ウェストミンスター信仰告白151        主の2020923

聖書箇所:コリントの信徒への手紙一第73940(新約聖書P309)

 「第二十四章 結婚と離婚について」の三節

思慮分別をもって自分の同意を与えることのできるすべての種類の人々にとって、結婚することは合法的である。しかし、主にあってのみ結婚することが、キリスト者の義務である。それゆえ、真の改革派信仰を告白する者は、無信仰者・教皇主義者・あるいは他の偶像礼拝者と結婚すべきではない。また敬けんな人々は、生活におけるなうての悪人や破滅的な異端の主張者と結婚して、つり合わないくびきにつながれるべきではない。

 

今夜は、「第二十四章.結婚と離婚について」の三節を学ぼう。先週は、「第二十四章.結婚と離婚について」の一-二節を学んだ。結婚の制定と目的を学んだ。聖書とウ告白は、神が最初に制定された血痕は、一人の男と一人の女の結婚(一夫一妻)であり、一夫多妻と一妻多夫は合法的でないと述べている。そしてその目的は、夫婦相互の助け合い、嫡出子による人類と教会員の増加、性的不品行の防止であると述べていることを学んだ。

 

今夜は、「第二十四章.結婚と離婚について」の三節からウ告白が述べる結婚の合法性について学ぼう。第一は思慮分別のある者たち同士が同意する結婚である。第二は主に結ばれている者同士の結婚である。第三は釣り合わない軛につながれるべきではないということである。

 

いつものように他の訳を参照しよう。

   村川満・袴田康裕訳

判断力をもって自分の同意を表すことのできるすべての種類の人々にとって、結婚することは合法的である。とはいえ、主においてのみ結婚することがキリスト者の義務である。それゆえにこそ、真の宗教改革信仰の信奉者は、不信仰者や教皇主義者、あるいは他の偶像礼拝者と結婚すべきではない。また敬虔な人々が邪悪な生活でよく知られた者たちや、いまわしい異端説の保持者と結婚して釣り合わないくびきにつながれるべきではない。

   松谷好明訳

判断力をもって自分の同意を与えることができる、あらゆるたぐいの人々にとって、結婚することは合法的である。しかし、主においてのみ結婚することが、キリスト者の義務である。従って、真の改革された宗教[プロテスタント信仰]を信仰する人々は、不信者や教皇主義者、あるいはその他の偶像崇拝者と結婚すべきではない。また、敬虔な人は、生活においてひどく邪悪な人や、さまざまな、いまわしい異端を唱える人と結婚することによって、不釣合な軛につながれてはならない。

   鈴木英昭訳

自己の判断で知的同意を表わすことができるすべての種類の人が、結婚することは合法的である。しかし、主にあってのみ結婚することが、キリスト者の義務である。したがって、真の改革派信仰を告白している者は、無信仰者、ローマ・カトリック信者、あるいは他の偶像礼拝者と結婚すべきではない。また、信仰者は、生活において評判の悪人や罰せられなければならない異端思想の持ち主と結婚して、釣り合わないくびきを負うべきでない。

 

ウ告白が合法的であると認める結婚は、自己の判断力で結婚の同意を言葉にできるあらゆる種類の人々の結婚である。ウ告白は、「すべての種類の人々」と、結婚が同国人同士だけなく、外国人との結婚も想定している。

日本国憲法は、成人年齢が18歳以上に改正されたので、18歳以上の男女は、自分の判断力で結婚の意志を表わすことができれば、自由に結婚することができる。また16歳と17歳の男女は、自分たちの判断による結婚の意志だけでなく、親の同意がいる。

 

ウ告白の「思慮分別をもって自分の同意を与えることのできるすべての種類の人々にとって、結婚することは合法的である。」ということを、わたしたちは次のように教会規程の第三部「礼拝指針」によって具体的に進めている。結婚を決意した男女は、婚約式を通して彼らの結婚を公に公表し、結婚の備えをする。そして牧師の指導に従い結婚について学ぶ。そして結婚式において花婿と花嫁は、(1)結婚に関する国の法律に従っていること、(2)自らが結婚を決断できる年齢に達していること、未成年は親の同意があること、(3)主にある結婚について理解が一致している者に主の祝福があること、(4)結婚に必要な準備教育が十分になされていること、これらを確認し、夫婦となる誓約をする。その後司式者は二人が一体であることを宣言し、神の祝福を祈る。こうして神の御前にこの二人の結婚の合法であることを明らかにするのである。

 

日本キリスト改革派教会は、ウ告白を聖書のように一字一句間違いないものとして受け入れているではない。教理の体系を受け入れているのである。だから、ウ告白の「主にあってのみ結婚することが、キリスト者の義務である。」という条文は、日本キリスト改革派教会においては違反すれば戒規に処せられるものではない。

 

結婚は、日本国憲法に従ってなされれば、合法的である。しかし、聖書とウ告白は、原則としてキリスト者はキリスト者にふさわしく結婚することを奨励している。

 

使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一第739節で、キリスト者の再婚について次のように述べている。キリスト者の夫婦は互いに相手が生きている間は、夫婦の関係ですが、どちらかが亡くなると、自由の身になります。だから、残った者が再婚することは自由である。しかし、パウロは次のように勧めている。「妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。

 

アメリカ長老教会のチャルズ・ホッジは、この制限(「主に結ばれた者のみ」)を理解できる二つの方法があると言う。一つは、キリスト者とユダヤ教徒や異邦人との結婚はあり得ない。第二はキリストにある者たちになる。すなわち、キリスト者のマナーにおいてである。「彼女は一人のキリスト者となるように結婚すべきである」と。ホッジは、終わりに前の説明がより単純で自然であると付け加えている。

 

わたしたちの結婚は、「礼拝指針」に従ってなされる。ただし、現実は日本の事情を考慮し、教会員がローマ・カトリックの信者や未信者と結婚し、司式を、教会ですることはあり得る。

 

牧師は、聖書の神について、キリスト教の結婚について未信者の方に教導し、神の御前で誓うことの重要性を少しでも理解できるように配慮すべきである。その理解のために礼拝出席を勧めるべきである。

 

 

ただしウ告白が述べているように、「敬けんな人々は、生活におけるなうての悪人や破滅的な異端の主張者と結婚して、つり合わないくびきにつながれるべきではない。」「敬けんな人々」とはキリスト者である。キリスト者は、反社会的な者、異端を唱える者とは結婚すべきではない。不品行者と異端は、教会戒規の対象である。神が怒り裁き給う者との結婚に、神の祝福はない。

 

ウェストミンスター信仰告白152        主の2020930

聖書箇所:レビ記第18章1-30(旧約聖書P190191)

 「第二十四章 結婚と離婚について」の四節

結婚は、み言葉において禁じられている血族あるいは姻族の親等内でなすべきではない。またこのような近親相姦的な結婚は、人間のどのような法律や当事者たちの同意によっても、そのような人々が夫婦として同棲ができるよう合法化することは、決してできない。男子は自分の血族で結婚できるより以上に近い妻の血族とは結婚できないし、女子も自分の側でできるより以上に近い夫の血族とは結婚できない。〔最後の一文は、日本基督改革派教会第十七回大会削除〕

 

今夜は、「第二十四章.結婚と離婚について」の四節を学ぼう。先週は、「第二十四章.結婚と離婚について」の三節を学んだ。結婚の合法性について学んだ。結婚は、判断力を持つ男と女の合意に基づく。成人に達しない者は、両者の合意と共に両親の同意が必要であることを学んだ。また、キリスト者の結婚の原則は、プロテスタントの信者同志の結婚である。ウ告白は、それゆえカトリック信者と未信者〔他宗教の者〕との結婚を奨励しない。また、キリスト者は不品行者と異端の者との結婚はできないことを学んだ。

 

今夜は、「第二十四章.結婚と離婚について」の四節で、ウ告白は近親相姦的な結婚を禁じている。

 

いつものように他の訳を参照しよう。

   村川満・袴田康裕訳

結婚は御言葉で禁じられている血族あるいは姻族の親等内で行われるべきではない。また、そのような近親相姦的な結婚は、いかなる人間の法によっても、また当事者たちの同意によっても、それらの人々が夫婦として生活を共にできるように合法化することは決してできない。男性は自分の血族で自分が結婚できる人よりも、妻の血族で血縁がより近い者とは結婚できない。また女性も、自分の血族の中で自分が結婚できる人よりも、血縁がより近い夫の血族の誰とも結婚できない。〔「男子は自分の血族で自分が結婚できる人よりも・・・」以下の部分は、日本キリスト改革派教会第十七回大会で削除〕

   松谷好明訳

結婚は、御言葉において禁じられている血縁あるいは姻戚の親等内でなされるべきではなく、また、このような近親相姦的結婚は、人間のいかなる法律や当事者たちの同意によっても、そうした人々が夫婦として暮らせるように、合法とされることは決してできない〔従って、配偶者が亡くなって再婚する場合〕男性は、自分自身の縁者と結婚できる範囲よりも、血縁関係でもっと近い、妻の縁者と結婚することはできず、女性も、自分自身の縁者と結婚できる範囲よりも、血縁関係でもっと近い、夫の縁者と結婚することはできない。

   鈴木英昭訳

結婚は、御言葉によって禁じられている血族あるいは婚姻関係内でなすべきではない。このような近親相姦的な結婚は、どのような法律や当事者たちの同意をもってしても、そのような人々が夫婦として同棲できるよう合法化することは決してできない。(「男子は自己の血族で結婚できる者より以上に近い妻の血族とは結婚できないし、女子も自己のできるより以上に近い夫の血族とは結婚できない。」は日本基督改革派教会第十七回大会において削除)

 

ウ告白の第1924章は、キリスト者の倫理を扱っている。第24章は結婚と離婚である。ウ告白は、1節は、聖書の教える結婚が一夫一妻であること、2節で結婚の制度の目的、そして、3節でどのような結婚が合法であるかを教えている。

 

ウ告白は、4節で聖書の御言葉とこの世の法律でどのような結婚が禁じられているかを教えている。それは、近親相姦的な結婚である。

 

 旧約聖書のレビ記第18章に、主なる神はモーセを通して神の民イスラエルに「いとうべき性関係」を教えられている。主なる神は近親相姦と異教の性的習慣を禁じておられる。ここでは、法的な所有権の侵害の面から近親相姦が禁じられている。妻は夫の所有であり、未婚の女性は父親にその所有権があった。

 

レビ記18618節で主なる神は、モーセを通して神の民に近親相姦を禁じられている。近親相姦は、いとうべき性的関係という道徳的面と劣性遺伝を防ごうという意図があった。

 

使徒パウロは、コリント教会の信者たちにこの「いとうべき性関係」を非難している。彼の耳にコリント教会においてある信者が父の妻といとうべき性関係を持ったという醜聞が届いた。それは異邦人の間でも行われない不道徳であった。すなわち、ある信者が義母と同棲したのである。パウロは、コリント教会がレビ記1867節で主なる神が禁じられた不品行に対して、何ら処置を取らないことを非難しているのである。

 

レビ記1825節で主なる神は、「これらの行為によってこの土地は汚され、わたしはこの地をその罪のゆえに罰し、この地はそこに住む者を吐き出したのである」と言われている。創世記6章でノアの洪水の原因が神の子らのいとうべき性的関係にあったことが暗示されている。主なる神は人の悪を御覧になり、彼らを造られたことを後悔された。611節で「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた」とある。いとうべき性的関係が社会全体を腐らせ、人々の悪の根となり、地は不法に満ちたのである。そこで主なる神は、洪水によって、この地から悪を除き去ろうとされたのである。

 

結婚は神の祝福であるが、人の罪ゆえに祝福されない結婚がある。いとうべき性的関係によって、この地が汚され、ソドムの町のように神の災いを招くのである(創世記19)

 

最後の一文は、再婚の場合である。ウ告白は、妻を亡くした夫が妻の姉妹と結婚し、夫を亡くした妻が夫の兄弟と結婚することを禁じている。しかし、夫が死別した妻の姉妹と結婚し、妻が死別した夫の兄弟と結婚することは、聖書で許されえいるし、法律も合法的と認めている。それゆえ、日本キリスト改革派教会は、第十七回大会で削除することを決議したのである。

 

旧約聖書の創世記では、アブラハムとサラとの結婚は、近親相姦であった。アブラハムとサラは、父は同じだったが、母が違った。彼は異母姉妹の妹と結婚した。モーセの両親、アムラムとヨケベドは、アムラムが叔母のヨケベドと結婚した。レビ記の規定に反しているが、創世記と出エジプト記は彼らの結婚を非難してはいない。また、主イエスは、レビラート婚のたとえを話されている。兄が亡くなると、弟が兄の代わりに兄の妻と結婚し、兄の子を設けることになっていた。

 

 

近親相姦が厳しく禁じられたのは、出エジプト以後、荒野の生活からカナンの地での定着にかけてであろう。嗣業地をいとうべき性的関係で汚すことを、避けようとしたのであろう。