ジュネーヴ教会信仰問答21           主の20211110                                                                 

聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙第3114(新約聖書P345346)

第一部     信仰について

 第九聖日                          

60 「十字架につけられた」ことは何か外の死に方をされた以上の意味を持つのですか。   

答 大いに持っています。パウロが木に懸けられたもうたことを記すくだりで、キリストは私たちの呪いを御自身の身に受け、それによって私たちは呪いから解かれたということに注意を促している通りであります。すなわち、このような死に方は呪いによって断罪されたものだからであります。  申命記二一・二三 ガラテヤ三・一

61 どうしてですか。彼が呪いに服され、しかも神の前で呪われたというならば、神の御子に侮辱を加えることにならないでしょうか。

答 いいえ。そうではありません。というのは、彼は呪いを受けることによってこれを廃絶なさったからです。しかも、祝福されていたもうことはやまなかったのであり、こうして御自身の祝福を私たちに注ぎたもうたのです。

62 もっと続けなさい。

 答 死は罪の故に人間に課せられた刑罰でありましたから、神の御子がそれに耐え、耐えて勝利したもうたのです。さらに、彼が真実の死を死なれたことを一層はっきりさせるため、他の人々と同じように墓の中に置かれることを欲したもうたのです。

63 しかし、私たちはそれでも死ぬのですから、この勝利から私たちに何か益が得られるとは思われません。

 答 何も差し支えはないのです。というのは、今や信仰者たちにとっては、死はもっと良い生に移る通路にほかならないからです。

 問64 ここから次のことが結論されます。私たちはもはや死を恐ろしいものであるかのように恐怖すべきではなく、むしろ、不敵の勇気をもって私たちの導き手なるキリストに随()いて行かねばなりません。彼御自身、死によって滅ぼされたまわなかったように、私たちが滅びることも忍びたまわないのです。

 答 私たちはそのように彼に随いて行かねばなりません。

 今日はジュネーヴ教会信仰問答の第九聖日(第九課)、問6064と答を学ぼう。第八聖日(第八課)では、使徒信条の「処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と、使徒信条がキリストの生涯を省いて、ピラトの裁判における有罪判決に移っている理由と主イエスの有罪判決の意味と私たちに対する益を学んだ。使徒信条がキリストの贖いの本質から告白され、主イエスのピラトの裁判における有罪宣告によって、私たちは神の審判において無罪宣告を得る恵みを得たことを学んだのである。

 

さて、第九聖日(第九課)の問6064と答を学ぼう。ジュネーヴ教会信仰問答は、使徒信条の「十字架につけられ、死にて」を解説している。キリストが十字架で死なれたことが、私たちにどんな益をもたらすのかを教えているのである。

 

ジュネーヴ教会信仰問答の問60と答は、キリストが十字架刑という方法で死なれたことの益である。死に方はいろいろある。しかし、どうして神の子主イエス・キリストは、他でもない十字架刑で死なれたのか、この方法は「何か外の死に方をされた以上の意味を持つのですか」と、問答は問うている。

 

問答は、新約聖書のガラテヤ書314節の使徒パウロの御言葉に言及する。使徒パウロは、旧約聖書の申命記2127節の「木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」を引用し、「キリストは、わたしたちのため呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。(ガラテア3:14)と述べている。キリストの十字架は、神に呪われた私たちの身代わりでした。私たちが自らの罪によって神の呪いの刑罰を受けることから、私たちを贖い出す方法は、キリストの十字架以外にないのである。

 

ジュネーヴ教会信仰問答は、問61と答でキリストの十字架刑による死が罪ゆえに神が課された刑罰であることを教えている。それは、神の御子主イエス・キリストが耐えられた勝利であり、主イエス・キリストは真実人として死なれたので、私たちが死ぬとき、墓に葬られるように、葬られたと教えている。主イエスは、神の子であるので、神の呪いの刑罰に、十字架の死に耐えられ、また、人として私たちの罪を身代わりに負われたのである。

 

 

ジュネーヴ教会信仰問答は、問6263と答で私たちの素朴な疑問に答え、慰めている。キリストが罪と死に勝利されたのに、どうして私たちはなお死ぬのであるかと。キリスト者のこの世の死は永遠の滅びに至る市ではない。キリスト者の死は永遠の命の門口、通路となった答え、死を恐れぬ勇気をもって、私たちの導き手である主イエス・キリストについて行くようにと励ましている。十字架のキリストが復活し、天に昇られたように、私たちも死から復活し、御国に移されるのである。