エフェソの信徒への手紙説教16 2023年11月5日
そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。そこで、
「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、
人々に賜物を分け与えられた」
と言われています。
「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自らの愛によって造り上げられてゆくのです。
エフェソの信徒への手紙第4章1-16節
説教題:「主の召しにふさわしく歩め」
今朝よりエフェソの信徒への手紙第4章の御言葉を学びましょう。エフェソの信徒への手紙は、教理と勧告の部分に分けることができます。1章3節から3章21節までが教理の部分です。今朝の4章1節から6章20節がパウロの勧告の部分です。
4章1節の「そこで」は、「それゆえ」「従って」という意味で、パウロが1-3章で述べて来た教理の部分を受けています。そして、4-6章でパウロは勧告しているのです。
この手紙のテーマは一致と調和です。それが、パウロがこの手紙で神を賛美する根本的な理由であり、これからエフェソの信徒への手紙の読者たちに勧告する際の目標ともなっているのです。
パウロは、天地創造以前からのキリストにおける父なる神の救いの計画を語りました。ユダヤ人と異邦人は、敵対関係にありました。しかし、父なる神はキリストの十字架によってこの二つの壁を打ち壊され、キリストにおける平和を打ち立てられました。そしてユダヤ人と異邦人を一つの共同体として、新しく創造されました。それが、この世におけるキリストの教会です。神はキリストにおいてユダヤ人と異邦人を一つにされただけではなく、キリストにおいて万物を、宇宙を一つとされました。
だから、パウロは、4章6節で、こう述べているのです。「すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」万物を創造された父なる神は、キリストにおいてすべてのものを結び付けられ、キリストとの一致を通して、すべてのものが万物を造られた父なる神へと至ることができるようにされたのです。
パウロは、この手紙の中でキリストの再臨に触れてはいません。教会は再臨のキリストを待つのではなく、わたしたちの歴史の中で、創造主なる神の摂理の下で成長し、発展していくのです。
復活後昇天されたキリストは、聖霊を通してわたしたちに賜物を与えられ、この世の教会に使徒、預言者、福音宣教者、長老、執事という人を立てられ、キリストの体なる教会を建て、成長させようとしておられます。そして、キリストの体なる教会は成長し、すべてを満たされるキリストによって満ち満ちた場とされています。教会は、キリストにあって宇宙(万物)と一つにされているのです。
本当にスケールの大きな教会論です。わたしたちは、教会と言えば、わたしたちの目に見えるこの上諏訪湖畔教会です。毎週の日曜日に5名前後の者が集まって礼拝する小さな教会です。ところがパウロがこの手紙で描いている教会は、キリストの体なる教会で、万物の創造者なる父なる神がキリストにあって、天地の創造の前から選ばれた者たちの共同体です。この共同体は歴史の中で大きく成長し、すべてを満たされるキリストによって万物を、宇宙を一つにするほどに大きくなるのです。
パウロは、こう勧告するのです。「主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。」と。
使徒パウロは、主イエス・キリストに捕らえられた囚人です。だから、パウロはこれから語ります勧告を、彼が主に在ってしているのです。
彼は勧告します。「神から招かれたのでから、その招きにふさわしく歩」めと。「神から招かれた」とは、神の召しのことです。父なる神が天地創造の前からキリストにあってわたしたちを選ばれました。そして、神はエフェソの信徒への手紙の読者たちを呼び出されて、エフェソ教会に召されました。そして、わたしたちを上諏訪湖畔教会に神は呼び出され、召されました。
パウロは、4節の後半で召された理由を、こう述べています。「それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。」と。神がエフェソの信徒への手紙の読者たちと今朝わたしたちを教会に呼び出され、召されたのは、わたしたちが一つの希望にあずかるためです。
使徒パウロは、この手紙の1章18節で、その一つの希望について、こう祈っています。「心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐべきものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」
心の目は、霊的なことを認識する目です。開くとは、暗闇に光が射しこみ、その光が鏡に反射するように、真理を鮮やかに明らかにすることです。聖霊によって、わたしたちは神にこの教会に召された一つの希望を鮮やかに明らかにされます。聖なる人々、すなわち、わたしたちキリスト者は神の御国を相続するという神の栄光の豊かさに与る希望があるのです。
だから、パウロは、わたしたちにこう勧めています。わたしたちを神の御国の栄光に召された神にふさわしく生きなさい、生活しなさいと。
その勧めの具体的なことが2-3節の御言葉です。「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」
「高ぶることなく」とは謙遜のことです。わたしたちの心が低いことです。わたしたちが相手を自分よりも優れた人と思う心です。それから柔和さを持つことです。それは優しい心のことです。パウロはわたしたちにヘリくだりと優しさを持つことを勧めるのです。
「寛容の心」とは、忍耐深さです。我慢強いは、キリスト者の性格です。キリスト者は激しい感情や怒りを遠ざけます。パウロは、神に召された者は、神の召しにふさわしく心をヘリくだり、心優しく、忍耐深くあれと、勧めるのです。
「愛をもって」の愛は、1章4節の「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して」とパウロが言っている神の愛です。2章4節でもパウロは、こう言っています。「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上もなく愛してくださり、その愛によって」と。だから、パウロは、ここでは神の愛によって兄弟姉妹が互いに忍耐しなさいと勧めているのです。神の愛は、聖書では罪の赦しと深く関係しています。だから、パウロは、キリスト者同士が互いにキリストにあって赦し合うように勧めているのです。
「平和」は神の平和のことです。パウロは、2章14節で「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」と述べています。キリストは、御自身の十字架の死によってわたしたちの平和、すなわち、ユダヤ人と異邦人との敵対関係を取り去り、神の平和を打ち立ててくださいました。キリストは一人の新しい人、すなわち、キリスト者を造り上げて神の平和を実現してくださいました。だから、わたしたちは、神の平和を作る使命を与えられています。それはキリストの平和の福音を、十字架の福音を伝えることです。そこで平和の絆が生まれます。それは、聖霊がわたしたちに与えてくださる連帯です。わたしたちがキリストと一つに結び付くことです。それが聖霊による一致です。それを、パウロはわたしたちに熱心に保ちなさいと勧めています。
3節の「保つ」という言葉は、わたしたちキリスト者の基本的な指針を維持するという意味です。霊による一致とは、聖霊がわたしたちに与えてくださる一致です。例えば聖書の御言葉を守ることです。わたしたちがウェストミンスター信条によってわたしたちの教会の信仰を保つことです。礼拝でわたしたちは、使徒信条を告白し、ウェストミンスター大教理問答を信仰告白します。一緒に口を揃えて主の祈りをします。これが、霊による一致を保つことです。
3節の「努めなさい」は熱心でありなさいという意味です。この熱心さは、わたしたちキリスト者の欠かせない資質です。わたしたちが聖書を学ことに、キリストを信じることに、祈ることに、献金することに熱心であること、これはわたしがキリスト者として生きる上で欠かせません。
どうか聖霊がわたしたちをキリストとの一致に結びつけてくださり、わたしたちが聖書の御言葉に、信仰に、祈りに、献金に熱心になることで、聖霊がわたしたちにお与えくださったキリストとの一致を、わたしたちが維持し、保つことができるように、祈ろうではありませんか。
お祈りします。
イエス・キリストの父なる神よ。今朝よりエフェソの信徒への手紙第4章の御言葉を学び始めました。どうかわたしたちがパウロの勧めに励まされて、信仰から信仰へと歩めるようにしてください。聖霊の導きにより、神の召しにふさわしく歩めるようにしてください。
わたしたちにヘリくだりと優しさと忍耐深さをお与えください。兄弟姉妹に対して寛容であり、主がわたしたちの罪を赦されたように、わたしたちも兄弟姉妹の罪を赦すことのできる寛容な心をお与えください。
キリストの十字架の愛のゆえに、わたしたちの交わりが愛と赦しの交わりとなるようにしてください。
どうか、わたしたちをキリストの平和の福音に生かしてください。80周年記念宣言の「平和の福音に生きる教会」についての宣言がわたしたちの教会で血となり肉となるようにしてください。
どうかわたしたちが聖霊による一致を求め、聖書を学ことに、主の祈りを祈ることに、主に献身することに熱心な者としてください。
この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。