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クリスマス月間 礼拝説教 (2018年12月9日)

 

クリスマス月間説教02     主の2018年12月9

 

 

 

 主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。

 

 「二人の男がある町にいた。

 

 一人は豊かで、一人は貧しかった。

 

豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。

 

貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに

 

   何一つ持っていなかった。

 

彼はその小羊を養い

 

   小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて

 

彼の皿から食べ、彼の椀から飲み

 

彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようであった。

 

ある日、豊かな男に一人の客があった。

 

彼は訪れて来た旅人をもてなすのに

 

自分の羊や牛を惜しみ

 

貧しい男の小羊を取り上げて

 

自分の客に振る舞った。」

 

 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を支払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う。』」

 

ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」ナタンは自分の家に帰って行った。

 

主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼はひきこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。

 

七日目にその子は死んだ。家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。「お子様がまだ生きておられたときですら、何を申し上げてもわたしたちの声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。何かよくないことをなさりはしまいか。」ダビデは家臣がささやき合っているのを見て、子が死んだと悟り、言った。「あの子は死んだのか。」彼らは答えた。「お亡くなりになりました。」ダビデは地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝した。王宮に戻ると、命じて食べ物を用意させ、食事をした。家臣は尋ねた。「どうしてこのようにふるまわれるのですか。お子様の生きておられるときは断食してお泣きになり、お子様が亡くなられると起き上がって食事をなさいます。」彼は言った。「子がまだ生きている間は、主がわたしを憐れみ、子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ、断食をして泣いたのだ。だが死んでしまった。断食したところで、何になろう。あの子を呼び戻せようか。わたしはいずれあの子のところに行く。あの子がわたしのもとに帰って来ることはない。」

 

 

 

                         サムエル記下第12123

 

 

 

  説教題:「罪と絶望から神へ」 上諏訪湖畔教会牧師 足立 正範

 

今朝は、ダビデ王の物語からクリスマスのメッセージを聴きたいと願っています。

 

 

 

 さて、ダビデ王の物語はサムエル記上下にあります。

 

 

 

 サムエル記は、ダビデ王の物語ですが、サムエルの誕生物語から始まります。

 

 

 

最初のイスラエルの王はサウルです。彼は紀元前1030年に王に即位します。彼の治世は20年で終わりました。

 

 

 

サウルに続き、ダビデが紀元前1010年にイスラエルの王に即位しました。彼は神の民イスラエルを統一し、ダビデ王国を建てました。そして王国の都をエルサレムに定め、神の幕屋をその都に移しました。

 

 

 

ダビデは40年間王国を治めました。紀元前970年ごろに亡くなりました。

 

 

 

さて、サムエル記上下は、わたしたち読者にダビデ王の栄光と影の生涯を伝えています。

 

 

 

彼は羊飼いから身を起こして、イスラエルの王となりました。若き日のダビデを、サムエル記上は次のように描写しています。「彼は血色がよく、目は美しく、姿も立派であった」(サムエル記上16:12 聖書協会共同訳)と。若きダビデは、サウルの息子ヨナタンに愛され、サウルの娘ミカルに愛されました。

 

 

 

サムエルがダビデに油を注ぎ、主が彼をイスラエルの王になさると、主の霊が激しく彼に下りました(16:13)。主は豊かに彼を祝福し、サウル王の迫害から彼の身を何度も守られ、サウル王の死後、彼の王国をダビデに賜りました。こうしてダビデは王国を確立しました。

 

 

 

ところが、ダビデ王が王国を確立し、彼が安定を得ると、サタンが巧みにダビデ王を誘惑したのです。

 

 

 

この世では、それを「魔が差す」と言いますね。わたしたちの心の中にふと悪心が起こることです。この悪心を、英語は「エビル スピリト」と表現しています。「悪の心」「悪の精神」という意味でしょう。

 

 

 

サムエル記は、わたしたち読者にサムエル記上の16章からサムエル記下の10章までビデ王の栄光を伝えています。そして、サムエル記下の11章からダビデ王の影を伝えています。

 

 

 

影とはダビデ王の罪とその悲惨さです。

 

 

 

ダビデ王の生涯で最大のスキャンダルは、サムエル記下の11章でダビデ王が姦淫と殺人の罪を犯したことでしょう。

 

 

 

ダビデは、彼の家臣ヘテ人ウリヤの妻と姦淫しました。そして彼はウリヤに知られないように、彼をアンモン人たちの手で殺させました。そして、ダビデはウリヤの妻を自分のものとしたのです。

 

 

 

ダビデに姦淫と殺人とむさぼりの罪を犯させたのは、エデンの園でエバを誘惑した蛇、すなわち、サタンです。善悪を知る木の実を見たエバは、食べるように誘惑されました。王宮の屋上で入浴するウリヤの妻の姿を見たダビデは自分のものにしたいという誘惑から逃れられませんでした。

 

 

 

人はだれでも目で見て、心に悪心を起こすのです。どうしても欲しいと思うのです。悪魔の心に理性が働かなくなります。

 

 

 

 この自分の心の中に悪魔の心が起こるということの恐ろしさは、それが人間の日常生活の中で起こるからです。

 

 

 

 ダビデの姦淫と殺人とむさぼりの罪は、ダビデ個人の罪でも、彼に固有の罪でもありません。サムエル記はわたしたち読者に次のように伝えたいのです。このダビデの罪の物語を読み、また、説教で聞くあなたも。あなたの日常生活の中でこの罪の可能から逃れられないのだと。

 

 

 

 さらに、恐ろしいのは、わたしたちの日常生活の中でこの罪の可能性があるだけではありません。ダビデのように、自分ではこの罪を、罪として自覚できないのです。

 

 

 

 だから、主なる神は、預言者ナタンをダビデに遣わされ、彼の罪と裁きを宣告されたのです。

 

 

 

 ナタンは、ダビデ王に子供にも分かるたとえ話をしました。

 

 

 

ある町に二人の男が住んでいました。金持ちと貧乏人です。金持ちは当然たくさんの羊を持っていました。貧乏人は彼が貧しい生活で蓄えたお金で、雌の小羊を買いました。彼にはこの小羊の他に何もありませんでした。だから、彼と彼の家族は小羊を大切に育てました。まるで彼は自分の娘のように育てました。ある日、金持ちの家に旅人が来ました。神の民イスラエルは旅人をもてなす習慣がありました。金持ちは、旅人をもてなす料理のために自分の羊を用いることが惜しくなりました。その時に彼の心に秋間の心が起こりました。彼は、その貧乏人にお金を貸していたのでしょう。貧乏人から小羊を取り上げて、旅人をもてなす料理にその小羊を使いました。

 

 

 

そのお話を聞いたダビデ王は、金持ちに激しい憤りを覚えて、「主は生きておられる。彼は死罪に当たる」と告げました。そしてダビデは、「金持ちは貧乏人に小羊の代償として4倍の償いをすべきだ」と告げました。

 

 

 

その時です。ナタンがダビデ王に言いました。「この金持ちはあなただ。主はこういわれる」と。

 

 

 

主は、ダビデの罪を追及されます。その罪とは、主なる神がダビデに施された恵みの数々を侮るものでした。

 

 

 

主はダビデをイスラエルの王としてくださいました。サウルの迫害からダビデを何度も救い出してくださいました。サウル王の死後、彼の王家をそのままダビデに渡してくださいました。ダビデ王は王位を継承し、サウル王家と彼の妻たちを引き継いだのです。ダビデが望むなら、主は何でも与えられました。

 

 

 

主の恵みに、ダビデは、悪でもって答えました。彼は人の目に隠れて、悪を働きました。それを、主は見ておられました。それが、ダビデが家臣のヘテ人ウリヤを殺し、彼の妻を奪った悪事でした。

 

 

 

主はダビデの罪に対して10節で裁きを宣告されました。

 

 

 

剣が永遠にダビデの家から離れることはないと。

 

 

 

剣は、ダビデ家への主なる神の災いです。

 

 

 

この罰の預言は、長男アムノン、三男アブサロム、そして四男のアドニアの不慮の死で実現しました。ダビデの罪によってダビデ家に次々と不幸が訪れました。

 

 

 

特にダビデ家の最大の危機は、三男アブサロムが父ダビデに反旗を翻した事件です。彼は、ダビデの王位を奪い、ダビデの妻たちを白昼堂々と奪いました。ダビデが隠れてした罪を、だれの目にも見えるように行いました。

 

 

 

ダビデ王は、主の御前で「わたしはあなたに罪を犯しました」と告白しました。だから、ナタンはダビデに罪の赦しを告げました。

 

 

 

しかし、ダビデが主を侮り、犯した罪は消えません。まるでダビデの身代わりになるように、ダビデとウリヤの妻との間に生まれた子が死ぬと、ナタンはダビデに告げています。

 

 

 

 ナタンの預言通りに、彼女が産んだ子は、主に打たれて、重い病気になりました。ダビデは、断食して、主に子を助けてくださるように祈りました。断食は通常子供が死んだときに親が悲しみを表す行為でした。だから、ダビデの家臣たちはダビデの行為に戸惑ったのです。

 

 

 

しかし、ダビデの祈りと断食で、主は御心を変えられませんでした。子は七日目に亡くなりました。子供の死を知ると、ダビデは断食と祈りを止め、家に戻り、日常の生活をしました。このダビデの行為も、家臣を戸惑わせました。

 

 

 

ダビデは家臣に彼の行為を弁明しています。そこにわたしたちはダビデの信仰を見ることができるでしょう。

 

 

 

彼は主の憐れみにすがりました。子が悪いことをした時に、親は子を叱り、厳しいことを言います。ダビデは、親に叱られた子のように、主の御言葉を聞きました。親は、子が心から親に謝れば許してくれるでしょう。ダビデは主が親と同様に自分を憐れんでくださると信じて、断食と祈りをしました。

 

 

 

このダビデの信仰の姿勢を、わたしたちは学ぶべきだと思います。ダビデは、主の御言葉を決して運命的に受け取ろうとしませんでした。主が告げられた御言葉であっても、真実に求めれば変えてくださると、彼は信じて断食と祈りをしたのです。ダビデはどんなことでも主に祈って得ようと願いました。

 

 

 

ダビデは、祈って得られませんでしたが、子の死の現実をしっかりと受け止めました。人の死は、こちらでは変えられません。死んだ人間を生き返らせ、この世界にとどめることはできません。しかし、わたしたちは死に、死んだ者たちのところへは行けるのです。

 

 

 

この世においては生から死への一方通行です。

 

 

 

しかし、この世界で1回だけ、死から生へと歩む事件が起こりました。主イエス・キリストの復活であります。

 

 

 

今朝の御言葉からどこでこのお方の福音を、わたしたちは聞くべきでしょか。

 

 

 

それは、預言者ナタンを通して主が語られたお言葉からです。

 

 

 

ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」

 

 

 

ダビデはカインとは違って、真実主の御前で自分が主に対して罪を犯したことを告白し、主に赦しを乞いました。

 

 

 

そのダビデの罪の告白に対して預言者ナタンが主の代理人として「主はあなたの罪を取り除かれる。あなたは死なない」と告げました。主はダビデの罪を赦され、再びダビデを主の交わりに入れてくださいました。彼は、主に罪を赦され、主に近づき、主を礼拝することが許されました。

 

 

 

しかし、それでも、ダビデがウリヤの妻と姦淫し、ウリヤを殺し、主を侮った悪事が消えたわけではありません。

 

 

 

ダビデはこの罪を主に赦していただきましたが、自分では贖うことができなかったのです。

 

 

 

だから、主はダビデに預言者ナタンを通して「しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」と言われました。

 

 

 

死ぬ子がダビデの罪を担うとは言われていません。しかし、ダビデの罪のゆえに、彼が主を侮ったゆえに、彼とウリヤの妻との間に生まれた子は死ぬのです。

 

 

 

明確ではありませんが、ナタンの主の御言葉には、人の罪、人が神に対して犯した罪、それによって主を侮った行いは、誰かの死によって償われなければならないという暗示があると思います。

 

 

 

ダビデの罪はこの子の命によって贖われたということを暗示しています。

 

 

 

実際にこの子がダビデの命を贖うことはできないでしょう。生まれたばかりの子であっても、罪に腐敗しているからです。

 

 

 

ではナタンの主の御言葉を、わたしたちはどう受け止めるべきでしょうか。キリストの予型として受け止めるのです。

 

 

 

ダビデの罪の身代わりに、この世で罪を犯していない産まれたばかりの子が死にました。それは、キリストの身代わりの死を暗示するのではありませんか。

 

 

 

ダビデは、未来のキリストの十字架の死の故に、預言者ナタンを通して主の罪の赦しにあずかったのです。

 

 

 

わたしたちは、死んだ子に、キリストの影を見ることが許されています。そして、今、アドベントの季節に本体であるキリストが産まれられたクリスマスに向けて準備をしているのです。

 

 

 

ダビデの子の死によって暗示された神の子、父なる神の独り子主イエスが、2000年昔にダビデ王の末から、おとめマリアから産まれられました。

 

 

 

その子は成長して、ゴルゴタの十字架で、すべての人の罪を贖われたのです。

 

 

 

その日から今日まで父なる神が永遠からご計画し、命に選ばれた者たちはすべて、罪を赦され、ダビデのように主の家、すなわち、教会に来て、主を礼拝し、主を賛美するのです。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

主イエス・キリストの父なる神よ、アドベントの第二週に入りました。

 

 

 

わたしたちは、クリスマス月間として23日までの主日にクリスマスのメッセージを聴き、クリスマス讃美歌を歌い、主を崇め、賛美します。

 

 

 

どうか、この礼拝を祝し、わたしたちの家族を、知人を、教会の近隣の方々を、諏訪地方の方々をお集め下さり、共にクリスマスを祝わせてください。

 

 

 

わたしたちがダビデと同様に主なる神の罪の赦しに生きるために、キリストが十字架で命をささげてくださったことを、常に覚えて、礼拝ごとに主を賛美させてください。

 

 

 

どうかクリスマスに、世界でダビデのように、魔が差し神を侮る行為をする者がキリストの福音を聞いて、神に対して行った罪を認めて罪を悔い、ダビデのように主の礼拝に招かれるようにしてください。

 

 

 

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

12月9日 クリスマス月間 第2週 礼拝説教
サムエル記下12章1~23節
181209_002_02.MP3
MP3 オーディオファイル 43.0 MB

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