詩編説教111              主の2020223

 

ハレルヤ。 ハレルヤ(ヤハを賛美せよ)

 

わたしは心を尽くして主に感謝をささげる。わたしは主に感謝する、心のすべ

 

正しい人々の集い、会衆の中で。 てで(心を尽くして)。正しい者たちと会衆の

 

主の御業は大きく 中で。大きい、主の御業は。

 

それを愛する人々は皆、それを尋ね求める。 尋ね求められる、それらを喜ぶ

 

主の成し遂げられることは栄え輝き すべての者たちに。尊厳と威光が彼は働

 

恵みの御業は永遠に続く。 き。そして彼の義は永遠に立つ。 

 

主は驚くべき御業を記念するように定められた。彼は記念を作った、彼の

 

主は恵み深く憐れみに富み 不思議な御業を。 恵み深い憐れみ深い、主は。      

 

主を畏れる人に糧を与え 彼は糧を与える、彼を畏れる者たちに。

 

契約をとこしえに御心に留め 彼は永遠に覚える、彼の契約を。

 

御業の力を御自分の民に示し 彼の諸々の御業の力を、彼は彼の民に告げ

 

諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる 諸国の嗣業を、彼らに与える。

 

御手の業はまことの裁き 彼の両手の御業は、まことと裁き。

 

主の命令はすべて真実 彼の命令のすべては、確かである。

 

世々限りなく堅固に とわに永遠に支えられる。

 

まことをもって、まっすぐに行われる。行われる、まことをもって、真っすぐ

 

主は御自分の民に贖いを送り に。贖いを、彼は贈った、彼の民に。

 

契約をとこしえのものに定められた。 彼は命じた、永遠に、彼の契約を。

 

御名を畏れ敬うべき聖なる御名。 聖なる、そして畏れるべき彼の御名。

 

主を畏れることは知恵の初め。 知恵の初めは主への畏れ。 

 

これを行う人はすぐれた思慮を得る。 良い思慮がこれを行うすべての人々に                    

 

主の賛美は永遠に続く。 ある。彼への賛美を永遠に立つ。

 

                   詩編第111110

 

 

 

説教題:「神の驚くべき御業を記念する」

 

今朝は、詩編111110節の御言葉を学びましょう。

 

 

 

詩編111編と次の112編は、「アルファベットによる詩」と、括弧して表題が付されています。アルファベットによる詩で有名なのは119編です。ヘブル語22文字のアルファベットで詩が作られています。日本で言えば、いろは歌です。ヘブライ語の22文字のアルファベットの順に22行の詩を作っています。1節の「ハレルヤ」を除くと、22行になります。「ハレルヤ」は、この詩が作られた後に、付け加えられたと、考えられ、いろは歌に本来属していませんでした。

 

 

 

アルファベットによる詩のように技巧的な詩は、バビロン捕囚期、あるいはそれ以後に作られたと考えられています。アルファベットによる詩に対する評価は、二分されています。評価する人と評価しない人に。ヘブル語22文字の順に詩を書くという技巧的制約があることを、ある人はこの詩の欠点と見なします。反対にその制約にもかかわらず優れた詩であると評価する人がいます。

 

 

 

アルファベットによる詩なのですから、技巧的制約は避けられません。また、ある程度の決まり文句で詩を書くことも避けられません。この111編を繰り返しお読みになると、まず言葉に豊かさを感じられないと思います。詩人の言葉が豊かにあふれ出ているという感じはありません。むしろ、ウェストミンスター小教理問答書を読んでいるという感じです。詩人が日常生活で使う言葉ではなく、信仰の言葉で、もっと言えば教理の言葉で主なる神を褒め称えているという感じがします。

 

 

 

神を褒め称える共同体が存在するのです。「ハレルヤ」と。主を賛美せよと。

 

 

 

詩編は、冒頭と最後に頻繁に「ハレルヤ」が出てきます。111編のように冒頭に出て来るのは、10編あります。112編、113編も冒頭に出てきます。詩編の最後に出て来るのは、13編あります。113編は冒頭と最後に出てきます。

 

 

 

特に詩編113118編はハレルヤ詩編と呼ばれ、過越の祭に歌われたと言われています。過越の祭に主イエスが12弟子たちと最後の食事をされ、一同が賛美の歌を歌ってから、オリーブ山に行かれました。その時に歌われた詩編歌が詩編113118編のハレルヤ詩編でした。

 

 

 

新約聖書ではヨハネ黙示録1916節にハレルヤ賛美があります。

 

 

 

旧約でも新約でも主をハレルヤと賛美しますので、教会の礼拝の中でも主をハレルヤと賛美したいです。

 

 

 

残念ながら、教会の備え付けのジュネーブ詩編歌抄には、詩編116117編しかありません。いつかジュネーブ詩編歌150編を教会に備え付け、教会の礼拝で、受難週や聖餐式の時に主をハレルヤと賛美できたらと願っています。

 

 

 

詩編111編は、個人の賛美の歌であります。詩人は、過去のおける主なる神の驚くべき御業を記念して、心に覚えて、主をハレルヤと賛美しているのです。

 

 

 

詩人は、1節で「ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる。」と主を褒め称え、10節で「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。」と主を褒め称えています。それは、詩人個人の救いの体験を、主に感謝しているのではありません。29節の主なる神の救いの歴史における偉大な御業を褒め称えているのです。

 

 

 

それがこの詩編のテーマです。神の救いの歴史の賛美です。

 

 

 

詩人が4節で「主は驚くべき御業を記念するように定められた。」と賛美していますね。

 

 

 

旧約のイスラエルの神の民たちは、神の救いの歴史における神の大いなる御業を、過越の祭、ペンテコステの祭、仮庵の祭でそれぞれ記念して祝いました。過越の祭は、出エジプト、奴隷の地から主なる神に贖われたことを覚えて祝いました。ペンテコステの祭ではシナイ山で主なる神がモーセを通して神の民に十戒の石の板を授けられ、主なる神と契約したことを覚えて祝いました。そして仮庵の祭は、神の民たちが荒れ野の40年の生活を覚えて、神の祝福を祝いました。

 

 

 

この詩編はバビロン捕囚後エルサレムに帰還した神の民たちが再建された神殿で歌われました。

 

 

 

しかし、最初にこの詩編はウ小教理を読んでいるみたいだと言いましたね。旧約の神の民たちは、神の救いの歴史を家長である父親が家庭で子供たちに教えました。

 

 

 

2節の「主の御業は大きく それを愛する人々は皆、それを尋ね求める。」とは、家長である父親が子供たちにそれぞれの家庭で神の救いの御業である出エジプト、シナイ山での主と神の民との契約、そして荒野の40年の生活を教えていたことを背景としていると思います。

 

 

 

詩人は、子供の時から父親に教えられていたことを言葉にして、主なる神の救いの歴史における神の御業の偉大さを、主なる神の驚くべき御業を記念して、この詩編を歌ったのだと思います。

 

 

 

わたしたちがウェストミンスター小教理問答を用いて契約の子たちを教育するように、旧約時代の契約の子供たちは父親から神の救いの歴史における神の偉大な御業を教えられました。そして、それが子供たちの信仰の言葉になりました。彼らは、神の民イスラエルの父祖たちのように出エジプトという救いの体験はありません。シナイ山で主なる神に十戒の石の板を授けられて、主なる神と契約を結んだという体験はありません。荒れ野の40年という生活の体験もありません。しかし、父から子へと伝えられた教えを通して、子供たちに信仰の言葉、教理が与えられ、それが子供たちの心に堅く据えられました。

 

 

 

神の民たちは、親から子へと神の救いの歴史における偉大な神の御業を伝えることによって、その信仰の遺産によってバビロニア帝国からペルシア帝国へと中近東世界が大変動する時代を生き抜いたのです。

 

 

 

次々と中近東世界は、帝国の興亡が続きました。その中で多くの弱小国は滅び、民族も消えました。しかし、神の民たちは国が滅ぼされ、エルサレムの都と神殿が破壊され、そして彼らはバビロンに捕囚され、世界へと離散しても、生き残ることができました。

 

 

 

彼らは、神の救いの歴史における驚くべき神の御業を常に褒め称えました。バビロンに捕囚されても、ペルシア帝国の支配下に置かれても、主なる神を褒め称えることを止めませんでした。

 

 

 

なぜなら父から子へと伝えられた信仰が、すなわち、出エジプトによる贖い、シナイ山での十戒の授与と神との契約、荒れ野の40年の生活と約束の地カナンを嗣業として与えられたこと、これらが常に彼らの信仰の客観的な保証となりました。

 

 

 

詩人も同じです。父から教えられた信仰によって彼は、バビロン捕囚からエルサレム帰還、そして神殿の再建を経験したでしょう。彼にとってバビロン捕囚からの解放は第二の出エジプトだったでしょう。

 

 

 

彼は、父親に教えられた信仰の言葉によって、バビロン捕囚後の混乱した社会を生きたのです。再建されたエルサレムの神殿で共に礼拝する者たちと共に生きました。

 

 

 

1節の「正しい人々」は信仰を自覚した者という意味です。神の契約の子たちは、父から子へと信仰が伝えられた信仰の言葉によって、主なる神の驚くべき御業を知らされます。そして、聖霊によってその信仰が生きたものとなり、教えられた神の偉大な御業を生きた事実として主体的に受け取り、主なる神のみを信じて生きるようになるのです。

 

 

 

だから、正しい人々は信仰を自覚した者です。彼は父から教えられた神の偉大な御業を喜ぶ者となり、生涯追い求める者となるのです。その者たちの集いである神の民の礼拝共同体で、偉大な神の御業が知らされ、そして、記念されるのです。

 

 

 

今日、毎週の日曜日の礼拝で、神の偉大な御業が語られ、知らされています。詩人が賛美したシナイ山における主なる神と神の民との契約の内容は、キリストです。出エジプトと第二の出エジプトであるバビロン捕囚からの解放を為された主なる神は、主イエス・キリストの十字架と復活の御業を通して、わたしたちを罪の奴隷から贖い出されて、神の子とし、神の御国の相続人としてくださいました。

 

 

 

こうして詩人たちの信仰とわたしたちの信仰は、神の契約を通して、キリストにあって一つとされているのです。

 

 

 

旧約の神の民たちに荒れ野でマナを与えられた恵みと憐れみに富まれる主は、今わたしたちにパンとぶどう酒をお与えくださり、神の恵みの契約を心に留めさせ、キリストの十字架と復活の驚くべき御業をわたしたちに知らせてくださっています。それによって神の民がカナンの地を得たように、わたしたちは御国を相続させていただけるのです。

 

 

 

9節の「贖い」は、神の民が奴隷状態のエジプトから救出されたことを意味します。これが旧約の神の民たちの信仰の土台です。主なる神の一方的な恩寵によって神の民たちは、主なる神と特別な関係に入りました。主なる神は彼らの神となり、彼らは神の民となりました。それが契約です。

 

 

 

主なる神は、主権的に彼らと契約を結ばれました。

 

 

 

わたしたちも同じです。父なる神が一方的にキリストをこの世に遣わされ、彼の十字架と復活の御業によって、わたしたちは罪と死から贖われ、神の子とされました。

 

 

 

9節の御言葉は、主なる神の主権的行為を賛美しているのです。今日も主なる神は主権性によって日曜日に礼拝をなさせ、神の民を集め、主イエス・キリストの十字架と復活の驚くべき御業を知らせて、恵みの契約を実行し、神の民を贖われているのです。

 

 

 

主なる神は聖なるお方で、義なるお方です。憐れみ深く慈しみ深いお方です。そのお方が驚くべき御業によって神の契約を常に遂行し、この世から神の民を贖われ、神の子とされているのです。

 

 

 

だから、詩人は最後の10節でこう言うのです。「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。

 

 

 

関根正雄氏は「それらを行なう者みなに良き終わりあり」と意訳されています。

 

 

 

詩人は、父から信仰を学び、「主を畏れることは知恵の初め」という教訓を得ました。人間として生きる幸いの一歩は主なる神を敬い礼拝し、賛美することです。同時にその者は良き終わりを得ているのです。だから彼は永遠に神を賛美します。

 

 

 

この10節の御言葉は、わたしたちにウェストミンスター小教理問答の問1と答を思い起こさせないでしょうか。

 

 

 

「人のおもな目的は何ですか。」「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」

 

 

 

詩人は、わたしたちの目的を、神を畏れること、神礼拝というのです。人生のどこにおいても、日曜日の礼拝だけでなく、日常生活において神を礼拝し、賛美することと歌っているのです。その者の最後は良き終わりです。神を永遠に喜び、賛美する終わりです。

 

 

 

どうか、ここに居るわたしたちも神の契約の中に置かれ、神を褒め称え、終わりが御国の喜びであることに感謝しようではありませんか。

 

 

 

 お祈りします。

 

 

 

 イエス・キリストの父なる神よ、詩編111編の御言葉を学べる恵みを感謝します。

 

 

 

親から子へと伝えられる信仰に生きる者に、主の祝福を祈ります。どうか主よ、わたしたちの子供たちを憐れみ、わたしたちの信仰に、ウェストミンスター小教理問の信仰に生かしてください。

 

 

 

何時の時代も大変動が起こっております。今、新型肺炎の流行で、世界も経済も混乱しています。

 

 

 

しかし、この詩編111編の詩人が歌っているように、主なる神の偉大な御業に、キリストの十字架と復活の御業を心に留めさせてください。

 

 

 

キリストのみに信頼し、今の世を生かしてください。聖書の神の啓示に、その教えである信仰によって、今この世界に神の救いの歴史があり、実際に神の御救いがあることを確信させてください。

 

 

 

旧約時代の神の民たちが主なる神の導きで、大国間を、大国の興亡の中を生き抜いたように、わたしたちの小さな群れが今の時代に急激な変化する世界と社会の中を生き抜くことができるようにしてください。

 

 

 

教会がキリストの偉大な御業を覚えて、記念し、世の人々に告げ知らせる限り、主はこの教会を正しい者の集いとしてくださることを感謝します。

 

 

 

主が主権的にこの教会の群れをお集めくださり、キリストを通しての神の契約が今も生きており、わたしたちが御国の相続人とされていることを感謝します。

 

 

 

どうか、聖霊に寄り頼み、ここで神の御言葉を聴き続けさせてください。

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。