ウェストミンスター信仰告白56    主の20181024

 

 

 

聖書箇所:詩編第11319(新約聖書P954)

 

 

 

 「七.人間との神の契約について」の「一」

 

 

 

 神と被造物とのへだたりはまことに大きいので、理性的被造物が創造主としての神に対して服従しなければならぬ義務があるとはいえ、彼らが自分の祝福や報いとして、神を喜ぶということは、神が契約という方法で表わすことをよしとされた神の側のある自発的なへりくだりによる以外には、決してできなかった。

 

 

 

前回は、告白第七章「人間との神の契約について」を学ぶために、必要な基礎知識を学んだ。

 

 

 

今夜は、「一」節である。矢内昭二牧師は、「ここはこの章全体の総論、あるいは基礎的なことをいっている」と指摘されている(『ウェストミンスター信仰告白講解』P87)。前回学んだ神と人との契約関係そのものの意味を論じているのである。

 

 

 

 第7章一節を他の訳と比較しよう。

 

(1)  村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 神と被造物の間の隔たりは非常に大きいので、理性的被造物は、自らの創造者である神に服従すべき義務をじっさい負っているとは言え、自らの幸いまた報いとして神を喜ぶということは、神の側のある自発的なへりくだりによるのでなければ、決してあり得ないことであろう。そして、このへりくだりを神は契約という方法で表すことをよしとされたのである。

 

 

 

(2)  松谷好明訳(一麦出版社)

 

神と被造物との間の隔たりは非常に大きいので、理性ある被造物は、彼らの創造者としての神に当然従順であるべきではあるが、神の側での何らかの自発的なへりくだりによるのでなければ、自分たちの幸いと報いの源として神を喜びとすることは決してできない。このへりくだりを、神は、契約という形で表すことをよしとしてこられた。

 

 

 

鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

神と被造物とのへりくだりは極めて大きい。それゆえ、理性的被造物は、彼らの創造者としての神に服従する義務があるにもかかわらず、契約という方法であらわすことをよしとされた神の側のへりくだりがなかったなら、彼らは自己に与えられた祝福また報償として、神を喜ぶことは決してできなかった。

 

 

 

今夜は、聖書の「契約」は、神と人間との関係である。その関係の起源は神の創造である(創世記1章と2)。聖書の神は創造者であり、人間とこの世界は被造物である。創造者なる神は永遠の存在で、被造物は物的・時間的存在である。だから、ウ告白は「神と被造物とのへだたりはまことに大きい」と告白するのである。

 

 

 

理性的被造物」とは人間である。パスカルが有名な『パンセ』という書物の中で「人間は考える葦である」と書いている。「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう』。・・・神は自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記1:2627)。神は人間を御自身との関係性において創造された。理性を与え、彼の心に律法を与え、「彼らの創造者としての神に服従する義務がある」ものとして創造された(ウ告白4:2)

 

 

 

聖書の契約は、創造者と被造者という関係を土台としたものである。その限りでは、創造者と理性的被造物の対等の契約はあり得ない。絶対者と服従者との関係があるのみである。

 

 

 

だが、神は、アダムにエデンの園を与えられた。彼の心に律法を刻まれるだけでなく、特別な摂理として神はアダムに命じられた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。(創世記2:1617)。だから、ウ告白は、42節で「これを守っている間は、神との交わりにおいてしあわせであり、もろもろの被造物を支配していた」と告白し、今夜のところでは、「契約という方法であらわすことをよしとされた神の側のへりくだりがなかったなら、彼らは自己に与えられた祝福また報償として、神を喜ぶことは決してできなかった(鈴木訳)と告白するのである。

 

 

 

キリスト者の信仰生活は、神の創造と契約の上に成り立っているのである。

 

ウェストミンスター信仰告白57    主の20181031

 

 

 

聖書箇所:創世記第21517(新約聖書P3)

 

 

 

 「七.人間との神の契約について」の「二」

 

 

 

 人間と結ばれた最初の契約はわざの契約であって、それによって、本人の完全な服従を条件として、アダムに、また彼においてその子孫たちに命が約束された。

 

 

 

前回は、ウ告白第七章「人間との神の契約について」の「一」を学んだ。この章全体の総論である。聖書の契約は創造者と被造者の関係を土台とし、神のへりくだりによってなされたものであることを学んだのである。

 

 

 

今夜は、「二」節である。ウ告白は、神と人との最初の契約は、「わざ(行い)の契約」であったと告白する。そして、アダムと彼の子孫の神への完全な服従を条件として、神は命(永遠の命)を約束されたと告白する。

 

 

 

 第7章二節を他の訳と比較しよう。

 

(1)  村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 人間と結ばれた最初の契約は行いの契約であって、そこでは命がアダムに、そして彼にあって、その子孫に、やくそくされた。完全な、本人自身の服従を条件として。

 

 

 

(2)  松谷好明訳(一麦出版社)

 

人間と結ばれた最初の契約は、行いの契約で、その契約においては、命が、完全で個人的な従順を条件に、アダムと、アダムにあって彼の子孫とに、約束されていた。

 

 

 

鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

人間と結ばれた最初の契約は、業の契約である。それにおいて神は、完全で個人的な服従を条件として、アダムに、また彼においてその子孫に命が約束された。

 

 

 

ウ告白は、最初の契約、すなわち、業(行い)の契約について、すでに42節で次のように告白している。「理善悪を知る木から食べるな、という命令を受けたが、これを守っている間は、神との交わりにおいてしあわせであり、もろもろの被造物を支配していた」と。

 

 

 

ウ告白は、こう告白する。最初の契約、業の契約はアダムが神の命令を破れば、死を罰則としていた。それにも関わらず命の契約である。アダムが守っている間は神との交わりの中でしあわせであり、神に代わって神が創造された被造物を支配し、文化命令を果たしていた(創世記128)と。

 

 

 

ウ大小教理は、この「わざ(行い)の契約」を「命の契約」と命名している(20、小12)。ウ小教理は、この最初の契約を、神がアダムに「特別な摂理の行為」をされたと告白している。

 

 

 

矢内昭二先生は、「命の契約」という名称を「信仰告白は契約において人間が果たすべき条件の方からつけた呼び名」と説明し、次のように解説されている。「わざの契約において、神は人間に永遠の命を約束なさったのです(小教理12、大教理20)。神は人間の前に生命と死を置き、どちらか好きな方を選べとおしゃったのではありまっせん。人間に対する神のご意志は人間が完全な服従を神にささげ永遠の生命を得ることなのです」(『ウェストミンスター信仰告白講解』P8889)

 

 

 

わざ(行い)の契約」という名称は、聖書(創世記2)に出ていない。「三位一体」と同様の神学(教理)用語である。

 

 

 

わざの契約」は、当事者(神とアダム(彼の子孫(全人類)も含む))、条件(アダム自身の完全な服従)、約束()、保証(命の木)、罰則()から成り立っている。保証についてはウ大教理問20と答にある。

 

 

 

わざの契約は特別な摂理であるが、人の心に刻まれた律法と無関係ではない。使徒パウロは、「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」(レビ記18:5、ローマ10:5)と言っている。神はアダムに契約を履行し、成就する能力を授けられていたのである。

 

 

 

わざの契約は贖いの契約の土台の上に成り立っている(ローマ5:1120)