詩編説教106               主の2019825

 

ハレルヤ。 ハレルヤハ(主をほめよ)。 

 

恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。感謝せよ、主に。彼の慈しみは、

 

主の力強い御業を言葉に表し まことに良く、まことに永遠。誰か、主の力

 

主への賛美をことごとく告げうる者があろうか。強い業を語り、彼への賛美

 

いかに幸いなことか、裁きを守り のすべてを聞かせる者は。幸いだ、裁きを

 

どのような時にも恵みの業を果たす人は 守り、いかなる時にも義を行う者は。

 

主よ、あなたが民を喜び迎えられるとき 主よ。わたしを覚えてください、 

 

わたしに御心を留めてください。 あなたが民に好意を示される時に。

 

御救いによってわたしに報いてください。あなたの御救いによって、わたしを

 

あなたの選ばれた民に対する恵みを見。訪れてください。あなたの選ばれた民

 

あなたの国が喜び歌うとき共に喜び祝い の幸いを見、あなたの国民の喜びを

 

あなたの嗣業の民と共に 喜びとし、あなたの嗣業と共に誇るために。

 

誇ることができるようにしてください。

 

わたしたちの先祖と同じく罪を犯し わたしたちは罪を犯した、わたしたちの

 

不正を行い、主に逆らった。 先祖と共に。不義を行い、悪事を働いた。

 

わたしたちの先祖は、エジプトで わたしたちの先祖はエジプトで悟らなか

 

驚くべき御業に目覚めず った、あなたの不思議な御業を。

 

豊かな慈しみに心を留めず 彼らは心に留めなかった、御慈しみの多くを。

 

海辺で、葦の海のほとりで反抗した。 彼らは逆らった、海のほとり、葦の

 

主は、御名のために彼らを救い 海で。主は彼らを救った、彼の御名のために。

 

力強い御業を示された。 知らせるために、彼の力強い御業を。

 

葦の海は主に叱咤されて干上がり 彼は葦の海を叱咤した。するとそれは干

 

彼らは荒れ野を行くように深い淵を通った。あがった。彼らは荒れ野のように

 

主は憎む者の手から彼らを救い 深い淵を歩かせられた。彼は彼らを憎む者の

 

敵の手から贖われた。 手から救った。彼は彼らを敵の手から贖った。

 

彼らを苦しめた者はすべて水に覆われ 水が覆った、彼らを苦しめる者たちを。

 

生き残る者はひとりもなかった。 彼らのうち一人も残らなかった。

 

彼らは御言葉を信じ 彼らは信じた、御言葉を。

 

賛美の歌を歌った。 彼らは歌った、彼への賛美を。

 

 

 

彼らはたちまち御業を忘れ去り 彼らはすぐに彼の御業を忘れた。

 

神の計らいを待たず 彼の助言を待たなかった。

 

荒れ野で欲望を燃やし 彼らは荒れ野の中で欲望を欲した。

 

砂漠で神を試みた。 彼らは砂漠で神を試みた。

 

主はその願いをかなえられたが  彼は彼らの願いをかなえられたが、

 

彼らをやせ衰えさせられた。 彼は彼らの体にやせる病を遣わした。

 

彼らは宿営でモーセをねたみ 彼らは妬んだ、モーセを、

 

主の聖なる人アロンを妬んだ。 聖なる人アロンを、宿営で。

 

地は口を開けてダタンを呑み込み 地は口を開き、ダタンを呑み込み、

 

アビラムの仲間を覆った。 アビラムの仲間を覆った。

 

火が彼らの仲間に向かって燃え上がり 火が燃え上がった、彼らの仲間の中で。炎が神に逆らう者を焼き尽くした。 炎が悪者たちを焼き尽くした。

 

 

 

彼らはホレブで子牛の像を造り 彼らは造った、ホレブで子牛の像を。

 

鋳た像に向かってひれ伏した。 そして彼らは鋳た像にひれ伏した。

 

彼らは自分たちの栄光を 彼らは取り替えた、自分たちの栄光を

 

草をはむ牛の像と取り替えた。 草を食べる雄牛の像と。

 

彼らは自分たちを救ってくださる神を忘れた。 彼らは忘れた、自分たちを

 

エジプトで大いなる御業を行い 救ってくれる者、エジプトで大きな御業

 

ハムの地で驚くべき御業を を行う者を、ハムの地で不思議な御業を、

 

葦の海で恐るべき御業を 葦の海のほとりで恐るべきことを行われた方を。

 

成し遂げられた方を忘れた。 

 

主は彼らを滅ぼすと言われたが 彼は言った、「彼らを滅ぼそう」と。

 

主に選ばれた人モーセは 彼の選ばれた人、モーセが

 

破れを担って御前に立ち 御前の破れに立ち

 

彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。滅ぼそうとする彼の怒りを戻さなければ。

 

彼らは愛すべき地を拒み しかし、彼らは拒んだ、愛すべき地を。

 

御言葉を信じなかった。 彼らは彼の御言葉を信じなかった。

 

それぞれの天幕でつぶやき 彼らはつぶやいた、彼らの天幕で。

 

主の御声に聞き従わなかった。 彼らは聞き従わなかった、主の御声に。

 

主は彼らに対して御手を上げ 彼は上げた、彼の手を彼らに。

 

荒れ野で彼らを倒された。荒れ野の中で彼らを倒すために。

 

子孫は諸国の民に倒され 彼らの子孫を、諸国の中で倒すために。

 

国々の間に散らされることになった。 そして、彼らを諸国の中にまき散らす

 

 

 

彼らはバアル・ペオルを慕い ために。彼らはバアル・ペオルに関係し、

 

死者にささげた供え物を食べた。 死者たちへの犠牲を食べた。

 

この行いは主の怒りを招き 彼らは彼を怒らせた、彼らの行いによって。

 

疫病が彼らの間に広がった。 発生した、彼らの中に疫病が。

 

ピネハスが立って祈ると ピネハスが立ち、裁いた。

 

疫病はとどめられた。 その疫病は止められた。

 

これは代々に、そしてとこしえに 代々にわたり、永遠に、

 

ピネハスの正しい業と見なされるであろう。 彼の義と認められた。

 

 

 

彼らはメリバの水のほとりで主を怒らせた。彼らは怒らせた、メリバの水の

 

彼らをかばったモーセは不幸を負った。 ほとりで。モーセは災いにあった、

 

彼らがモーセの心を苦しめたので 彼らのために。まことに彼らはモーセの霊

 

彼がそれを唇にのせたからであった。に逆らった。そして、彼の唇で軽率なことを口走った。

 

主が命じられたにもかかわらず 彼らは滅ぼさなかった、諸国民を、

 

彼らは諸国の民を滅ぼさず 主が彼らに命じられたように。

 

諸国の民と混じり合い 彼らは諸国民に交じり合った。

 

その行いに倣い そして、彼らは倣った、彼らの行いを。

 

その偶像に仕え そして、彼らは彼らの偶像に仕えた。

 

自分自身を罠に落とした。 そして、それらは彼らの罠となった。

 

彼らは息子や娘を悪霊に対するいけにえとし 彼らは犠牲として殺した、彼ら

 

無実なものの血を流した。の息子と娘を悪霊のために。彼らは血を注いだ、彼

 

カナンの偶像のいけにえとなった息子や娘の血は らの息子と娘たちの清い

 

この地を汚した。 血を。彼らがカナンの偶像に犠牲として捧げた彼らの 息子と娘たちの血がこの地を。汚した、

 

彼らは自分たちの行いによって汚れ 彼らは彼らの行為によって汚れた。

 

自分たちの業によって淫行に堕ちた。彼らは姦淫した、彼らの行いによって。

 

主の怒りは民に向かって燃え上がり 主の怒りが燃え上がった、彼の民の上に。御自分の嗣業の民を忌むべきものと見なし 彼は忌み嫌った、彼の嗣業を。

 

彼らを諸国の民の手に渡された。 彼は彼らを諸国民の手に渡した。

 

彼らを憎む者らが彼らを支配し 彼らを憎む者たちが彼らを支配した。

 

敵が彼らを虐げ 彼らの敵が彼らを虐げた。

 

その手によって彼らは征服された。御彼らは征服された、彼らの手の下に。

 

主は幾度も彼らを助け出そうとされたが 多くの回数彼は彼らを救い出した

 

彼らは反抗し、思うままにふるまい しかし、彼らは相謀って逆らった。

 

自分たちの罪によって堕落した。そして彼らの不義によって低くされた。

 

主はなお、災いにある彼らを顧み しかし、彼は見た、彼らの苦難を。

 

その叫びを聞き 彼らの叫びを聞かれた。

 

彼らに対する契約を思い起こし 彼は思い起こした、彼らのために彼の契約を。

 

豊かな慈しみに従って思いなおし 彼は思い直した、彼の慈しみの多さによっ

 

彼らをとりこにしたすべての者が て。彼は彼らに憐れみを与えた、彼らを捕

 

彼らを憐れむように計らわれた。 囚した者たちのすべての前で。

 

 

 

わたしたちの神、主よ、わたしたちを救い わたしたちを救い給え、主よ。わ

 

諸国の中からわたしたちを集めてください。たしたちの神。諸国からわたした

 

聖なる御名に感謝をささげ ちを集めたまえ。あなたの聖なる御名に感謝する

 

あなたを賛美し、ほめたたえさせてください。ために。あなたへの賛美を誇るために。

 

イスラエルの神、主をたたえよ たたえよ、主は、イスラエルの神。

 

世々とこしえに。 永遠から永遠まで

 

民は皆、アーメンと答えよ。 言え、すべての民は「アーメン」と。

 

ハレルヤ ハレルヤハ

 

 

 

                 詩編第106148

 

 

 

説教題:「我らも先祖と共に罪を犯した」

 

 

 

詩編第106148節の御言葉を学びましょう。

 

 

 

詩編104編-106編は終わりに「ハレルヤ」という共通の言葉で閉じられています。この3つの詩編はハレルヤ詩編と呼ばれています。

 

 

 

この3つのハレルヤ詩編には表題がありません。106編は、初めと終わりに「ハレルヤ」という言葉が置かれています。

 

 

 

 また、106編は、107編同様に「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに」という賛美で始まっています。

 

 

 

 106編の詩人は、「ハレルヤ」で歌い始め、「ハレルヤ」でこの詩編を閉じずにはいられませんでした。主をほめたたえずにはおれなかったからです。

 

 

 

 105編の詩人は、族長アブラハムから約束の地カナンを取得するまでの神の御救いの歴史を回顧して、主なる神の御救いの御力を賛美しました。詩編106編の詩人は、出エジプトからバビロン捕囚、そしてエルサレム帰還までの主なる神の慈しみと神の民たちの罪の歴史を回顧し、アブラハムとの契約をお忘れにならないで、神の民の忘恩と反逆にもかかわらず、主が慈しみによって神の民を救われたことを物語り、主なる神をほめたたえています。

 

 

 

 長い詩編ですから、11節説き明かすことはできません。

 

 

 

 そこでわたしは、大まかにこの詩編の内容をお話しします。次にわたしは、この詩編の現代的意義をお話しします。今のわたしたちの教会とわたしたちの信仰生活にとって、この詩編はどのように関係し、意味があるのかということをお話しします。

 

 

 

 15節がこの詩編の序文であり、その内容は礼拝への招きです。

 

 

 

詩人は「ハレルヤ」、「主をほめたたえよ」という賛美の言葉で会衆を礼拝に招いています。

 

 

 

 詩人は、イスラエルの会衆に向かって1節で「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに」と賛美します。詩人は主なる神に招かれた会衆に彼らの救いにおいてとこしに慈しみを示された「主に感謝」せよと歌っています。

 

 

 

2節で、詩人は、会衆に向かってだれが主なる神に賛美をささげる資格があるのかと問うているのです。

 

 

 

3節で詩人は会衆に幸い、すなわち、礼拝者の祝福を歌っています。それは、「裁きを守り、どのような時にも恵みの業を果たす人」です。いつも正しい人です。偏見がなく公正で、正義を行う人です。詩人は、その人には主を賛美する資格があると歌っています。

 

 

 

そして、45節で詩人は、会衆と共に主の民の救いを共に味わい、喜びに満ちた主への賛美に会衆と共に参与することが許されるように祈り求めているのです。

 

 

 

詩人にとって礼拝に集い、会衆と共に主を礼拝賛美することは、主に選ばれ、救われた者たちの幸いなのです。詩人は、主が招かれ、迎え入れてくださった会衆の中にわたしもいさせてくださり、主がわたしに心を留めてくださるようにと祈っているのです。

 

 

 

詩人にとって礼拝は、神の慈しみであり、その神の慈しみを味わう喜びの場所なのです。

 

 

 

646節がこの106編の本文です。詩人は、105編の主なる神の恵みの救いの歴史と共に神の選民イスラエルの罪の歴史を告白しています。

 

 

 

詩人は、6節で「わたしたちは先祖と同じく罪を犯し 不正を行い、主に逆らった」と告白し、次のように神の民イスラエルの罪を告白しています。

 

 

 

712節は出エジプトでの罪です。1333節は民数記の荒れ野におけるイスラエルの民の罪です。3438節は士師記、列王記のイスラエルの民が約束の地カナンで犯した罪です。3946節は、列王記の下の北イスラエル王国と南ユダ王国での罪、バビロン捕囚、そしてエルサレム帰還です。

 

 

 

出エジプトの出来事から荒れ野を経てカナンに定住し、そしてバビロンに捕囚され、そして解放されエルサレムに帰還するまで、およそ750年の歴史です。詩人は、その歴史を主なる神の慈しみと神の民の罪の歴史と見ているのです。

 

 

 

わたしは、思います。詩人は、ペルシア時代にエルサレムに帰還した神の民の一員だったと。彼はエルサレムの神殿で主なる神を礼拝し賛美しました。その度に彼は、主なる神がアブラハムとの契約を忘れず、不思議な御業によって神の民イスラエルを救われました慈しみを覚えました。同時に彼の先祖たちと自分たちが犯し続けた罪を思い起こさないわけにゆきませんでした。

 

 

 

彼らの罪は、次のようなものです。小心なこと、常にこの世を恐れています。だから、主を信じません。常に忘恩です。主なる神の恵みと御救いの御業をすぐに忘れてしまいます。むさぼり、主なる神への不従順、偶像礼拝等です。

 

 

 

詩人は646節まで神の民イスラエルの歴史がどんなに罪深い歴史であったかを告白しています。わたしたちの目には絶望的な状態です。詩人は、その状況でエルサレム神殿が再建されている中でこの詩編を礼拝詩編として作りました。

 

 

 

神の民の罪とそれに対する主なる神の報復によって、先祖たちと同じように罪を犯した神の民たちは、バビロンに捕囚され、そして解放されて、エルサレムに帰還しました。帰還しないで、離散のユダヤ人として異国で多くの神の民たちが生活していました。

 

 

 

帰還した神の民たちも多くの苦しみを経験していました。諸国の民に苦しめられ、同胞の民の不正に苦しめられました。詩人は、帰還した神の民たちが、エルサレム神殿に巡礼で来る離散のユダヤ人たちが喜びをもって礼拝をささげるために、この詩編を作りました。

 

 

 

彼は彼の先祖たちの罪と同じ罪を犯したと告白することで、主なる神の慈しみと恵みの救いを、主なる神は常に罪を犯した神の民イスラエルと共に居てくださることを伝えようとしました。

 

 

 

主なる神は聖であり、義なるお方ですから、神の民イスラエルの罪に対して報いられます。それがバビロン捕囚でした。しかし、荒れ野における先祖たちのように、主は罪を裁かれますが、その後に神は恵みによって彼らを救われました。主なる神は、常に罪を犯した神の民イスラエルと共に居てくださいました。

 

 

 

4748節は、この詩編の結びです。これは、詩人の祈りと頌栄です。彼は、主なる神を「わたしたちの神」と呼びかけ、今帰還した神の民である詩人たちを助けてくださいと祈ります。そして、諸国からわたしたち神の民をエルサレム神殿に集めてくださいと祈ります。そして彼は主なる神の御救いに感謝し、主をほめたたえさせてくださいと祈っています。

 

 

 

詩人は最後に頌栄とハレルヤで、この詩編を閉じているのです。

 

 

 

この詩編が今わたしたちとどのように関わるのでしょうか。一つは、旧約聖書の神の民イスラエルの歴史は、新約時代のキリスト教会の歴史に結びついています。

 

 

 

神の民イスラエルは、来るべきメシアを期待し、礼拝しました。彼らの礼拝での犠牲、過越の祭は、キリストを予め示していました。キリストは十字架と復活によってわたしたちの罪を贖い、わたしたちを父なる神と和解させて、神の子としてくださいました。

 

 

 

毎週日曜日キリストに招かれる礼拝は、この詩編106編の礼拝と同じ価値があります。教会も2000年の歴史を歩み、わたしたちも旧約の神の民たちと同じ罪を犯しています。しかし、キリストは永遠の愛と慈しみによってわたしたちの礼拝にわたしたちと共に居てくださいます。

 

 

 

罪あるわたしたちがここで礼拝する資格があるのかと、問われるならば、キリストはあると言ってくださいます。いつも変わることなく、わたしの十字架によってあなたの罪は赦され、わたしの復活によってあなたはわたしと共に永遠の命の中にあると。

 

 

 

だから、わたしたちは、罪の告白と赦しの宣言においてわたしたちの罪を大胆に言い表し、その後に御言葉によって罪の赦しを得ているのです。そして、洗礼と聖餐によってわたしたち罪人と共に居てくださるキリストが、再びわたしたちのところに来てくださり、わたしたちは神の御国でキリストと共に永遠の命をいただけるのです。

 

 

 

 お祈りします。

 

 

 

 イエス・キリストの父なる神よ、詩編106編の御言葉を学べる恵みを感謝します。

 

 

 

わたしたちは、罪人です。大なり小なり、罪を犯し、旧約時代の神の民たち同様に罪を犯しましたと、主に告白する者です。

 

 

 

主イエスは、罪の世に来られただけでなく、罪人と交わり、罪人の罪を負って十字架に死なれ、復活し、今天におられます。しかし、キリストは父なる神と共にわたしたちに聖霊を遣わされ、キリストの霊として今わたしたち罪人と共に居てくださり、詩編106編を通して、わたしたちが教会の2000年の歴史の中で主の恵みとその救いにあずかっていることを教えてくださり感謝します。

 

 

 

どうか、わたしたちも詩人同様に、この礼拝ごとに「ハレルヤ」、「主に感謝せよ、主の慈しみはとこしえに」と主を賛美させてください。主を礼拝し、感謝し、賛美し、主の御心に従わせてください。

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。