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4月21日 礼拝

4月21日 説教

詩編説教143              主の2024421

     賛歌。ダビデの詩。           賛歌。ダビデの。

主よ、わたしの祈りをお聞きください。 主よ、聞いてください、わたしの祈

嘆き祈る声に耳を傾けてください。 りを。耳を傾けてください、わたしの嘆

あなたのまこと、恵みの御業によって 願に。あなたの真実でわたしに答えて

わたしに答えてください。 ください、あなたの正義をもって。

あなたの僕を裁きにかけないでください。来ないでください、あなたの僕の裁

御前に正しいと認められる者は きに。まことに義とされません、あなたの御

命あるものの中にはいません。 前ですべての生ける者は。

敵はわたしの魂に追い迫り まことに敵がわたしの魂に追い迫り、

わたしの命を地に踏みにじり わたしの命を地に踏みにじり

とこしえの死者と共に わたしを暗い所に住まわせました、

闇に閉ざされた国に住まわせようとします。 永遠の死者のように。

わたしの霊はなえ果て 弱り果てました、わたしの上で、わたしの霊が。

心は胸の中で挫けます。 わたしの内で呆然とします、わたしの心は。

わたしはいにしえの日々を思い起こし わたしはいにしえの日々を思い起こし、

あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し あなたのすべての御業を

御手の業を思いめぐらします。 思い巡らせました。あなたの御手の御業を、

あなたに向かって両手を広げ わたしは深く思います。わたしは広げます、

渇いた大地のようなわたしの魂を わたしの両手を、あなたに向けて。

あなたに向けます。セラ。わたしの魂はあなたには渇いた大地のようです。

            セラ

主よ、早く答えてください。 急ぎ、わたしに答えてください、主よ。

わたしの霊は絶え入りそうです。 わたしの魂は絶え入りました。

御顔をわたしに隠さないでください。わたしに御顔を隠さないでください。

わたしはさながら墓穴に下る者です。 わたしは穴に下る者たちと同じになり                     

朝にはどうか、聞かせてください ました。朝にわたしに聞かせてください、

あなたの慈しみについて。あなたの慈しみを。

あなたにわたしは依り頼みます。 まことにわたしはあなたを信頼します。 

行くべき道を教えてください わたしに知らせてください、わたしの行くべき

あなたに、わたしの魂は憧れているのです。 道を。まことにあなたにわたし

主よ、敵からわたしを助け出してください。 はわたしの魂を上げます。

御もとにわたしは隠れます。  敵からわたしを救い出してください、主よ。

御旨を行うすべを教えてください。 あなたにわたしは身を隠します。

あなたはわたしの神 わたしに教えてください、あなたの意志を行うこと

恵み深いあなたの霊によって を。まことにあなたはわたしの神。あなたの

  安らかな地に導いてください。 良き霊がわたしを導いてください、

主よ、御名のゆえに、わたしに命を得させ 平らかな地で。主よ、あなたの

恵みの御業によって 御名のゆえに、わたしを生かせてください。あなたの

  わたしの魂を災いから引き出してください。 義によってわたしの魂を

あなたの慈しみのゆえに、敵を絶やしてください。悩みから出してください。

わたしの魂を苦しめる者を あなたの慈しみによって、わたしの敵たちを

  ことごとく滅ぼしてください。 滅ぼしてください。わたしの魂を攻め

わたしはあなたの僕なのですから。 る者をすべて滅ぼしてください。まこ

                 とにわたしはあなたの僕です。

           詩編第143112

 

説教題:「信仰にあえぐ」

詩人は、彼の敵に苦しめられています。信仰に喘いでいます。そして、詩人は主なる神に祈り求めているのです。主なる神が速やかに敵からの苦しみから彼を救い出され、彼の敵を滅ぼされることを。

 

しかし、詩人は彼の敵が何者で、彼に対して何をしているのかを具体的に語りません。彼は、主なる神に彼の魂の苦しみを訴えていますが、それが具体的に何なのかを具体的に語ってはいません。

 

この詩人の主なる神への嘆きがわたしたちの嘆きであり、この世における神の民が共通に経験する信仰の喘ぎであると、わたしは思うのです。

 

詩人は、1節で「主よ」と呼びかけ、「わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈る声に耳を傾けてください」と、主なる神に嘆願しています。

 

そして詩人は、主なる神に3節で「敵はわたしの魂に追い迫り わたしの命を地に踏みにじり とこしえの死者と共に闇に閉ざされた国に住まわせようとします。」と訴えています。

 

敵の攻撃によって詩人は命を狙われ、彼の魂が苦しめられています。

 

しかし、詩人は、主なる神に祈りの答を求めて、1節後半では「あなたのまこと、恵みの御業によってわたしに答えてください」と訴えています。

 

この詩人に、わたしが惹かれますのは、詩人が主なる神の裁きから自分は安全であると思っていないことです。むしろ、彼は主なる神の裁きが彼に来ることを恐れているのです。

 

詩人は、2節でその理由を、次のように主なる神に訴えているのです。「あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は命があるものの中にはいません。」

 

わたしは、この詩人の祈りを聞いていて、何のつながりもなく、わたしたちがこの教会の礼拝で共に主の祈りをしているという、わたしたちの信仰の経験を思い起こしました。

 

詩人は、旧約時代の人ですから、主イエスが12弟子たちに教えられた主の祈りを知りません。しかし、わたしは、主の祈りとこの詩人の祈りが似ていると思うのです。

 

彼は、わたしたちが主イエスに向かって主の祈りをするように、主なる神に向かって罪の赦しを祈り求めているのです。詩人とわたしたちに共通することは、主なる神の御前でこの世で生きているすべての人は一人も義人はいないということです。

 

わたしたちが再臨のキリストを待ち望むように、詩人も主なる神が審判者として来られるのを知っているのです。まことに主なる神がすべての者を裁く審判者として来られたら、この世に命あるものは誰も救われません。人はすべて、主なる神の御前に罪ある者だからです。

 

わたしたちも主イエスに祈りますとき、主イエスのまことと正義を信じて祈るのです。主イエスのまこととは、主イエスがわたしたちの罪のために十字架に死なれたことです。そして、主イエスがわたしたちに代わって神の御前で義を得てくださったことです。それによってわたしたちは、神の御前で義と認められ、罪の赦しを得たのです。

 

詩人の祈りは、わたしが語るほど具体的ではありませんが、詩人が主なる神のまことと正義に訴えて、罪の赦しを嘆願していることは事実です。

 

詩人が3節で言っている彼の敵とは、誰でしょうか。わたしは、わたしたちの敵であるサタンであると思うのです。そうであるなら、この詩人の祈りは、わたしたちがこの世で経験している祈りです。

 

サタンがわたしたちの魂に追い迫り、わたしたちの命をこの世で踏みにじり、闇に閉ざされた国に、それは永久に死んだ者の領域です。主なる神さまとの関係を失ってしまった闇の国です。サタンは、詩人を、わたしたちをそこに住まわせようとしているのです。

 

詩篇142編の詩人も、4節で主なる神にこう告白しています。「わたしの霊がなえ果てているとき わたしがどのような道に行こうとするか あなたはご存じです。その道に行けば そこには罠が仕掛けられています。」

 

まさにサタンが詩人の心を、霊性を衰えさせ、主なる神との関係を捨てさせ、詩人を闇に閉ざされた国に住まわせようとしているのです。思い出してください。マタイによる福音書の5章です。そこに主イエスが悪霊に取りつかれたゲラサ人を救われた事件を記しています。

 

主イエスは、12弟子たちと、ゲラサ地方に行かれました。そこで墓場に住んでいた鎖につながれた人と出会われました。彼には多くの悪霊が住み着いていました。ゲラサの人々は誰も、彼から悪霊たちを追い出すことができませんでした。しかし、主イエスは彼の中に住んでいる悪霊たちに「出て行け」と命じられました。すると、悪霊たちはその墓場に住んでいた人から出て行きました。

 

悪霊たちにつかれていたゲラサ人は、この詩人が訴えているように墓場、すなわち、闇に閉ざされた死んだ者たちのいる世界に閉じ込められていました。彼の心は悪霊たちによって弱められ、人としての心を失っていたのです。そこから主イエスは、御言葉によって彼を引き出されました。闇に閉ざされた死人の世界から、彼を光のある人の世界に引き出されたのです。

 

暗闇の世界から詩人を救ったのは、彼の力でも、能力でも、努力でもありませんでした。闇に閉ざされた国に住まわされた詩人は、そこで昔から主なる神がどんなに詩人に恵みを施してくださったかを思い巡らせたのです。

 

悪霊たちによって人の心を奪われていたゲラサの人は、主イエスの御言葉によって正気に戻されました。彼は、主イエスの弟子たちと共に、主イエスについて行こうとしましたが、主イエスは彼に故郷に帰り、彼に神がしてくださった恵みを伝えるように告げられました。主イエスの恵みによって、彼の渇いた魂が癒されました。

 

詩人は、主なる神に6節で「あなたに向かって両手を広げ 渇いた大地のようなわたしの魂を あなたに向けます」と祈っています。ゲラサの人が主イエスに目を向けたように、詩人は主なる神に信仰の目を向けました。

 

わたしたちは、自分の信仰にあえぐ時があります。信仰のスランプがあります。心が冷めて、信仰の熱がなくなる時があります。まるでわたしの心が悪霊たちに占拠され、わたしたちは暗闇の中に閉じ込められた感じになることがあります。

 

そこから抜け出す道は、わたしたちがさらに信仰に熱心になることではありません。ましてやわたしたちが勇気を出してサタンに打ち勝とうとすることではありません。

 

今あなたが自分は何か暗闇の中にいるみたいだ。教会にも、礼拝にも行きたくはないと思うのであれば、そこから抜け出す方法は一つしかありません。わたしたちの目を、この詩人のように主なる神に向けることです。

 

そして、わたしたちが主エスに出会ってから、主エスがわたしたちに示してくださった恵みを思い出し、数えることです。

 

詩人は、ゲラサの人が主エスによって墓場から救い出されたように、主なる神の救いを経験してはいません。それを切に望んでいるのです。

 

だから、詩人は712節で主なる神が彼を救うために、彼が居る所に来て下さるように嘆願するのです。

 

詩人は、自分の死を知っています。人は死に、墓に葬られるのです。だから、暗闇の世界に住まわされる彼には、朝の光が必要です。詩人は、主なる神に8節で「朝にはどうか、聞かせてください あなたの慈しみついて」と嘆願するのです。わたしは、この詩人の祈りを、復活の主イエスが実現して下さったと思うのです。

 

十字架に死なれた主イエスは、墓に葬られ、三日目に、日曜日の朝に復活し、神の慈しみを語られ、弟子たちは復活の主イエスと御使いを通して、死者の中から復活されたキリストを知らされたのです。

 

そして、復活の主イエスは、11弟子たちと女性たちに御自身がどこに行かれるかを教えられました。復活の主イエスによって11弟子たちと女弟子たちは、人は死に、墓に閉じ込められるのではなく、キリストが復活されたように、弟子たちも死んで、新しい命に復活することを教えられたのです。

 

復活の主イエスによって、その御名のゆえにわたしたちは、死ぬべき命ではなく、永遠に生かされる命を得たのです。

 

しかし、この地上の世界には、今もなお主なる神の敵であり、わたしたち神の民の敵であるサタンは働き、主イエスの御救いと平和を壊そうとしているのです。だから、わたしたちは、エフェソの信徒への手紙で教えられ、この詩人が教えていますように、主なる神の敵であるサタンが滅ぼされ、神の御国が実現するように祈ろうではありませんか、

 

お祈りします。

 

 イエス・キリストの父なる神よ、イースターの朝を、今年もわたしたちにお与えくださりありがとうございます。

 

どうか、143編の詩人の苦難と嘆きの祈りを通して、主イエスの十字架の苦しみと復活を瞑想させてください。

 

神の民の敵は、サタンです。サタンは、人を用いて、国を操り、この世に戦争を起こし、社会を腐敗させ、わたしたち人間の尊厳を傷つけ、わたしたちから希望を奪おうとしています。

 

しかし、どんなにわたしたちの世界が闇の世界であり、わたしたちの心が闇に閉ざされても、どうかわたしたちが復活の主イエスを仰ぎ、主イエスがゲラサ人を墓場から解放され、わたしたちを死の支配から解放し、サタンの罠から救い出してくださった恵みを思い起こさせてください。

 

詩人が二度わたしは主の僕ですと告白しましたように、わたしたちキリスト者も主の僕です。詩人が主に信頼して生きることを誓ったように、わたしたちも教会の礼拝において主の僕として生きることを誓い、洗礼を受け、信仰告白をしました。

 

主イエスは、約束通り来てくださいます。未来からわたしたちを暗闇の世界から救い出すために。どうか、キリストの再臨の時を待ち望ませてください。

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。