ジュネーヴ教会信仰問答11           主の202191                                                                   

聖書箇所:マタイによる福音書第11823(新約聖書P12)

第一部    信仰について

 第五聖日

30 さあ、第二の部分へ進みましょう。

答 こんどは「われらの主、神の独り子、イエス・キリストを信ずる」ことです。                               

31 ここにはどういうことが含められていますか。

答 神の御子が私たちにとって救い主であられることなのですが、同時に、私たちが死から贖われて命を得た方式がここで説明されます。

32 あなたが彼を呼ぶ「イエス」という名はどういう意味ですか。

答 ギリシャ語の「ソーテール(救い主)」が意味するものでありますが、ラテン語にはその意義を十分に表わす適切な言葉がありません。それで「救い主」(サルヴァトール)という語が一般に用いられます。さらに、御使いが神の御子にその名を与えたのは、神御自身の、命令によってであります。

 

今日から、ジュネーヴ教会信仰問答の第五聖日(第五課)、問3039と答を学ぼう。第五聖日(第五課)から第十三聖日(第十三課)が使徒信条の第二部分、キリスト論である。主イエス・キリストとその救いを扱っている。

 

2829と答で、私たちは、ジュネーヴ教会信仰問答から次のことを学んだ。創造主で、全能の父なる神は、不敬虔な者たちと悪魔を御自身の摂理によってではなく、裁きの権能によって服従させられており、それゆえこの神認識によって私たちが次の益を得ていると。すなわち、神御自身が特別に不敬虔な者たちや悪魔から私たちの守り手となられ、私たちは常に神の救いと保護の中に置かれているという慰めと平安である。

 

では、使徒信条の第二の部分に進もう。使徒信条の第二の部分の表題は、「われらの主、神の独り子、イエス・キリストを信ずる」である。

 

第五聖日(第五課)の問3039と答は、問3031と答で、使徒信条の第二の部分の総論を述べている。問30と答は使徒信条の第二の部分の表題である。問31と答はその表題にどういう意味が、そして、私たちがどのような方法で「われらの主、神の独り子、イエス・キリストを信ずる」という表題を学ぶべきかを述べている。

 

そして、問32と答から、「われらの主」の学びが始まっている。その学びは、第五聖日(第五課)と第六聖日(第六課)である。問3244と答である。

 

3233と答は、私たちの主の御名「イエス」について述べている。問3439と答は、「キリスト」という主イエスの職務について、その職務の名の由来と意味と、そしてキリストを預言者、祭司、王という職務に関連づけて説明している。その説明は、第六聖日(第六課)の問4045と答まで続いている。

 

以上が「われらの主」を説明しているのである。

 

さて、ジュネーヴ教会信仰問答は、問31の答で「神の御子が私たちにとって救い主であられることなのですが、同時に、私たちが死から贖われて命を得た方式がここで説明されます。」と述べている。誰もがこの問答で主イエス・キリストの御降誕を思い起こすだろう。

 

主イエスは、聖霊によって処女マリアの胎より生まれられ、「神の子」と呼ばれる(ルカ1:35)。天使は夫のヨセフにマリアが産む男の子の名を「イエス」と名付けるように命じている。この男の子が自分の民を罪から救うからである(マタイ1:2122)

 

ギリシャ語の「イエス」という御名は、ヘブライ語の「ヨシュア」に由来する。「主は救い」という意味である。

 

「主」は、ヘブライ語で「ヤハゥエ」で、主なる神はモーセに御自身を「わたしはある。わたしはあるという者だ」と啓示された(出エジプト記3:14)。そして主なる神は、モーセに「わたしは主である」と啓示された(6:2)。主なる神は、モーセに御自身を永遠の自存者、不変の絶対的存在として啓示され、過去においてはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れ、今も生きて働かれ、アブラハムとの恵みの契約を守られて、神の民を救い、助け、祝福されている。

 

主なる神は、神の子、人の子としてこの世に生まれられた。それが主イエス・キリストである。主イエスは、救い主、天地の一切の権能を与えられた絶対的主権者である。

 

われらの主」とは、ローマ帝国の支配下にあった世界がローマ皇帝を主と告白したことに対して、主イエスこそ真の神であり、支配者であるという信仰告白なのである。

 

 

主イエスこそ十字架と復活の御業によって私たちを罪と死から贖われ、永遠の命を与えるという仕方で、御自身を私たちの主として現わされたのである。だから、主イエスを私たちの主と認識することは、私たちがどのようにして主イエスによって罪と死から救われたか、私たちの贖いをよく知ることなのである。主イエスという御名は、私たちを罪から救う救い主という意味である。

 

ジュネーヴ教会信仰問答12           主の202198                                                                   

聖書箇所:マルコによる福音書第1115(新約聖書P61)

第一部    信仰について

 第五聖日

33 それは人々が彼に名を付けた以上に大事なことではありませんか。

答 全くそうであります。御子がこの名で呼ばれることを神が欲したもうたのですから、全面的にその通りである必要があります。                               

34 次に「キリスト」という名は何を意味しますか。

答 この言葉は彼の職務をさらに良く表わすものです。すなわち、彼は御父から、王として、祭司として、預言者として、「油を注がれたもうた」ことを意味します。

35 どういうふうにして、あなたはそのことを知っているのですか。

答 聖書ではこの三つの役目に油注ぎを適用するからです。そして、私たちのいうこの三職はしばしばキリストに帰されています。

 

今日は、ジュネーヴ教会信仰問答の第五聖日(第五課)、問3335と答を学ぼう。第五聖日(第五課)の問34と答から第六聖日(第六課)の問45と答まで「キリスト」についての解説である。「キリスト」の意味、キリストの職務とその益についての解説である。

 

33と答は、私たちの救い主を「イエス」と名付け、呼ぶことの重要性を述べている。救い主を「イエス」と名付け、呼ぶのは人々である以上に、父なる神が御自身の御子を、「イエス」と名付け、呼ぶように願われたのである。神の御子イエス・キリストによって、父なる神は御自身の民を罪から贖うことを御計画され、聖霊によって清められたマリアの胎を通して生まれられた御子を、「イエス」と名付けられたのである(マタイ1:21)

 

「イエス」は、ヘブライ語の旧約聖書では「ヨシュア」である。旧約聖書のヨシュア記を読むと、ヨシュアは神の民イスラエルの指導者モーセの後継者として、神の民を約束の地カナンに導く者である。主なる神が神の民イスラエルの先祖アブラハムに約束されたカナンの地に、彼が神の民を導くのである。ヨシュアは、主イエス・キリストの予型である。ヨシュアが神の民を約束の地に導くように、神の民を罪から贖われたイエスは、神の民を御国へと導く者である。「イエス」はこのように父なる神が主イエス・キリストを救いの器として用いられるので、私たちにとって人々が「イエス」と名付け、ヨブ以上に大事なのである。

 

では、「われらの主、神の独り子、イエス・キリストを信ずる」という表題の「キリスト」について学ぼう。問34と答は、「キリスト」という名の意味である。ジュネーヴ教会信仰問答は「この言葉は彼の職務をさらに良く表わすものです。」と述べている。「キリスト」は、職務を表わす名称である。主イエスの称号である。主イエスの御名が神の啓示であるように、この「キリスト」という称号も同じである。

 

キリストは、ヘブライ語の旧約聖書では「メシア」である。この問答が「すなわち、彼は御父から、王として、祭司として、預言者として、「油を注がれたもうた」ことを意味します。」と述べているように、キリストは、メシア、すなわち、「油注がれた者」という意味である。問答が「王として、祭司として、預言者として」と述べるように、旧約聖書において主なる神は王、祭司、預言者という重要な職務に就ける者に油を注いで任職させられました(サムエル記上10:1、出エジプト記29:36、列王記上19:16)

 

主イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。水から上がられると、天が裂けて聖霊が鳩のように、御自身に降られるのを、見られた。天から父なる神の御声が聞こえた。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と(マルコ1:911)

 

主イエスは、聖霊の油を注がれてキリストすなわち、王、祭司、預言者としての職務に就かれた。そして、その職務を通して、神の民を罪から贖われたのである。

 

旧約聖書においては、アッシリア帝国が北イスラエル王国を滅ぼし(紀元前722)、バビロニア帝国が南ユダ王国を滅ぼし(紀元前586)、亡国の苦難の中で神の民たちは、王であり祭司であり預言者であるメシアを待望した。メシアによってイスラエルの再建を願ったのである。そのメシアは、エリヤやエリシャのように奇跡を行う預言者、ダビデ王のような王、そして、主なる神に神の民を執り成す祭司である。

 

だから、主イエスは、預言者として神の国の奥義を語られ、エリヤとエリシャのように奇跡をなし、ユダヤの王として十字架刑で死なれ、その十字架において主イエスは、神の民の罪のために御自身を犠牲とし、祭司として彼らを父なる神に執り成されたのである。

 

この問答が問35と答で述べるように、旧約聖書において王、祭司、預言者の三職に、油が注がれ、預言者は主なる神の御言葉を民たちに語り、王は神の民を統治し、祭司は主なる神に神の民たちを執り成す役目をはたした。

 

そして、キリストは、御自身がメシア、キリストとして、この三職のお働きを通して、神の民の救いを成し遂げられたのである。

 

イエス・キリストを信ずる」とは、四福音書が証しするこの地上に来られ、預言者として神の国の福音を語られ、病人を癒され、ユダヤの王として十字架で死なれ、御自身を神の民たちの罪の犠牲として、父なる神に神の民を祭司として執り成された主イエスを、キリストと信じるということである。

 

 

ジュネーヴ教会信仰問答13           主の2021915                                                                 

聖書箇所:イザヤ書第61111(旧約聖書P11621163)

第一部    信仰について

 第五聖日

36 しかし、どのような種類の油を彼は注がれたもうたのでしょうか。

答 それは目に見える油ではありません。昔の王たち、祭司たち、預言者たちを聖別するに当たって用いられたのは、そのような目に見える油でしたが、それよりも優れた油、すなわち聖霊の恵みであります。それは外的な油注ぎの指し示す真理そのものです。                               

37 あなたが挙げた彼の王権はどのようなものですか。

答 それは霊的で、神の言葉と聖霊とからなる支配であって、義と命を齎らすものであります。

38 では祭司職はどうですか。

答 これは恵みを獲得するために神の御前に出頭する職務であり、特権であり、さらに神に受け入れられる犠牲を捧げて御怒りを宥めるものであります。

39 ところで、あなたがキリストを預言者と呼ぶのは如何なる意味ですか。

答 彼はこの世にくだりたもうた時、御自身が人々に対する御父の使節また代弁者であると宣言したもうたからであります。この職は彼において終わり、御父の意志は十分に説き明かされ、全ての啓示と預言に終結がつけられたのであります。

 

今日は、ジュネーヴ教会信仰問答の第五聖日(第五課)、問3639と答を学ぼう。第五聖日(第五課)の後半の部分である。キリストの油注ぎの「油」の種類(36と答)、キリストの王・祭司・預言者の職務についての解説である(3739と答)

 

ヘブライ語の「メシア」、ギリシア語の「キリスト」は、「油注がれた者」という意味である。この称号は、旧約聖書においては王(イザヤ45:1)と祭司(ゼカリヤ4:14)と預言者(イザヤ61:1)を指して用いられている。だから、ジュネーヴ教会信仰問答は、「昔の王たち、祭司たち、預言者たちを聖別するに当たって用いられた」と解説する。その油は、目に見えるオリーブ油であった。しかし、主イエス・キリストは聖霊を注がれた(マルコ1:911)。天が裂け、霊が彼の中に降った。

 

イザヤ書6113節は、第三イザヤという無名の預言者の召命と派遣の記事である。第三イザヤである「わたし」を主なる神が召されて、預言者とされた。彼は油注がれ、主なる神の霊に支配された。彼の使命は、貧しい者に福音を宣べ伝えることである。この貧しい者とは経済的困窮者ではない。バビロン捕囚以後において困窮の中にいる神の民たちである。自由を奪われ、絶望の中にいる者たちである。彼らに自由と慰めの福音を伝えることが第三イザヤの預言者としての使命であった。

 

そして、彼は来るべきメシアの予型でもある。主イエス・キリストは、第三イザヤが指し示す実体である。真理そのものである。だから、主イエスは、神の民を罪から救う救い主として、聖霊を注がれ、預言者として悪霊と罪に捕らわれていた神の民たちに神の国の福音を宣べ伝え、彼らの病を癒し、彼らから悪霊を追い出された。

 

ジュネーヴ教会信仰問答は、問37と答でキリストの王権を解説する。キリストの王権はこの世のものではない。「霊的で、神の言葉と聖霊とからなる支配」である。キリストの王権は、この世の王のように目に見えるものではない。目には見えない神の支配である。神は、聖霊と御言葉によって神の民を統治される。それは、具体的には、この世における教会という姿である。

 

主イエス・キリストは、教会の神礼拝と福音宣教を通して聖霊と御言葉によってこの世から神の民を集め支配される。キリストの十字架の福音が語られ、罪の赦しと義と永遠の命が主イエスを信じる神の民に与えられる。

 

38と答においてジュネーヴ教会信仰問答は、キリストの祭司の職について解説する。大祭司は年に一度至聖所に入り、主なる神に神の民の罪を執り成しました。また、神の民たちが携えて来た動物を主なる神にささげて、神の怒りを宥めました。主イエス・キリストは、祭司が指し示す実体であり、真理そのものである。主イエス御自身が罪無き、無傷の犠牲として、わたしたちの罪の犠牲として父なる神にささげられた。そして、御自身が十字架の死に至るまで父なる神に完全に服従された義を、わたしたちに与えて下さった。主イエス・キリストによって罪を赦され、神の御前に義とされ、神の子とされ、永遠の御国の相続人とされたのである。

 

39と答においてジュネーヴ教会信仰問答は、キリストの預言者職について解説する。主イエス・キリストが預言者であるのは、彼が御父なる神の「使節または代弁者であると宣言された」からである。「使節」は、御父から委託を受けた使いのことである。主イエスは、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と宣言された(マタイ28:18)。主イエスは、御父の「代弁者」である。仲介人、御父の御言葉を神の民に取り次ぐ人である。預言は、主イエスが御父から御言葉を与り、わたしたちに告げられることである。そして主イエスを通して告げられた神の御言葉は、聖霊が聖書によって完結されているのである。

 

 

キリストの王と祭司と預言者としての職務は、キリストが受肉し、神人という二性一人格を取られ、十字架と復活の御業を通して、御自身の低き状態と高き状態において、父なる神に完全に服従され、そして昇天し、神の右に座されている今も遂行されているのである。