2021年クリスマス礼拝説教       主の20211219

 

 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

 

 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

 「ラマで声が聞こえた。

 激しく嘆き悲しむ声だ。

 ラケルは子供たちのことで泣き、

 慰めてもらおうともしない。

 子供たちがもういないから。」

                 マタイによる福音書第21318

 

 説教題:「幼子主イエスの苦難とわたしたち

 クリスマス、おめでとうございます。

 

コロナウイルスの災禍の中で二度目のクリスマスを迎えました。コロナウイルスが教会と世界に与えた影響は、インターネットの世界的な普及と共に大きなものでした。

 

礼拝のオンライン化が上諏訪湖畔教会でも今年3月から始まりました。社会は、コロナウイルスの影響でテレワークが普及し、自宅勤務が増えました。教会も社会もズームで会議や教師会、長老会、研修会、修養会、委員会活動を行うのが普通になりました。

 

今朝のクリスマス礼拝でも、ここに集まることのできない兄弟姉妹が、ユーチュブのネット配信によって、同時に礼拝できるのです。聖餐式に与ることは物理的なことですので、制約がありますが、今朝行われる洗礼式は、ネットを通して一緒に見守っていただけるでしょう。

 

今朝は、クリスマス礼拝です。主イエス・キリストの御降誕をお祝いします。

 

マタイによる福音書第213節から18節の御言葉を学びましょう。この御言葉は、主イエスがお生まれになられた後の出来事を物語っています。

 

その頃ユダヤの国を支配していたユダヤの王ヘロデ大王に幼子主イエスが迫害された物語です。

 

マタイによる福音書は、一つの意図をもって今朝の幼子主イエスがエジプトに避難し、ヘロデ大王がベツレヘムとその地域周辺の2歳以下の男の子を虐殺したことを物語っているのです。

 

幼子主イエスがエジプトに避難した物語が意図しているのは、15節の御言葉です。「それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

 

これは、旧約聖書の預言者ホセアがホセア書111節で預言した御言葉です。

彼は、こう預言しています。「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。

 

主イエスが生まれられるおよそ千五百年前に神の民イスラエルはエジプトの地で奴隷生活をしていました。そして、エジプトの王は、ユダヤ人たちがエジプトで増え広がることを恐れて、彼らの男の子たちを殺害し、彼らに苦役を課していました。

 

主なる神は彼らの指導者モーセを通して、神の民イスラエルをわが子として愛し、救われました。そしてエジプトから呼び出して、カナンの地へと導かれたのです。

 

その出来事について預言したホセアの言葉は、主なる神が我が子である幼子主イエスを、エジプトから呼び出されて、再びユダヤに呼び戻された時に実現するのです。

 

マタイによる福音書にとって重要なことは、幼子主イエスがエジプトに逃れられ、そこから主なる神が愛する子主イエスを再びユダヤに呼び戻され、神の民の救いの御計画を一つ一つ実現されていくことです。

 

父ヨセフに主の御使いが夢で現れました。御使いは彼にヘロデ大王が幼子主イエスを迫害すると伝えました。そして御使いは彼にエジプトに逃れるように命じました。

 

父ヨセフは立って、すぐに御使いの命令を実行し、エジプトに幼子主イエスと彼の母マリアを連れて、エジプトに逃げました。

 

ヘロデ大王は、占星術の学者たちに侮辱されたと思い、大変怒りました。学者たちが彼に幼子のことを知らせないで帰国してしまったからです。

 

ヘロデ大王は、彼の兵士たちをベツレヘムとその地域周辺に遣わしました。そして、2歳以下の男の子たちを皆殺しました。

 

マタイによる福音書は、この出来事を、旧約聖書の預言者エレミヤの預言が実現したと述べています。それは、旧約聖書のエレミヤ書3115節の御言葉です。「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む もう息子たちはいないのだから。

 

ラマはイスラエルの12部族の一つ、ベニヤミン族の嗣業地にある町です。

 

ラケルは、ベニヤミン族の先祖ベニヤミンの母です。預言者エレミヤは、南ユダ王国がバビロニア帝国のネブカドレツァル王に滅ぼされ、エルサレムの都の神の民たちがバビロニア帝国に捕囚されたことを、ラケルが嘆き悲しんだと歌っているのです。

 

どうしてマタイによる福音書は、ヘロデ大王に殺された幼子たちの母親たちの嘆きが、ラケルが嘆きと悲しみの預言の実現であると記しているのでしょうか。

 

マタイによる福音書は、神の民イスラエルを一つの運命共同体と考えているのです。神の民イスラエルは、先祖ヤコブの12人の息子たちから始まりました。だから、マルコによる福音書はラケルをイスラエルの母としているのです。マタイによる福音書は、エレミヤの預言の言葉からベツレヘムの幼子たちの死を、神の民イスラエルの母であるラケルが嘆き悲しんだと見做して歌っているのです。

 

ヘロデ大王は、エジプト王のように多くの幼子を殺しました。そして、彼らの母親たちを嘆き悲しませました。子を失った母親は、もう愛するわが子はいないのですから、だれからも慰められることを拒みました。

 

しかし、ヘロデ大王に迫害された幼子主イエスは、エジプトの王に迫害された神の民イスラエルの指導者モーセのように、この殺された幼子たちを死から解放する救い主なのです。それがマルコによる福音書の伝えたいことです。

 

さて、ベツレヘムで幼子を殺された母親たちの嘆きと悲しみは、今も続いています。世界中で戦争や紛争によって多くの幼子たちが犠牲になり、母親たちは嘆き悲しみ、愛する子を失って、だれからも慰められることを拒んでいます。

 

エジプトの王やヘロデ大王のような国家権力者による大量虐殺は、多くの母親たちに大きな嘆きと深い悲しみを招いています。

 

本当に現代の皮肉です。あれほど旧約聖書の時代に国家権力者によって愛する子を殺され、愛する祖国を奪われ、母親たちの嘆きを知るイスラエルの国が、逆にパレスチナ人々から国土を奪い、子供たちを爆撃によって殺戮し、多くのパレスチナの母親たちを嘆き、悲しませているのです。

 

他国のことを非難できるわたしたちではありません。日本も敗戦後76年を経ました。しかし、今も中国や韓国、東南アジアの諸国は、日本兵によって愛する子を殺された母親の嘆き、悲しみがあります。彼女たちは慰めを拒でいます。そして、親から子へ、子から孫へと世代に渡ってその嘆きと悲しみは引き継がれているのです。

 

この母親たちの嘆き悲しみは、日本の外交によって解決できないでしょう。日本政府は経済的援助によって臭いものには蓋をしてきました。しかし、中国も韓国も東南アジアの民衆は忘れていません。何か政治的な問題が起こると、日本が過去に犯したことに対してその責任を問おうとしています。

 

残念ながら現代のパレスチナの問題も日本の戦争責任の問題も、解決の道はありません。なぜなら、愛する者を失った母親たちの嘆き悲しみを、人は解決できるのですからです。

 

失った命を贖う者がいれば、死んだ、愛する息子、娘の命を贖う者がいれば、どうでしょうか。

 

旧約聖書のヨブ記のヨブは、息子、娘たちを失い、多くの苦難を経て、なお苦しみと嘆きの中でこう告白しています。「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも この身をもって わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。(ヨブ記19:2527)

 

主イエスは、人には不可能であるが、神にはできないことはない」と言われています。

 

その証拠に、ヘロデ大王に迫害され、エジプトから呼び戻された神の愛する独り子主イエスは、わたしたちの罪の身代わりに死なれ、死人の中から復活されました。

 

こうして昔主なる神が神の民の指導者モーセを通して、神の民を奴隷の地エジプトから贖い出されたように、この幼子主イエスはわたしたちを罪と死から贖い出されるのです。

 

マタイによる福音書はわたしたちに幼子主イエスだけが、わたしたちを罪と死から贖い出すことがお出来になると伝えているのです。

 

マタイによる福音書は、主イエス・キリストの誕生を物語り、幼子主イエスの救いの出来事をインマヌエルと呼んでいます。「神、我らと共にいます」という意味です。

 

幼子主イエスは、わたしたちを罪と死から救われるだけではなく、わたしたちを永遠に神と共におらせてくださるのです。

 

そして、その神こそわたしたち人間を、御自身の似姿に似せて創造されたお方です。そして、神、我らと共にいますところこそ、神の御国、わたしたちが天国と呼ぶところです。

 

わたしたちは、クリスマスに主イエス・キリストの御降誕を祝います。同時に主イエス・キリストが再臨されることを待ち望んでいるのです。

 

その時こそわたしたちの救いの完成であり、この世の歴史におけるすべての問題が解決されるのです。それゆえに永遠に神の平和が打ち立てられるのです。

 

お祈りします。

 

主イエス・キリストの父なる神よ、今年もコロナウイルスの災禍の中にある世界においてクリスマスが祝われ、一人の兄弟の洗礼式と聖餐式を行えることを感謝します。

 

マタイによる福音書から幼子主イエスの迫害とわたしたちについて思い巡らすことが許されて感謝します。

 

神は憐れみによって、今年一年この教会の礼拝が支えられ、わたしたちの教会が守られたことを感謝します。

 

今年は三月よりオンライン礼拝で遠くの兄弟姉妹とも礼拝を共にできて感謝でした。

 

今から洗礼式と聖餐式の礼典を執り行います。主イエスよ、わたしたちにあなたの御救の恵みを、神の栄光を見させてくださり、感謝します。この小さな教会の群れに、あなたの御目に大切な一人の兄弟を加えてくださり感謝します。

 

どうか、パンに触れ、食べ、ぶどう酒をいただき、飲み、手で触れ、口で味わい、主の恵みを味わわせてください。

 

26日の主日礼拝で、今年最後の礼拝です。どうか、今年最後の残された日々を感謝し、過ごさせてください。

 

どうか、主イエスよ、わたしたちにあなたの再臨と御国の実現を待ち望ませてください。主イエスよ、わたしたちのところに来てください。

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。