの子孫であり、神の子であり、天の御国の相続人であることを信じさせてください。

 

 

 

わたしたちは、今朝、御言葉と共に聖餐の恵みにあずかります。キリストはアブラハムの時代に、ダビデや預言者たちの時代におられ、使徒たちの時代におられ、今朝もわたしたちと共にいてくださっていることを信じて、キリストとにある喜びにあずからせてください。

 

 

 

次週より受難週に入ります。キリストの受難の1週間を共に歩ませてください。421日のイースターには心から喜び、主はよみがえられたと告白し、兄弟姉妹と共に喜び祝わせてください。

 

 

 

この祈りと願いを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

4月7日 礼拝説教
ガラテヤの信徒への手紙 第3章 25~29節
190407_001_02.MP3
MP3 オーディオファイル 39.6 MB

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