ウェストミンスター信仰告白36    主の2018516

 

 

 

聖書箇所:ローマの信徒への手紙第11110(新約聖書P289)

 

 

 

 「ウェストミンスター信仰告白 三.神の永遠の聖定について」の「五」

 

 

 

 人類の中で命に予定されている者たちは、神が、世の基の置かれる前から永遠不変の目的とみ旨のひそかな計画と満足に従って、キリストにおいて永遠の栄光に選ばれたのであって、それは、自由な恵みと愛とだけから、被造物の中にある信仰・よきわざ・そのどちらかの堅忍・またはその他の何事をでも、その条件やそれに促す原因として予見することなく、すべてその栄光ある恵みの賛美に至らせるために、選ばれたのである。

 

 

 

前回は、ウ告白の「三」の四で、神の聖定に変更・変化のないことを学んだのである。神は永遠の聖定において選ばれた人間と天使たちを個別的に、不変的にその数を指定し、その数は確実に限定されており、途中で変更し、その数が増減することはないということを学んだのである。

 

 

 

今夜は、5節の「恩恵による選び」について学ぼう。ウ告白は、神が聖定において命に選ばれた者たちを「自由な恵みと愛とだけから」キリストにあって選ばれたと教えているのである。

 

 

 

 さて、第3章五節を他の訳と比較しよう。

 

(1) 村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 人類の中で命に予定されている者たちを、神は世界の基が置かれる前に、その永遠不変の計画と、御意志の秘められた意向とよしとされるところに従い、キリストにおいて、永遠の栄光へと選ばれた。これは神の全くの無償の恵みと愛から出るものであって、信仰も、善い業も、そのいずれにおける堅忍も、また、被造物の内にあるその他のいかなるものも、それらを神が予見されたことが、選びへ神を動かす条件あるいは原因となったのでは決してない。そしてすべては神の栄光ある恵みが讃美されるためである。

 

 

 

(2) 松谷好明訳(一麦出版社)

 

人類の中の命に予定されている者たちを、神は、世界の基が置かれる以前から、彼の永遠不変の計画と、彼の御心の、隠れた計らいとよしとされるところに従い、永遠の栄光へと、キリストにあって選んでおられる。これは、神の全くの自由な恵みと愛とからであって、被造物の内に、信仰や善い行い、あるいはそのいずれかにおける堅忍、もしくは何かほかのものを、そうするように御自身を促す条件ないし原因として、予見したからではない。―すべては、神の輝かしい恵みが賛美されるためである。

 

 

 

(3) 鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

神は、世の基のおかれる前から、永遠で不変の目的と、よしとされる隠された意志の計画にしたがって、人類の中で命に予定されている者たちを、キリストにおいて永遠の栄光にお選びになった。それは、神の自由な恵みと愛だけにより、被造物の中にある信仰、善き業、そのいずれかの保持、またはその他の何事も、その選びの条件や神を促す原因として予見してはおられない。それは、すべて神の栄光ある恵みを賛美するようにならしめるためである。

 

 

 

 ウ告白が次のように聖書から証言するのを読み取れる。すなわち、前半では、神が命に選ばれた者たちの目的、神の隠された計画、そして、その経過のすべてについて、神の自由な選びによることを強調し、そして、後半でその選びが選ばれた者の信仰・善き業に依存せず、彼らが神の条件を満たし、神に原因を促すことを、神が予見されたからでも決してないと証言し、すべては栄光ある賛美へと至らせるために、神は命あるものを選ばれたと、証言している。

 

 

 

 ウ告白は、聖書から神の自由な恵みによる選びを強調し、人間の功績を一切排除し、救いの一切を神に帰し、神の栄光ある恵みを賛美している。

 

 

 

 ウ告白は「キリストにおいて永遠の栄光に選ばれたのであって」と証言し、エフェソの信徒への手紙14節と他を引用している。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

 

 

 

 キリストは「選びの鏡」(カルヴァン)である。主の日の礼拝でキリストに招かれ、臨在のキリストと共に御言葉と聖餐にあずかるとき、真実キリストの中にある者は、キリストにおける永遠の選びに基づいて、そこにいるのである

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白37    主の2018523

 

 

 

聖書箇所:ペトロの手紙一第119(新約聖書P428)

 

 

 

 「ウェストミンスター信仰告白 三.神の永遠の聖定について」の「六」

 

 

 

 神は、選民を栄光へと定められたので、神は、み旨の永遠で最も自由な目的により、そこに至るためのすべての手段をも、あらかじめ定められた。だから、アダムにおいて堕落しながら選ばれている者たちは、キリストによってあがなわれ、時至って働くそのみたまによってキリストへの信仰に有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、み力により信仰を通して救いに至るまで保たれる。他のだれも、キリストによって贖われ、有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、救われることはなく、ただ選民だけである。

 

 

 

前回は、ウ告白の「三」の五で、神の恩恵による選びを学んだのである。ウ告白は、神が聖定において命に選ばれた者たちを「自由な恵みと愛とだけから」キリストにあって選ばれたと教えている。

 

 

 

 さて、第3章六節を他の訳と比較しよう。

 

(1) 村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 神は、選ばれた者たちを栄光へと定められたように、自らの意志の永遠で最も自由な計画によって、それに至るすべての手段をもあらかじめ定められた。それゆえ、選ばれている者たちは、アダムにおいて堕落しているが、キリストによって贖われ、しかるべき時に働くその御霊によってキリストへの信仰に有効に召され、義とされ、子とされ、聖とされ、その御力により、信仰を通して、救いに至るまで守られる。それ以外の、つまり選ばれた者たち以外の何びともキリストによって贖われ、有効に召され、義とされ、子とされ、聖とされ、そして救われることは決してない。

 

 

 

(2) 松谷好明訳(一麦出版社)

 

神は、選びの民を栄光に定めておられるだけでなく、またそれに至るすべての手段も、彼の御心の永遠で最も自由な計画により、前もって定めれおられる。それゆえ、選ばれた者たちは、アダムにおいて堕落しているが、[第一に]キリストによって贖われ、[第二に]しかるべきときに働くキリストの霊により、キリストに対する信仰へと有効に召命され、[第三に]義とされ、子とされ、聖徒され、信仰を通してキリストの力により救いに至るまで守られる。他のいかなる者も、キリストによって贖われ、有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、救われることはなく、ただ選びの民だけである。

 

 

 

(3) 鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

神は、選民を栄光へと定められたように、その意志の永遠で最も自由な目的により、そこに至るためのすべての手段も、あらかじめ定められた。したがって、アダムにおいて堕落しながらも選ばれている者たちは、キリストによって贖われ、時至って働く聖霊によって、キリストへの信仰に有効に召され、義と認められ、養子とされ、聖化され、御力により信仰を通して救いに至るまで保たれる。それ以外の者はだれも、キリストによって贖われ、有効に召され、義と認められ、養子とされ、聖化され、救われることはない。ただ選民だけである。

 

 

 

 ウ告白は、次のことを明確にしている。神は予定の目的と手段、そして、選ばれた者たちの時至って救いに至る道筋をあらかじめ定められていると。

 

 

 

神は選民を栄光に定められた」。ゆえに神は、選ばれた者たちが罪人であっても、「キリストによって贖われ、時至って働く聖霊によって、キリストへの信仰に有効に召され、義と認められ、養子とされ、聖化され、御力により信仰を通して救いに至るまで保たれる」のである。神のあらかじめ定められた一定の経路を経て、選ばれた者たちの救いが完成される。

 

 

 

 神によって永遠の命に選ばれた者たちは、無秩序に救われるのではない。彼らは、確かにアダムにあって生まれながらに罪人である。その罪人である選ばれた者を、神は「キリストによってあがなわれ、時至って働くそのみたまによってキリストへの信仰に有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、み力により信仰を通して救いに至るまで保たれる」のである。神が定められた手段と経路を通して、選ばれた者たちは救いの完成へと信仰の道(聖化)を励むのである。

 

 

 

 『信徒の手引き』(日本キリスト改革派教会大会教育委員会編 一麦出版社)は、序論「神の民としての信徒の生活」の「2 神の計画のなかに生きる信徒」でこの教理に基づく信徒が具体的に提示されている(P1314)。 

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白38    主の2018530

 

 

 

聖書箇所:ローマの信徒への手紙第91124(新約聖書P286287)

 

 

 

 「ウェストミンスター信仰告白 三.神の永遠の聖定について」の「七」

 

 

 

 人類の残りの者は、神が、み心のままにあわれみを広げも控えもなさるご自身のみ旨のはかり知れない計画に従い、その被造物に対する主権的なみ力の栄光のために、見過ごし、神の栄光ある正義を賛美させるために、彼らを恥辱とその罪に対する怒りとに定めることをよしとされた。 

 

 

 

前回は、ウ告白の「三」の六で、神は聖定において予定の目的と手段、そして選民の時至って救いに至る道筋をあらかじめ定めておられることを学んだのである。選民は、神が定められた手段と経路を通して救いの完成へと聖化の道を励むのである。

 

 

 

 さて、第3章七節を他の訳と比較しよう。

 

(1) 村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 人類のその他の者たちを、神は、よしとされるままに憐れみを施しまた控えもなさる、御自身の意志の計り知れない意向に従い、その被造物に対する自らの主権的力の栄光を現すために、見過ごすことをよしとされ、そして、自らの輝かしい正義が賛美されるように、彼らを自らの罪のゆえに、恥辱と怒りに定めることをよしとされた。

 

 

 

(2) 松谷好明訳(一麦出版社)

 

人類の残りの者を、神は、御旨のままに憐れみを示しも控えもなさる、御自身の御心の測り知れない計らいに従い、彼の被造物に対する自らの主権的な力の栄光を輝かせるために、見過ごすこと、また、御自身の輝かしい義が賛美されるように、彼らをその罪のゆえに、恥辱と怒りに定めること、をよしとされた。

 

 

 

(3) 鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

神は、御心のままに憐れみを広げも控えもなさる御自身の御旨のはかり知れない計画にしたがい、また、その被造物にたいする主権的な力がほめたたえられるために、人類の残りの者を、見過ごすことをよしとされた。また、御自身の栄光に満ちた正義を賛美させるために、彼らを恥と罪にたいする怒りに定めることをよしとされた。

 

 

 

 ウ告白は、聖書から遺棄(見捨てられた者)の教理を教えている。主イエスは言われる。父なる神の御心はこの世の知者には隠され、幼子のように主にすべてを委ねる者に明らかにされる主権的な行為である(マタイ11:2526)

 

 

 

 アダムの罪により全人類は生まれながらに咎があり、腐敗し、永遠に滅ぶべき者である。だが、神は主権的な判断により、全人類に対して「御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる(ローマ9:18)のである。

 

 

 

 だから、ウ告白が述べている。二つのことを。第一にどこまでも神の選びと遺棄は神の主権的判断から来る行為である。われわれ人間が「なぜだ」と抗議できるものではない。

 

 

 

第二に選ばれた者も遺棄された者も、神の器である。焼き物師は粘土から一つを貴いことに用いる器を作り、一つを貴くないことに用いる器を作る権限がある。神は焼き物師のように憐れみの器と怒りの器を作られた(ローマ9:1924)

 

 

 

使徒パウロは、怒りの器、すなわち、滅びに定められた者に対しては神は「寛大な心で耐え忍ばれ」、憐みの器、すなわち、選ばれた者には神は「御自分の豊かな栄光を示された」と述べている。

 

 

 

矢内昭二先生は、選びと遺棄を次のように分けられている。「この共通に堕落した全人類の中からある者を永遠の生命に選び、ある者を『見過ごし』、救いの恵みを与えることをとどめることをよしとされたのは、神の主権的な行為です。見捨てられたものが、その罪のゆえに当然受けなければならぬ恥辱と怒りに定められるのは神の審判行為です。」(『ウェストミンスター信仰告白講解』P59)

 

 

 

神の栄光と義が賛美されるために、この教理はあるのである。

 

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白39    主の201866

 

 

 

聖書箇所:使徒言行録第134449(新約聖書P240)

 

 

 

 「ウェストミンスター信仰告白 三.神の永遠の聖定について」の「八」

 

 

 

 予定というこの高度に神秘的な教理は、み言葉に掲示された神のみ旨に注意して聞き、それに服従をささげる人々が、彼らの有効召命の確かさから自分の永遠の選びを確信するよう特別な配慮と注意をもって扱わなければならない。そうすればこの教理は、神への賛美と崇敬と称賛の、また謙そんと熱心と豊かな慰めの材料を、すべてまじめに福音に従う者たちに提供してくれるであろう。

 

 

 

前回は、ウ告白の「三」の七で、遺棄(見捨てられた者)の教理を学んだのである。ウ告白は、以下のことを教えている。この教理は(1)神の主権性に関わる。神は陶器師のように憐れみの器と怒りの器を作られた。(2)神の選びは神の主権的行為であり、遺棄は神の審判的行為である。(3)神は選ばれた者には御自身の豊かな栄光を啓示し、遺棄された者に対しては寛容な心で、審判の日まで耐え忍ばれる。

 

 

 

 さて、第3章八節を他の訳と比較しよう。

 

(1) 村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 予定というこの高遠な神秘についての教理は、御言葉に啓示された神の意志に心を向けそれに服従をささげる人々が、自らの有効召命の確かさから、自らの永遠の選びを確信することができるように、特別な思慮と注意をもって扱われるべきである。そうするればこの教理は、心から福音に従うすべての者たちに、神への讃美と畏敬と讃嘆の根拠、また謙遜と熱心と豊かな慰めの根拠を与えることになるはずである。

 

 

 

(2) 松谷好明訳(一麦出版社)

 

予定というこの高度の神秘についての教理は、その御言葉の中に啓示された神の御心に注意深く聞き、それに従順に従う人々が、彼らの有効的召しの確かさから、自らの永遠の選びを確信できるように、特別な思慮と注意をもって取り扱われるべきである。そうすれば、この教理は、心からの福音に従うすべての人々に、神への賛美と畏敬と称賛の理由、および謙遜と熱心と豊かな慰めの理由を、提供するであろう。

 

 

 

(3) 鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

予定というこの高度に神秘的な教理は、御言葉に啓示された神の御旨を注意して聞き、それに服従をささげる人々が、彼らの有効召命の確かさから、自分の永遠の選びを確信するように、特別な配慮と注意をもって扱わなければならない。そうすればこの教理は、神への賛美と崇敬と賞賛の材料を、また謙遜と熱心と豊かな慰めの材料を、すべて誠実に福音に従う者たちに提供する。

 

 

 

 故矢内昭二先生は、『ウェストミンスター信仰告白講解』で次のことを記されている。「わたしは、この第三章を読む時にはいつも、最初に第ハ節を読むことにしています。そして、全体を読み終わってから、最後にもう一度第八節を読んで、自分の学び方を反省することにしています。予定論を取り扱う場合には、語る者も聞く者も、まず信仰の姿勢を正し、み言葉に密着して、順序を追って、注意深く聖書を読み、謙遜に神と神のみ言葉に服従しつつ、神ご自身に教えられることが必要です。」。

 

 

 

 そして、矢内先生は、わたしたち読者に次のように奨励されている。「『み言葉に掲示された神のみ旨に注意して聞き、それに服従をささげる人々が、彼らの有効召命の確かさから自分の永遠の選びを確信するように』と記されている注意をしっかり守りましょう。

 

  

 

 それによってウ告白が八節後半で「そうすればこの教理は、神への賛美と崇敬と称賛の、また謙そんと熱心と豊かな慰めの材料を、すべてまじめに福音に従う者たちに提供してくれるであろう。」と約束しているように、わたしたちは「この教理の重要さと有益さを必ず認識することができるでしょう」と、矢内先生は記されている。

 

 

 

 キリスト者は常に殉教を心すべきである。主イエスに服従し、御言葉に服従すれば、この世の迫害を避けられない。殉教しなくても、主に服し御言葉に服する者にこの世の苦難は免れ得ない。この世の苦難にあるキリスト者たちに心からの慰めを提供できるのは、予定論である。「異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人々は皆、信仰に入った。」(使徒言行録13:38)。ハレルヤ。