2019年度教会聖句による説教01       主の2019127

 

また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。

 

            使徒言行録第1423

 

 

 

 説教題:「持続可能な教会を目指して」

 

 今朝は、使徒言行録第1423節の御言葉から学びましょう。

 

 

 

 使徒言行録は、常に使徒パウロの異邦人伝道に同伴し、彼の弟子であったルカが使徒ペトロとパウロの伝道を記録したものです。

 

 

 

使徒言行録は2部構成になっています。

 

 

 

1章から1535節が第一部です。

 

 

 

主に3つのことを記録しています。第一に聖霊が降臨し、エルサレム教会の12使徒たちがエルサレム神殿を中心に宣教し始めたことです。12使徒のひとり、ペトロの働き、すなわち、彼の説教と奇跡を記録しています。エルサレムからパレスチナ、シリアへと教会の宣教が広がります。

 

 

 

第二にギリシア語を話すキリスト者たちの存在を記録しています。その代表がステパナとパウロ(サウロ)です。ステパナの殉教とパウロの回心と彼が異邦人の使徒に召されたことを記録しています。

 

 

 

第三に最初の異邦人教会が生まれ、シリアのアンティオキア教会が使徒パウロとバルナバを第1回伝道旅行に派遣したことを記録しています。

 

 

 

彼らは多くの異邦人たちをキリスト教信仰に導き、諸教会を設立しました。その結果、エルサレムで使徒会議が開かれました。その会議で異邦人キリスト者たちがモーセ律法に拘束されないことを公に認めたことを記録しています。

 

 

 

1535節以下が第二部です。使徒パウロが地中海世界に、ギリシア・ローマ世界へと宣教したことを記録しています。

 

 

 

使徒言行録は、キリスト教会とキリスト者たちを3つの面から記録しています。

 

 

 

第一は、社会的な面です。

 

 

 

聖霊が降られ、使徒ペトロの説教に代表されるように、エルサレム神殿で使徒ペトロが語る御言葉への聴聞という出来事によって多くのキリスト者たちが生まれました。

 

 

 

使徒言行録は、2章でペンテコステの日の出来事を記録しています。その日に三千人のユダヤ人たちがエルサレム神殿で使徒ペトロの説教を聞き、聖霊によって心動かされ、彼らが十字架につけたキリストが復活されたと聞いて、彼らは自らの罪を知り、主イエスがキリストであることを信じたと。

 

 

 

ペンテコステの日以来、2000年間、教会の礼拝で御言葉を聴聞するという出来事を通して、キリスト者が生まれました。彼らは神の民であることを自覚し、この世に、社会の中にキリスト教会という共同体を形成しました。

 

 

 

第二は実存的な面です。

 

 

 

キリスト者はキリストのリアル・プレゼンスに生きる者たちであるということです。リアル・プレゼンスとは、「キリストの現在」という意味です。「今、ここにキリストがいます」という、常に主イエスの御前に生きることが、キリスト者として今あるという意味です。

 

 

 

牧田吉和先生が「改革派信仰とは何か」という本を書きになりました。その本の中で牧田先生は「改革派信仰とは<神の御前に>徹底的に生きる信仰である」と言われています。

 

 

 

そして、牧田先生は、「信仰には<信じる>という“生命的な事実”が何よりも前に存在するし、存在しなければならない」と書かれています。

 

 

 

キリスト者は、この世にあって主イエスを信じることで、神の命に参与している者です。その具体的な姿が、礼拝するキリスト者です。主の御言葉を聴従し、聖餐の恵みにあずかるキリスト者です。

 

 

 

使徒言行録は931節で「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」と記録しています。

 

 

 

初代教会のキリスト者たちは神の御前に徹底して生きました。彼らは教会の礼拝で神の命に参与しました。だから、彼らは常に復活の主と共にあり、どんな迫害の時も、絶えず喜びに溢れていたのです。その喜びに周りの者たちが教会に誘われ、教会は迫害の中で増え続けました。

 

 

 

第三に、使徒言行録は使徒パウロたちが教会の指導的基盤を確立したことを記録しています。「弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。」と。

 

 

 

復活の主イエスは、11弟子(使徒)たちに大宣教命令を告げられました。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。(マタイ28:19-20)

 

 

 

使徒パウロとバルナバは、主イエスの御命令を忠実に守りました。彼らは異邦人たちにキリストの福音を語り、主イエスを信じた彼らに洗礼を授けて、彼らをキリストの弟子、すなわち、キリスト教会の一員としました。

 

 

 

そして、使徒パウロは、「弟子たちのため」教会の指導的基盤を確立しました。各地に生まれた主イエスの弟子たちの信仰を守り、慰め、成長させるために、教会ごとに「長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」のです。

 

 

 

初代教会を指導する長老の任命は、神の選びと召命によって決まりました。使徒言行録の2028節です。使徒パウロはこう述べています。「どうか、あなたがた自身と群れの全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。

 

 

 

聖霊が神の教会の世話をさせるために、長老を選ばれ、召されたのです。

 

 

 

使徒パウロたちが「長老たちを任命し」とあるのは、神の選びと召しを受けた者を、彼らが按手したという意味です。そして、初代教会は按手を授けるときに、「断食して祈り」ました。

 

 

 

使徒言行録の今朝の御言葉には、この按手については記録されていません。他の聖書の箇所に按手について触れられています。テモテへの手紙一の414節です。使徒パウロは按手を受けた弟子のテモテに次のように勧告しています。「あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたときに、預言によって与えられたものです。

 

 

 

神が長老を選び、召されるのは、その人に豊かな賜物があるからではありません。むしろ、土の器の者を、神は長老に選ばれ、召されます。そして、彼に長老の按手を授けられるとき、使徒たちや他の長老たちが彼の頭に手を置きます。その時に聖霊が按手を授けられた長老に、恵みの賜物をお与えになります。そして、長老に任命された者は、その恵みの賜物をいただいて、職務を果たします。

 

 

 

どうして教会の指導的基盤を確立するために、「断食と祈り」が必要だったのでしょうか。

 

 

 

断食と祈り」は、罪人であるわたしたちが神に近づく道であります。断食すると、わたしたちは肉体的苦痛を覚えます。それを通してわたしたちは自らの深い罪を自覚します。そして神のみ前に出ます。その時ルカによる福音書のあの徴税人のように、神の御前で自分の胸を打ちたたき、熱心に祈り、自らの罪の赦しを求めるのです。主に罪を赦された者だけが、御子の血で贖われた教会の群れを憐れみ、配慮することを許されるのです。

 

 

 

最後に使徒言行録は、使徒パウロたちが「彼らをその信ずる主に任せた」と記録しています。これは、使徒パウロたちが去った後、任命された長老たちの教会における働きについて述べているのです。

 

 

 

教会の問題と働きは、最終的に主イエスの恵みに委ねる他ありません。

 

 

 

使徒パウロとバルナバたちは、主イエスに信頼し、主イエスが恵みの内に彼ら長老たちを守り、導き、彼らの任務を果たさせてくださるのと信じたのです。

 

 

 

バークレーが『使徒行伝』の注解書の中で、こう記しています。「わたしたちが仕事をするとき、自分の名誉や特権のためではなく、ただわたしたちは神のみ手におかれた道具に過ぎないとの確信から出発するとき、はじめてキリスト者の奉仕について、正しい考えをもつことができるのである。」と。

 

 

 

本当にその通りだと思います。わたしたちは、主が御心であれば、これはできると信じ、御心でなければできないと思っています。そして、日々主に土の器であるわたしたちは、聖霊の賜物という豊かな恵みを注がれて、信仰生活をしているのです。

 

 

 

「主よ、お語りください。僕は聞いております」と、少年サムエルのように、毎週主の日の礼拝に出ているのです。

 

 

 

そして、わたしは、この主の日の礼拝における御言葉への聴従がわたしたちの教会の命として、この70年間の上諏訪湖畔教会を、持続可能な教会としてきたと思うのです。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

イエス・キリストの父なる神よ、2019年となり、一か月が過ぎようとしています。新しい年も、主の恵みのうちにお導きくださり感謝します。

 

 

 

使徒言行録第1423節の御言葉を、今年の聖句に選び、今年一年を、「持続可能な教会を目指して」という教会標語の下で歩みたいと思います。

 

 

 

どうか、わたしたちの教会に長老候補者をお与えください。教会を指導する者を、主が選び、召してください。長老によって牧師が語る御言葉の実を見守らせ、教会が主の恵みと祝福の内に教会が持続できるようにしてください。70年持続した教会が80年、90年、100年持続させてくださり、それを見させてください。

 

 

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。