詩編説教096               主の2018年9月23

 

 

 

新しい歌を主に向かって歌え。 歌え、主に向かって新しい歌を。

 

全地よ、主に向かって歌え。 歌え、主に向かって、全地よ。

 

主に向かって歌い、御名をたたえよ。歌え、主に向かって彼の名を誉め称えよ。

 

日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。良い知らせを告げよ、日から日へ、

 

国々に主の栄光を語り伝えよ 彼の救いを。語れ、国々に彼の栄光を。

 

諸国の民にその驚くべき御業を。 すべての諸国民の中で彼の驚くべき御業を。

 

 

 

大いなる主、大いに賛美される主 まことに大いなる主は大いに賛美される方。

 

神々を超えて、最も畏るべき方。 恐るべき彼は、すべての神々を超えて。

 

諸国の民の神々はすべてむなしい。まことにすべての神々は、諸国民の偶像。

 

主は天を造られ  しかし、主は天を造られた。

 

御前には栄光と輝きがあり 尊厳と威光は彼の面前に。

 

聖所には力と光輝がある  力と輝きは彼の聖所の中に。

 

 

 

諸国の民よ、こぞって主に帰せよ 帰せよ、主に、諸国民の家族よ。

 

栄光と力を主に帰せよ。 帰せよ、主に、栄光と力を

 

御名の栄光を主に帰せよ。 帰せよ、主に彼の名の栄光を。

 

供え物を携えて神の庭に入り 携えよ、供え物を、そして入れ、彼の中庭に。

 

聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。ひれ伏せ、主に、聖なる輝きの中で。

 

全地よ、御前におののけ。 おののけ、彼の面前で、全地よ。

 

 

 

国々にふれて言え、主こそ王と。言え、諸国民の中で、「主が王である」。

 

世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。世界もまた堅く立つ。決して

 

主は諸国の民を公平に裁かれる。揺るがない。彼は裁く、諸国民を、公平に。

 

天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ 喜べ、天は。喜び踊れ、地は。

 

海とそこに満ちるものよ、とどろけ とどろけ、海とそれに満ちるものは。

 

野とそこにあるすべてのものよ、喜び勇め 喜び勇め、野とその中にあるもの

 

森の木々よ、共に喜び歌え、はみな。そして、歓呼せよ、すべての森の木々は。

 

主を迎えて。 主の面前で、まことに彼は来る。

 

 

 

主が来られる、地を裁くために来られる。まことに彼は来る。地を差額ために。

 

主は世界を正しく裁き き彼は裁く。義によって世界を。

 

真実をもって諸国の民を裁かれる。 そして、諸国民を彼の真実によって。

 

 詩編第96113

 

 

 

説教題:「主こそ王」

 

 

 

今朝は、詩編第95111節の御言葉を学びましょう。

 

 

 

何度も繰り返しお話ししますが、詩編第9399編には表題がありません。そして、93100編は一つのストーリーなのです。すなわち、主が諸国民の王となられ(93959799)、敵に復讐され(94)、全世界が「新しい歌」を歌いつつ(9698)、歓呼の中で主に仕える(100)という神の民の喜びと希望を歌っているのです。

 

 

 

だから、詩編96編の詩人も世界の諸国民に新しい歌を王である主に向かって歌えと呼びかけています。「全地」は全世界のことであり、詩人は、全世界の諸国民に王である主を礼拝し、賛美せよと命じているのです。

 

 

 

主は天と地の創造者で、全世界のすべての諸国民を支配されています。詩人はわたしたちをこの事実に導いているのです。

 

 

 

この詩編の10節で詩人は「国々にふれて言え、主こそ王と。」と賛美していますね。詩編96編は、主なる神が王に即位されたという詩編です。だから詩人は神の民イスラエルだけでなく、全世界の諸国民に王である主を誉め称えよと命じているのです。

 

 

 

さて、詩編96編から98編は、3つの点で共通します。第一は、主は創造者です。天地を創造されたお方が神の民イスラエルの神、主です。第二は、主はイスラエルの民だけの神ではなく、世界の諸国民の神、主であります。第三は、主は全地の統治者として、義によって全世界の諸国民を裁くために来臨されることを述べています。

 

 

 

わたしたちが手にしている新共同訳聖書には、詩編96編に表題はありません。ところが初代教会が礼拝で使用していた七十人訳聖書には、次のような表題がありました。「捕囚後、宮が建てられた時のダビデの歌」。

 

 

 

この詩編は、ペルシア帝国のキュロス王が紀元前539年に勅令を出し、バビロン捕囚のユダヤ人たちが祖国に帰還を許され、紀元前538年にエルサレムに着き、第二神殿の建設を始めました。途中ユダヤを支配していましたサマリア人の妨害があり、紀元前515年に第二神殿が完成しました。

 

 

 

七十人訳聖書はその頃にこの詩編が作られたと説明しているのです。

 

 

 

今第一と第三木曜日の聖書を学ぶ集いで、イザヤ書を学んでいます。5666章の、第三イザヤ書と呼ばれているところを学んでいます。ちょうどペルシア帝国のキュロス王が勅令を出し、バビロン捕囚のユダヤ人がエルサレムに帰還し、第二神殿を建てた頃に、この第三イザヤ書の無名の預言者が活躍しました。

 

 

 

彼も、第一に主を創造者、イスラエルの主とみなしました。第二に全世界の諸国民の主とみなし、神の民と共に諸国民が第二神殿で主を礼拝することを預言しています。そして、第三は、主は諸国民を裁くために来られることを預言しています。

 

 

 

だから、思想が似ており、詩編96編と第三イザヤは同じ時代に書かれ、それぞれ詩編とイザヤ書に編集されたのでしょう。

 

 

 

詩人も第三イザヤ書の無名の預言者も、全世界の諸国の民に主への賛美を促し、主が全世界に王として君臨され、義をもって諸国民を裁かれるという終末的希望を持っていました。

 

 

 

この詩編は13節の詩で成り立っています。その内容から16節と713節に分けることができます。

 

 

 

13節で詩人は、全地、すなわち、全世界に向かって主への賛美を促し、礼拝へと招いています。

 

 

 

1節の「新しい歌」とは、主なる神の新しい奇跡の御業を述べる賛美です。バビロン捕囚からの解放でしょう。第二イザヤ書(4055)では、エジプトからの脱出に、バビロン捕囚からの解放をたとえております。

 

 

 

だから、詩人は、バビロン捕囚からの解放を、主の新しい奇跡の御業として、第二神殿で主を礼拝し、主を賛美しようと命じたのでしょう。なぜなら、全世界の諸国民がバビロン捕囚から主が神の民イスラエルを解放されたことを見たからです。

 

 

 

だから、詩人は、全地が、全世界が主を賛美し、主の御名を称えて、日々、主のバビロン捕囚からの解放という御救いの良き知らせを、出エジプトの良き知らせを語り伝えたように、語り伝えようと呼びかけているのです。

 

 

 

詩人の先祖たちが出エジプトという主なる神の奇跡を、幕屋や神殿で歌って、主の栄光を彼らの子孫や周辺の諸国民に語り伝えたように、バビロン捕囚という驚くべき主の御救いの業を、全世界の諸国民に語り伝えようと、詩人は歌っているのです。

 

 

 

13節で、詩人の神賛美からわたしたちは、神の民の御救いを全地に、全世界の諸国民に宣べ伝えようという強い使命感を感じ取ることができるでしょう。この詩人から神の民の使命が主を礼拝賛美し、主の救いの御業を諸国の民たちに宣べ伝える伝道であるという強い情熱を感じないでしょうか。

 

 

 

さらに、46節で詩人は、まず主は大いなる方で、大いに誉め称えるべきお方と賛美します。

 

 

 

続いて詩人は諸国の民に、主のみを神として崇めるように促しています。彼らが生活の中で拝む神々は偶像であり、空しいと述べています。

 

 

 

それから、詩人は、主は天を創造され、栄光と輝きに包まれ、神殿の聖所には主の御力と光輝、すなわち、美が立ち込めていると歌っているのです。

 

 

 

わたしは、詩人の礼拝観を読み取れると思います。どうして全地の神の民が神殿で主を礼拝するのかと。

 

 

 

その答えは、主が天地の創造者で、真の神であるからです。諸国の神々は偶像で、空しいものにすぎません。主は栄光と輝きに包まれ、神殿の聖所には主の御力と光輝、すなわち、美が立ち込めています。

 

 

 

ですから、79節で詩人は諸国の民に主に栄光を帰せよと呼びかけるのです。

 

 

 

神殿で主なる神を礼拝するようにと招くのです。礼拝とは主を最も高貴なお方と認めることです。この世のすべてよりも価値があるお方と認めることです。

 

 

 

それが「主に帰せよ」、「栄光と力を主に帰せよ」、「主の御名を主に帰せよ」ということです。

 

 

 

礼拝は、主なる神が御自身を啓示された出来事に対する応答です。出エジプトという奇跡の出来事を通して、主なる神は神の民イスラエルと諸国の民に、御自身を天地の創造者、唯一の主として現わされました。

 

 

 

だから、主はモーセが神の民を導いたシナイ山に現れ、彼らと契約を結ばれ、彼らに十戒の石の板を授けられました。それに神の民が主のみを唯一の神として礼拝し、仕えるように教えられていました。

 

 

 

バビロン捕囚からの解放という第二の出エジプトの出来事を通して、主は再び御自身を天地の創造者、唯一の主として御自身を現わされました。

 

 

 

だから、諸国の民はそれに相応しい畏れをもって主なる神を礼拝するように、詩人は促しているのです。

 

 

 

第一に8節で「供え物を携えて神の庭に入れ」と詩人は促します。その供え物は、目に見える品物ではありません。主が喜ばれるのは神の民の「砕けた魂」です。主は礼拝する者が主の御前に自分の罪を悔いることを軽んじられません。

 

 

 

第二に、9節で「聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ」とありますね。ここは口語訳聖書は「聖なる装いをして主を拝め」と訳しています。

 

 

 

ヘブライ語旧約聖書の原文は、そのまま日本語にすると次のようになります。「ひれ伏せ、主に、聖なる輝きの中で」。

 

 

 

サンデースーツという言葉をご存知でしょうか。日曜日には勝負服を着て、礼拝に出席することです。勝負服とは自分が持っている最高の服です。自分が最高の装いで主を崇め礼拝すべきだという根拠となった御言葉です。

 

 

 

新共同訳聖書は、口語訳聖書の訳を捨てました。礼拝者が聖なる装いで主を礼拝することよりも、礼拝は神殿に聖なる輝きに満ちた主が臨在されるゆえに、礼拝者は主を畏れ礼拝すべきだと理解しています。

 

 

 

礼拝で大切なことは、礼拝者はサンデースーツを着て、礼拝することではありません。礼拝は、聖なる輝きに満ちた主が臨在されるところです。だから、聖なるお方にふさわしく清い生活を礼拝者は心がけるべきなのではないでしょうか。すなわち、聖なる主に、ひれ伏すことから、わたしたち神の民の生活は始められるべきだということです。

 

 

 

1013節で詩人は、諸国の民に主なる神の主権性と来臨を告げ知らせています。

 

 

 

詩人は、諸国の民に10節で「主こそ王」と宣言します。詩編931節の御言葉です。「主は王である」という神の民の信仰告白です。10節は931節の引用です。

 

 

 

天地の創造者、主が全地を、全世界を、王として統治されています。だから、世界は堅く立ち、決して揺らぐことはありません。

 

 

 

また、詩人は。次のことを力強く宣言しています。創造者、主が全世界を裁くために来臨されると。

 

 

 

第二イザヤと第三イザヤと同じ終末観を、この詩人は信じているのです。

 

 

 

すなわち、世界の諸国民は、来たりつつある主の裁きに向けて、将来へと生きているということです。

 

 

 

主は世界の諸国民を公平に裁かれます。13節で詩人は、主の裁きを次のように宣言します。主は「正しく」、すなわち、義によって諸国の民を裁かれ、「真実をもって諸国の民を裁かれる」と。

 

 

 

詩人は、11節でその時を、主に創造された天と地は喜べ、森と木々は共に喜び踊れと賛美しています。

 

 

 

主は、御自身の主権性によって諸国の民を義と真実をもって裁かれます。

 

 

 

詩人は、諸国の民にそれを福音として告げ知らせているのです。

 

 

 

わたしたちが今朝の詩編96編の御言葉を、福音として聞き取るためには、主イエス・キリストを無視することはできません。

 

 

 

この詩人の預言通りに、主イエス・キリストは来られました。そして、礼拝に招かれた全世界の諸国の民は、公平に、義と真実によって裁かれました。

 

 

 

それが、キリストの十字架でした。

 

 

 

ヨハネによる福音書は、次のように主イエスの来臨を、主イエスを信じる者たちの福音として告げています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ316)

 

 

 

詩人が諸国の民を礼拝に招くのは、主イエス・キリストに招いているのです。主イエスを救い主と信じる者のみが、主が招かれる教会で新しい歌を主に向かって歌い、主の御名を称えているのです。

 

 

 

なぜなら、神の民にとって、主が公平と義と真実によって諸国の民を裁かれることは、救いであるからです。詩人が預言した通り、主は人となり、この世界に来られました。そして、この世界の諸国民が神の民、神の子とされるために、御自身の十字架において父なる神の裁きを受けてくださいました。

 

 

 

それを、わたしたちの罪のためであると信じて、主イエスをわたしたちの救い主と、今わたしたちは詩編96編の詩人同様に、礼拝で主イエスを救い主と、誉め称えているのです。

 

 

 

そして、再臨のキリストの訪れを待ち望んでいるのです。そこで主なる神は、最後の審判によって世界を裁かれます。しかし、神の民は再臨の主イエスに、死者の中から復活させられ、新しい新天新地に永遠の住まいを得るのです。そこで真実わたしたちは、この詩編96編を心から喜び、賛美するのです。

 

 

 

お祈りします。

 

 

 

 イエス・キリストの父なる神よ、今朝は詩編96編の御言葉を学ぶことができて感謝します。

 

 

 

 今朝も、主にお招きいただき、礼拝できる喜びを感謝します。

 

 

 

96編の詩人が預言したことは、主イエスが来られて、御自身の十字架で実現されました。また、主イエスの再臨によって完成され、わたしたちは主イエスが備えてくださった新天新地で永遠の命にあずかり、心から喜びをもって

 

この詩編96編を賛美できることをうれしく思います。

 

 

 

主は神の民にとって王であり、大いなる方であり、創造者であり、救い主であり、支配者であり、裁き主であります。どうか、この礼拝で主の御前にへりくだり、心から主に服従させてください。

 

 

 

どうか、心を頑なにして、御国に入ることの出来ない者にしないでください。

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。