エフェソの信徒への手紙説教11         2023年9月10

だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。しかしあなたがたは、以前は遠くに離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠くに離れているあなたがたにも、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それでこのキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、

主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

                   エフェソの信徒への手紙第21122

 

説教題:「一人の新しき人を造り上げる」

今朝は、エフェソの信徒への手紙第21418節の御言葉を学びましょう。

 

使徒パウロは、この手紙の214節で、「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」と述べています。

 

実に」という言葉は、「なぜならば」という接続詞です。使徒パウロは、神から遠くにいた異邦人が主イエス・キリストを通して神に近い者とされた理由を述べているのです。

 

使徒パウロは、「キリストはわたしたちの平和であります。」と述べています。主イエス・キリストは、御自身の十字架の死を通して、わたしたちの平和を作ってくださいました。

 

その平和の第一が、1415節の「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。」です。

 

キリストは、異邦人とユダヤ人という二つのものを一つとしてくださいました。キリストが御自身の御体を十字架で犠牲にされ、異邦人とユダヤ人との間にあった敵意と隔ての壁を取り壊されました。

 

規則と戒律ずくめの律法」は、ユダヤ教の律法のことです。これは、ユダヤ人を異邦人たちの汚れから守る囲いでありました。

 

キリストは、異邦人とユダヤ人という二つのものを一つとされました。エルサレム神殿で主なる神を礼拝するとき、ユダヤ人たちは異邦人たちとは別の礼拝場はで礼拝しました。エルサレム神殿はユダヤ人と異邦人たちの礼拝の場を、壁で隔てました。

 

キリストの死によって、エルサレム神殿での礼拝とユダヤ教の儀式律法は意味がなくなりました。それによって異邦人とユダヤ人の間の敵意が意味を失いました。

 

わたしたちの平和の第二は、15節の「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」です。

 

二つのものを一つにするとは、異邦人とユダヤ人双方を、一つのキリストの体とし、新しい人を創造し、平和を作り出すことです。

 

主イエス・キリストの体なる教会は、愛する共同体です。互いを愛し合うことで成り立つ共同体です。だから、一人の新しい人とは神に愛され、隣人を愛する人です。敵意を捨て、隔てを捨てた共同体です。そこでは人種、民族、男女の差別はありません。新しい人は平和を作り出す人です。

 

わたしたちの平和の第三は、16節の「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」です。

 

キリストは、御自身の十字架によって、隣人との平和だけではなく、父なる神との平和を作り出してくださいました。異邦人とユダヤ人は、キリストの十字架によって罪から贖われ、一つのキリストの体となり、父なる神と和解を得ました。キリストが御自身を犠牲とし、神の敵対関係を取り去ってくださったからです。

 

使徒パウロは、繰り返しキリストの十字架を通して、敵意を滅ぼし、異邦人とユダヤ人の双方を一つの体にし、父なる神に和解させると述べています。その過程を通してわたしたちの平和が実現していくことを、パウロは待ち望んでいるのです。

 

わたしたちの平和の第四は、平和の福音の宣教です。17節の「キリストはおいでになり、遠くに離れているあなたがたにも、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」です。

 

これは、イザヤ書5719節の御言葉から来ています。「わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。

 

イザヤが預言したのは、神の民に向けてです。遠くにいる者とは離散のユダヤ人たちです。故国を離れて、異教で暮らすユダヤ人たちです。近くにいる者は、本国で、エルサレムの都で暮らすユダヤ人たちです。預言者イザヤは、主なる神が神の民を救われる、その良き訪れを、平和の福音を伝えているのです。

 

パウロは、イザヤの御言葉を引用し、遠く離れている者である異邦人たちにも、神に近くにいるユダヤ人たちにも、キリストの平和の福音を告げ知らせると述べています。

 

キリストによって、わたしたちにもたらされる平和は、教会の福音宣教という形を取るのです。毎週の主日礼拝でキリストの福音が語られ、聞かれる時、そこに神の平和が約束されています。毎週の主日礼拝がまさにキリストが御臨在され、平和の福音を宣告されているのです。

 

だから、使徒パウロが18節で述べている言葉が約束の成就となるのです。「それでこのキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

 

キリストの体である教会は、多くの人種が一つとされ、民族が一つのキリストの体となります。毎週の日曜日の朝、主イエスはわたしたちを訪れられます。主イエスは一つの御自身の群れを集められ、語られます。集められたわたしたちは、一つの霊によって、語られる一つの言葉を聞き、新しい人として、一つのキリストの体なる教会に造り上げられていくのです。

 

この新しい人々は、神を父として崇め、御子を兄として敬い、御霊に謙遜に導かれて、神の御国へと歩み進むのです。

 

お祈りします。

 

イエス・キリストの父なる神よ。今朝、使徒パウロのエフェソの信徒への手紙第21418節の御言葉を学びました。どうかわたしたちがよく理解できるように、聖霊の導きをお願いします。

 

どうか、今、わたしたちが主日礼拝に集う恵みを感謝させてください。

 

わたしたちが主イエス・キリストと結び付けられ、このキリストの体なる教会に一つとされている恵みを感謝させてください。

 

どうか、今、わたしたちが聴いた神の御言葉にわたしたが期待し、この一週間を歩ませてください。

 

わたしたちの教会にいろいろな人々を集めてください。また、キリストの十字架を見上げることで、いろいろな考えや思いを越えて、一つになることができるようにしてください。

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

エフェソの信徒への手紙説教12           2023年9月17

だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。しかしあなたがたは、以前は遠くに離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠くに離れているあなたがたにも、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それでこのキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、

主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

                   エフェソの信徒への手紙第21122

 

 

説教題:「神の家族、住まいとなる」

今朝は、エフェソの信徒への手紙第21922節の御言葉を学びましょう。

 

使徒パウロは、この手紙の21113節で、かつて異邦人キリスト者たちは神から遠い存在だったが、今や近い者となったと述べました。そして、続いて1418節で彼は「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」と述べて、キリストが御自身の十字架によってユダヤ人と異邦人の隔ての壁を取り除かれて、一つの新しい人として創造され、二つのものは一つの霊に結ばれて、共に御父なる神に近づくことができるようにされたと述べました。

 

今朝の御言葉は、使徒パウロがユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の両者が神の家族であり、共に神の住まいとして建てられることを述べています。

 

そこで使徒パウロは、19節で「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」と述べています。

 

従って」と、使徒パウロは述べて、1112節の御言葉に戻っているのです。かつて異邦人キリスト者たちは、ユダヤ人たちからすれば、外国人であり、寄留者でした。しかし、今やキリストが十字架を通して隔ての壁を壊され、二つのものを一つの新しい人として創造され、聖なる民と同様に市民権を持つ者とし、神の家族としてくださったのです。

 

異邦人キリスト者たちは、ユダヤ人に改宗したのではありません。主イエス・キリストを信じる信仰によって、異邦人のまま、聖なる神の民とされ、神の家族に一員に加えられたのです。

 

かつては神の恵みの契約の外にあり、神を持たず、望みのない人々でした。しかし、今や信仰によって彼らはキリストに一つに結び付けられ、恵みの契約に与り、神の民としての市民権を得て、神の家族の一員に加えられました。

 

そして、使徒パウロは、続けて20節で「使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」と述べています。

 

使徒パウロは、神の家族を、神の聖徒たちを、家屋にたとえて述べているのです。

 

使徒や預言者」とは、パウロの時代に活躍していたキリスト教の宣教者たちのことです。「使徒」は、主イエス・キリストに遣わされた者です。有名なのは、ペトロやヨハネのように主イエスの12弟子たちであり、使徒パウロです。彼らが語りますキリストの福音がキリスト教会という建物を建てる土台となりました。

 

預言者」は、神の御言葉を告げていた人々です。旧約聖書の預言者たちが有名ですが、パウロの時代にも預言者がいて、神の御言葉を宣教していました。彼らが宣教するキリストがキリスト教会という建物の土台となりました。

 

このように「土台」は、建築で使う言葉です。家を建てる時、土台作りが重要です。主イエスも砂の上に家を建てる者の愚かさと固い岩の上に家を建てる者の賢さをお話になっています。教会という建物は、神の御言葉という土台の上に建てられるのです。主イエスが遣わされた使徒たちや預言者たちが語ります神の御言葉を、後に新約聖書という文書化された神の御言葉を土台にして、建てられました。

 

だから、教会の土台は、キリスト教の使信である主イエス・キリストです。そのキリストという土台の上に、わたしたちの教会は建てられています。

 

そして、キリストの教会という建物は、生きた者のように有機的につながり、成長して行くのです。使徒パウロは、21節で、「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」と述べています。

 

建物全体」とは、各個教会一つ一つによって構成されるキリスト教会の全体のことです。そして、キリストは、建物全体の頭であり、わたしたちはその建物の一つ一つの部分です。単なる部分ではありません。キリスト教会という建物が生きた働きをするために、大切な部分なのです。

 

使徒パウロが「組み合わされて成長し」と述べていますように、わたしたちは主イエスを信じて、洗礼を受け、キリストの体なる教会に組み込まれます。そして奉仕という働きを通して、教会の成長のために働いているのです。

 

共に一つの所に集まり、主を礼拝し、賛美し、献金をします。共に祈り、共に学び、奉仕をします。このようにしてわたしたちは、上諏訪湖畔教会で75年以上にわたって、キリストと共に生きて来たのです。「キリストにおいて」とは、「主にあって」という意味です。主イエスと共に生きて来たのです。

 

こうして上諏訪湖畔教会は、75年の年月を経て、「主における聖なる神殿」として成長してきたのです。上諏訪湖畔教会だけではありません。諏訪地方にあるキリスト教会は、わたしたちと同じようにかつては異邦人であり、キリストに関係のない者でした。しかし、今やキリストの十字架を通して神の子とされ、神の家族に加えられました。そして、わたしたちはそれぞれのキリスト教会を通して、主を礼拝し、キリストの福音を宣教し、キリストの体なる教会を建て上げているのです。

 

そして、最後に使徒パウロは、22節で次のように約束してくれています。「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

 

キリストがわたしたちを助けてくださいます。今わたしたちの教会はわたしたちの目には希望が見えません。来年8月でわたしは牧師を引退します。その後、わたしたちの教会は後任の牧師を招聘できる力はありません。中会の援助も来年の9月以降は打ち切られます。数名の礼拝で、将来の希望を望むことは難しいでしょう。

 

しかし、使徒パウロは、わたしたち人間を当てにはしません。「キリストにおいて」と彼は言います。キリストがわたしたちを助けてくださいます。わたしたちの教会に必要であれば、牧師を与え、仲間を増やしてくださるでしょう。ここに主イエスは、神の民を集めてくださいます。そして、75年続いた上諏訪湖畔教会を成長させてくださるでしょう。

 

主イエスは、わたしたちに聖霊による助けをお与えくださいます。聖霊が助けてくださり、ここでの礼拝が続くようにしてくださいます。わたしたちが神の御言葉を聴き続けることができるようにしてくださるでしょう。そして、御言葉を聴くわたしたち一人一人の内に、聖霊が共に住んでくださり、共同体としての上諏訪湖畔教会を常に主イエスが共に住まわれる住まいとしてくださいます。

 

 

神の住まいとするということで、わたしは、上諏訪湖畔教会の教会墓地を思い起こしました。今は後町武雄兄だけですが、わたしも、わたしの家族も、教会の墓に納骨していただきたいと願っています。そして、キリストの再臨を待ち望みたいです。今やわたしたちには、御国という希望があります。その希望によって上諏訪湖畔教会は、わたしたちにとって神の住まいとなり、永遠の命の希望となるのです。

 

お祈りします。

 

イエス・キリストの父なる神よ。今朝、使徒パウロのエフェソの信徒への手紙第21922節の御言葉を学びました。どうかわたしたちが今朝の御言葉に勇気を得、希望を得ることができるようにしてください。

 

どうか、今、わたしたちがキリストの十字架を通して、主日礼拝に集い、主を礼拝し、賛美できる恵みを感謝させてください。

 

わたしたちが常に主イエス・キリストと一つに結び付けられ、キリストの体なる教会につながっている恵みを感謝させてください。

 

どうか、今、わたしたちが見えるものではなく、見えないキリストの助けに信頼させてください。

 

わたしたちの上諏訪湖畔教会が75年間主に支えられ、成長してきたことを感謝します。どうかわたしたちがこの世だけではなく、御国への希望に生かしてください。

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

エフェソの信徒への手紙説教13          2023101

こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは・・・。あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたに違いありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。

この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるかを、すべての人に説き明かししています。こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものです。わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。

                   エフェソの信徒への手紙第3113

 

説教題:「異邦人のためのパウロの働き、」

今朝は、エフェソの信徒への手紙第3113節の御言葉をお読みしました。使徒パウロは、自身の福音宣教の使命を纏めて記しているのです。異邦人の使徒であるパウロに、キリストの福音が神の啓示としてどのように伝わり、それがパウロを通して、どのように異邦人に伝わったのかを、パウロは述べているのです。

 

使徒パウロは、31節で「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは・・・。」と述べています。

 

こういうわけで」とは、21122節でキリストにおいてユダヤ人と異邦人が一つなったことです。パウロたちが語るキリストの福音によってユダヤ人と異邦人が一つの霊に結ばれて、父なる神に近づき、一つのキリストの体なる教会となったことです。

 

使徒パウロの宣教は、異邦人の救いのためでありました。だから、今、使徒パウロはローマ市の牢獄で囚人としてつながれているのです。

 

それゆえに使徒パウロは、この手紙の読者に31節で、「わたしパウロは、キリスト・イエスの囚人であるが、それはあなたがた異邦人のためである」と、自己紹介しているのです。

 

実は、使徒パウロは、314節でも「こういうわけで」と述べています。14節以下はパウロの祈りです。使徒パウロは、31節で「こういうわけで」と述べて、すぐに1421節の祈りへと進みたかったのです。しかし、ここで自分が「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは・・・」と自己紹介しましたので、横道に逸れてしまいました。すなわち、異邦人の使徒としての自分とこの手紙の読者との関係を説明しているのです。

 

そこでそれを説明するために、彼は二つの視点に立って述べているのです。それが27節と812節です。13節はまとめです。

 

パウロの福音宣教は、二つの方法があります。第一は「書く」「読む」「手紙」という書き言葉による宣教です。それが27節の御言葉です。第二は「宣べ伝える」という話し言葉による宣教です。それが812節です。

 

今朝は、27節の御言葉を学びましょう。

 

2節で使徒パウロは、「あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたに違いありません。」と述べていますね。使徒パウロは、この手紙の読者に彼が異邦人の使徒になったという成り行きを説明しているのではありません。異邦人たちの救いのために、彼に神の恵みとして与えられた任務について述べているのです。彼がダマスコの町のキリスト者たちを迫害しようとした途上で、彼は復活の主イエスに出会いました。そして彼は、異邦人にキリストの福音を伝える使徒の職務を与えられました。このパウロに与えられた神の恵みを、この手紙の読者たちは聞いたのです。パウロが書いた手紙を、この手紙の読者たちは主日礼拝で読まれるのを聞いたのです。

 

3節で使徒パウロは、「初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。」と述べています。この手紙の1910節と21718節で、パウロにこの福音がどのようにパウロに伝わり、それがどのように異邦人に伝えられたかを記しています。キリストの啓示がダマスコでのパウロの回心において伝えられました。神の秘められた計画とは、6節でパウロが述べていることです。「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

 

パウロは、キリストによって秘められた神の計画を、神が異邦人たちを救われることを知らされました。

 

パウロは、彼が啓示によって知らされた福音を、異邦人たちに宛てた彼の手紙に書きました。

 

ですから、パウロは、4節で「あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。」と述べているのです。

 

これは、この手紙の読者たちが、使徒パウロの書いたこの手紙を読めば、キリストにおいて実現される異邦人たちへの救いを、パウロがどのように理解しているかを知ることができると述べているのです。

 

今日のわたしたちは、書かれた神の御言葉、聖書を読んで、わたしたちの救いを理解します。パウロの時代は、キリスト者たちがパウロが書いた手紙が礼拝で読まれて、この手紙の読者たちはそれを耳で聞いて理解したのです。

 

だから、使徒パウロは、彼が理解したキリストの福音を、彼が書いた手紙が読まれ、この手紙の読者たちがこの手紙でパウロが伝える福音を、読者たちに理解してほしいと願っているのです。

 

5節で使徒パウロは、キリスト以前の旧約の時代と今、この手紙が書かれた時を見比べています。「この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。」異邦人たちの救いという神の計画は、キリスト以前の旧約の時代にはこの世の人間に知らされませんでした。しかし、今や、この手紙が書かれた時点で、聖霊が働かれて、キリストの福音を伝える使徒たちと彼らと共に預言するキリスト教の預言者たちによってキリストの御救いが啓示されました。

 

その内容が6節の御言葉です。異邦人たちは、キリストの福音を聞くことにより、主イエスの内に一つとなり、ユダヤ人と共に神の御国の共同の相続人となり、共にキリストの一つの体に与り、共に神の恵みの契約に与りました。

 

ですから、わたしたちキリスト者は、この手紙の読者たちのように、書かれた神の御言葉である聖書を大切にすべきです。聖書をよく読み、キリストの御救をパウロのように理解すべきです。

 

使徒パウロが書く、読む、手紙という書き言葉による福音宣教を通して、7節で「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。」と述べています。

 

パウロの福音宣教という務めは、彼の思い付きではありません。彼に与えられた神の恵みによるものでした。神の恵みは、神の御力の働きによるものでした。パウロの異邦人への使徒としての働きは、神の恵みの賜物であり、神の御力の働きであり、それによってパウロは福音に仕える者として生きることが許されたのです。

 

そして、パウロが異邦人たちに伝えた福音とは、神の救いが異邦人たちに及ぶという良き知らせでした。それが神の救いの計画であり、神の秘められた計画でした。それは、キリストの神秘であり、キリストの十字架と復活の福音でもありました。

 

そしてパウロが異邦人たちに伝えた福音は、今わたしたちが学びますエフェソの信徒への手紙であり、わたしたちはこの手紙を読むことで、パウロがわたしたちに伝えたかったキリストの福音を理解することができるのです。

 

このように使徒パウロは、今朝の御言葉によって使徒パウロとこの手紙の読者たちの結びつきを強くしょうとしたのです。

 

お祈りします。

 

イエス・キリストの父なる神よ。今朝、使徒パウロのエフェソの信徒への手紙第317節の御言葉を学びました。どうかわたしたちが今朝の御言葉の学びを通して、使徒パウロとわたしたちがキリストの福音を通して、どんなに深く結びついているかを心に留めさせてください。

 

どうか、今、わたしたちが書かれた神の御言葉、聖書を読むことを通して、パウロから伝えられたキリストの福音を、パウロが理解したように理解させてください。

 

わたしたちも聖書を読むことを通して、主イエス・キリストの救いを理解し、キリストの福音に仕える者としてください。

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。 

 

 

エフェソの信徒への手紙説教14           2023108

こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは・・・。あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたに違いありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。

この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるかを、すべての人に説き明かししています。こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものです。わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。

                   エフェソの信徒への手紙第3113

 

説教題:「パウロの苦難は異邦人たちの栄光」

今朝は、エフェソの信徒への手紙第3813節の御言葉を学びましょう。

 

使徒パウロは、389節で次のように述べています。「この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるかを、すべての人に説き明かししています。

 

この恵み」とは、その前の7節で彼が「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。」と述べていることです。

 

パウロは、その神の恵みを、身に余る光栄と思っています。だから、続けて彼は、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。」と述べているのです。「聖なる者たち」とは、キリスト者たちのことです。

 

使徒パウロは、ファリサイ派の律法学者であり、熱心なキリスト教会の迫害者でした。彼は、エルサレムの都にいるキリスト者たちを迫害するだけではなく、外国のダマスコの町にいるキリスト者たちを迫害しようとしました。その途上で復活の主イエス・キリストに出会いました。そして、彼は、キリスト教会とキリスト者を迫害する者から異邦人にキリストの福音を宣教する者に変えられました。

 

彼は、主イエスに反逆し、キリスト教会とキリスト者たちを迫害したのですから、キリスト教会の中で、キリスト者たちの中で、最も価値のない者でした。しかし、復活の主イエス・キリストは、恵みによって彼を異邦人の使徒として召され、彼を異邦人の救いのためにキリストの福音を宣教する者としてくださったのです。

 

パウロは使徒たちの中で最も大きな働きをした人です。しかし、彼の働きは彼の努力でも、功績でもありません。すべてが神の恵みでした。教会とキリスト者の迫害者であるパウロを、まさに最も小さい者、価値無き者を、主イエスは一方的に愛され、彼の罪を赦され、彼を異邦人の使徒に召され、異邦人たちに福音宣教できる賜物を与えられたのです。

 

使徒パウロは、8節後半から10節で異邦人への宣教という話し言葉による宣教の目的について、三つのことを述べています。それは、8節後半の「告げ知らせており」、9節の「説き明かしています」、10節の「知らされるようになった」という言葉です。これらの言葉は、パウロの話し言葉による宣教の目的を述べているのです。

 

パウロの話し言葉による宣教の第一の目的は、「キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせる」ことです。「計り知れない」は、ローマの信徒への手紙1133節の「神の定めを究め尽くし」の「究め尽くし」と同じ語です。パウロはローマの信徒への手紙において、神の知恵と知識の豊かさが人の知恵では到底知りえないことを、驚きを持って述べています。同じようにパウロは、ここではわたしたちには把握できないキリストの富について述べているのです。それをパウロは異邦人たちに告げ知らせることが彼の福音宣教の目的であると述べています。

 

神の御子キリストは人の子となり、この世に来られて、神と異邦人たちの仲保者となられ、十字架と復活の御業によって異邦人たちを救い、彼らに神の御国を相続させてくださいました。このキリストの計り知れない豊かさを、異邦人たちに宣べ伝えることがパウロの宣教の目的でした。

 

更にパウロは、9節で「すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるかを、すべての人に説き明かししています。」と述べています。

 

パウロが異邦人たちに宣教する神は、天地万物の創造者です。この神は、万物を創造する前に、永遠の御計画をお持ちでした。それは、神がこの世界を造られた初めから隠された神秘であり、御計画でした。神は、その御計画を実行し、アブラハムとの恵みの契約を通して、ユダヤ人たちを神の民として選ばれました。しかし、異邦人たちは神の計画を知らされていませんでした。神は時至って、キリストを通して異邦人たちもユダヤ人たちと同様に救われました。パウロは、異邦人たちへの福音宣教を通して神の御計画がどのように実現されたかを、説き明かしました。

 

10節でパウロは、「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのです」と述べています。「いろいろの働きをする神の知恵」とは、神の救いの御計画と関係したもので、それは、キリストです。キリストは神の知恵として神の御国の福音を宣教され、人々を癒され、悪霊を追い出されました。そして、十字架と復活の御業を行われました。

 

エフェソの信徒への手紙が書かれた今、教会の福音宣教を通して、天上の支配や権威に対して神の救いの御計画が知らされているのです。「天上の支配や権威」とは、天上に存在する支配と権威の霊です。この二つの霊はキリストにおいて達成されるべき神の隠された計画を知りませんでした。二つの霊はユダヤ人たちに働きかけて、キリストを十字架に掛けさせたのです。しかし、今はこの霊たちも、教会において神の救いの計画がパウロたちの福音宣教を通して達成されているのを、知らされているのです。

 

このようにパウロは、三つの福音宣教の目的を述べて、今わたしたがここで礼拝することの意味を教えているのです。わたしたちは、今朝の礼拝において説教を聴いています。それによって、第一にキリストの計り知れない富について聴くのです。わたしたちは、キリストを通して罪と滅びから救われる神の恵みを知らされます。そして、このキリストの恵みの豊かさこそ、わたしたちが決して把握することはできないものです。だからこそ、わたしたちは、パウロのように驚きをもって、神を心から賛美するのです。

 

また、わたしたちが礼拝する神は、天地の創造者です。そして、パウロはその神が天地の創造の前から永遠から永遠に御自身の救いの計画を持たれ、その計画を、恵みの契約を通してこの世において実現されるのです。キリストが恵みの契約の完成者です。キリストはユダヤ人だけではなく、わたしたち異邦人も御国の民に加えてくださるのです。

 

こうして神の知恵であるキリストが十字架と復活の御業を通してわたしたちを罪から救われ、死から永遠の命へと導いてくださいます。キリストは聖霊を通してわたしたちにキリストを信じる信仰を賜り、教会を建て上げてくださいます。

 

それを、パウロは、11節で、「これは、神がわたしたちの主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものです。」と述べています。神の永遠の御計画は、キリストによって完成されます。すなわち、パウロの福音宣教というこの世界における歴史の出来事として遂行されるのです。

 

そしてパウロの福音宣教がそのキリストの福音を聴くわたしたちに信仰の確信を与え、大胆に神にわたしたちを近づけさせるのです。パウロは、12節で、「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」と述べています。

 

福音宣教がわたしたちをキリストに結びつけるのです。これは、わたしたちがキリストの福音を聴いて、キリストがわたしたちの罪のために十字架に死なれたと信じ、キリストをわたしの救い主と受け入れ、洗礼を受けることです。それによってわたしたちは、キリストと一つに結び付けられます。そして、わたしたちは、キリストに対する信仰の確信の中で、大胆に神へと導かれるのです。

 

最後にパウロは、13節で113節の結論を述べているのです。「だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。

 

使徒パウロは、異邦人たちの救いのために、今ローマで獄中生活をしていました。「苦難」は、パウロが牢獄に捕らえられ、肉体的、精神的、霊的苦痛を受けていたということです。そのパウロの姿を見て、この手紙の読者たちが落胆することがないように、パウロは戒めているのです。気落ちしないように、警告しています。

 

パウロの苦難を通して、この手紙の読者たちに失望することなく、見てほしいものがあると述べています。もっと信仰の本質に目を向けるように、パウロは諭しているのです。それは希望です。パウロの苦難がこの手紙の読者たちやわたしたちの失望になるのではなく、希望になることを、パウロは祈り、願っているのです。

 

だから、パウロは、この手紙の読者とわたしたちに「この苦難はあなたがたの栄光なのです」と述べています。パウロがローマで投獄されたのは、異邦人たちにキリストの福音を宣教したからです。だから、パウロの牢獄の苦しみは、異邦人たちの救いのためです。だからパウロの苦難は、この手紙の読者たちやわたしたちの救いとなるのです。それゆえにパウロは、「この苦難はあなたがたの栄光なのです。」と述べているのです。

 

パウロにとって牢獄の苦難は、この世の一時的なものでした。しかし、それを通して、この手紙の読者たちとわたしたちは、永遠の栄光に与るのです。なぜなら、パウロは、苦難と死をもって、すなわち、殉教によって、キリストの御救いが真実であることを証ししたからです。そして、キリスト教会は、その真実の上に堅く立っているのです。

 

お祈りします。

 

イエス・キリストの父なる神よ。今朝、使徒パウロのエフェソの信徒への手紙第3813節の御言葉を学びました。どうかわたしたちが今朝の御言葉の学びを通して、使徒パウロの福音宣教に心に留めさせてください。

 

どうか、今、わたしたちがパウロの話す御言葉、福音宣教によって、キリストの教会が固く建てられ、わたしたちが御言葉を聴いて、キリストを信じて、キリストに結ばれ、信仰の確信が与えられ、神に近づくことができる恵みを得たことを感謝します。

 

どうかわたしたちを、この礼拝に留まらせ、キリストの福音を聴き、わたしたちの信仰を強めてください。

 

パウロの苦難がわたしたちの栄光となるようにしてください。

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

エフェソの信徒への手紙説教15           20231015

こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに越えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

                   エフェソの信徒への手紙第31421

 

説教題:「キリストの愛を知る」

今朝は、エフェソの信徒への手紙第31421節の御言葉を学びましょう。

 

使徒パウロは、31節で「こういうわけで」と述べた言葉を、14節でも繰り返しています。そして、パウロが11523節で祈った執り成しの祈りを、ここの1419節で反復しています。そしてその後でパウロは2021節で神をほめたたえて、頌栄を賛美しています。

 

このパウロの執り成しの祈りと頌栄を学びましょう。

 

こういうわけで」とは、パウロが3113節で語りました異邦人宣教の使命のためにという理由で、という意味です。使徒パウロは、異邦人たちの使徒として、キリストの福音を彼らに宣べ伝えました。彼は、異邦人たちにユダヤ人と同様に神の民であるという福音を広めて、キリスト教会を建て上げる務めを、復活の主イエス・キリストから任命され、彼らのために牢獄生活の苦難を忍びました。

 

使徒パウロは、万物の創造者である御父に跪いて、この手紙の読者、異邦人キリスト者たちのために執り成しの祈りをしました。

 

1415節です。「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。

 

主イエスの時代、ユダヤ人たちは立って祈っていたのです。しかし、ゲツセマネの園で主イエスは、跪いて祈られました。使徒パウロは、その主イエスの執り成しの祈りに倣って、跪いて執り成しの祈りを、万物の創造者である父なる神にしたのです。

 

使徒パウロが執り成しの祈りをするのは、万物の創造者である御父から由来する天地にあるすべての家族、部族、民族です。使徒パウロは、家族、部族、民族、この世界のすべての人々を御支配される父なる神に向かって、執り成しの祈りをしているのです。

 

その名を与えられています」とは、名前を付けることです。それは、御父なる神が創造されたものに「はなはだ良かった」と存在の意義を認められることです。御父は、万物と万人の根源であります。

 

1619節が使徒パウロの執り成しの祈りです。使徒パウロは、三つのことを祈ります。

 

パウロの第一の執り成しの祈りは、1617節です。「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。

 

御父によって内なる人が強められて、キリストが彼らの心の中に内住され、読者たち異邦人キリスト者たちが愛に根ざしたキリスト者としての土台が据えられるように祈っています。

 

パウロの第二の祈りは、18節から19節前半です。「また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり」。

 

キリストの人知を超えた愛を理解する、自分ではっきりと把握するように、パウロは執り成しの祈りをしています。

 

パウロの第三の執り成しの祈りは、19節後半です。「そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

 

キリストの豊かな愛に満たされて、読者である異邦人キリスト者たちが愛に満ちあふれる者となるように、パウロは執り成しの祈りをしています。

 

第一の祈りは、パウロが御父の全能の御力を請い求めています。御父がキリストを死者の中から復活させ、天に上げられ、御自身の右に座せられた全能の御力によって、内なる人、すなわち、215節でパウロが述べている「一人の新しい人」を強めることです。キリスト者は、キリストの十字架の贖いによって新しい人として再創造されました。

 

だから、新しい人であるキリスト者に信仰を与えて、彼の心にキリストを住まわせて、聖霊のお働きによって強めてくださいと祈っているのです。

 

第二の祈りは、キリストの愛を知ることです。キリストの愛を知るのは、キリスト者個人ではありません。パウロは、18節で「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に」と述べていますように、キリスト者のすべてがキリストの愛を知ることができるように、パウロは祈っているのです。

 

キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」とは、神の愛の広さと長さ、高さと深さを、わたしたちが深く把握することです。ただキリストの愛は大きいというような抽象的なことではありません。具体的にわたしたちの目に見えるように理解することです。今日の言葉で言えば、キリストの愛を映像化して、その計り知れないことを驚きを持って体験することです。

 

キリストの十字架という出来事に、わたしたちは御父なる神の永遠の御計画の実現を見る時、本当に神の知恵の深さを、神の底知れない愛を、わたしたちの信仰によって見るのではありませんか。わたしは、それが教会における聖餐式だと思うのです。

 

理解し」という言葉は、「取る」「掴む」という言葉が合わさった動詞です。ここではわたしたちがしっかりと把握するという意味です。聖餐式でわたしたちがパンを取り、葡萄酒の杯をつかむ時、わたしたちは裂かれたパンを食べて、キリストはわたしたちの罪のために十字架で死なれたことを心に留めます。葡萄酒の杯をつかんで飲む時、主イエスはわたしたちに代わって御自身の御血潮を流されたことを思い起こします。まるで今、キリストが十字架に付けられたように、わたしたちは共に聖餐に与り、思い起こすのです。

 

その時、わたしたちはパウロの第三の祈りに心を留めましょう。19節です。「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

 

わたしたちがこの教会で満たされるのは、計り知れないほどのキリストの愛を知らされてです。わたしたちは、毎週の日曜日にこの教会で説教を聴き、洗礼と聖餐という礼典に与るごとに、キリストの愛を知らされます。共にキリストの愛を知らされ、キリストの体なる教会につながり、キリストを通して、わたしたちは神の愛に満たされます。そして御国においてわたしたちの御救いは完成するのです。

 

パウロは、2021節で、頌栄でもって3章を閉じています。御父とキリストと聖霊の三位一体の神の御業を、パウロはたたえています。教会は、神の恵みに満ちあふれています。聖霊がわたしたちの内にお働きくださり、わたしたちは日々に神に祈り求めることができます。そして、わたしたちが祈り求めるものを、キリストはわたしたちの思いを越えて実現してくださるのです。わたしたちの信じる神は万物の創造者で、全能の神です。わたしたちは、この教会における礼拝ごとに、神の栄光を祈り求めるのです。キリストは、わたしたちの頭として、わたしたちはキリストの体として、これからもキリストに導かれて、神の栄光の中を、神の栄光に向けて、歩み続けるのです。

 

お祈りします。

 

イエス・キリストの父なる神よ。今朝、使徒パウロのエフェソの信徒への手紙第31421節の御言葉を学びました。どうかパウロの執り成しの祈りによって、わたしたちが今朝の御言葉の学びを通して、キリストの愛を深く理解させてください。

 

どうか、今、わたしたちが御父なる神の全能の御力によって、信仰に固く立てるように強くしてください。

 

どうか礼拝ごとに、御言葉によって、聖礼典によって、わたしたちがキリストの愛を深く知ることのできるようにしてください。

 

どうか、わたしたちが礼拝と主にある交わりによって、キリストの愛を通して、神の満ちあふれる恵みによって、わたしたちを愛に満たしてください。

 

どうかわたしたちの教会を祝してください。どんな時にも、この教会の礼拝で、神の御言葉を聴かせてください。聖餐の恵みに与らせてください。御国への希望に満たしてください。

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。