2022年クリスマス礼拝説教    主の20221225

 

 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

 「いと高きところには栄光、神にあれ、

地には平和、御心に適う人にあれ。」

 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムに行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

              ルカによる福音書第2820

 

 説教題:「羊飼いたちのクリスマス

クリスマス、おめでとうございます。

 

コロナウイルスの災禍の中で三度目のクリスマスを迎えました。コロナウイルスに対する最初の恐れは何時の間にか消えさり、コロナウイルスはわたしたちの日常生活の一部となっています。

 

しかし、コロナウイルスの悪影響は大きく、世界中の教会が委縮してしまっている状態が続いています。

 

さて、キリスト教会は、キリストが臨在されている所に兄弟姉妹が共に集まり、礼拝と交わりを為し、共に神の御言葉を聴き、信仰によって共に洗礼と聖餐の恵みに与かるところです。

 

その意味ではコロナウイルスは、教会の存在そのものを揺るがす出来事でありました。

 

「日本キリスト改革派教会創立二十周年記念宣言」に「礼拝」の項があり、次のように宣言しています。「教会の生命は、礼拝にある。キリストにおいて神ひとと共に住みたもう天国の型として存する教会は、主の日の礼拝において端的にその姿を現わす。わが教会の神中心的・礼拝的人生観は、主の日の礼拝の厳守において、最もあざやかに告白される。神は、礼拝におけるみ言葉の朗読と説教およびそれへの聴従において、霊的にその民のうちに臨在したもう。

 

主の日の礼拝が上諏訪湖畔教会の命であり、キリストの体の心臓です。この意味を理解しますならば、如何にコロナウイルスがわたしたちの教会にとって、わたしたちの目に見えるこの地上にある教会にとって大きな打撃であったか、想像できるでしょう。

 

同時にインターネットによる礼拝のオンライン化によって、かろうじて地方にある小さな教会は支えられているのも、教会の現実です。

 

二十周年宣言の「礼拝」の項で宣言しているように、オンライン礼拝を通して聖書朗読とその解き明かしである説教を共に聴従することはできるわけですので、わたしは上諏訪湖畔教会が教会としての命を持っていると思います。

 

ですから、今朝のクリスマス礼拝においてこの礼拝の命である聖書朗読と説教への聴従に心を向けようではありませんか。

 

朗読しました聖書箇所は、ルカによる福音書第2820節の御言葉です。今朝のクリスマス礼拝の説教題を、「羊飼いたちのクリスマス」という題を付けました。

 

ルカによる福音書は、マタイによる福音書と同様にクリスマス物語があります。

 

ルカによる福音書の野宿する羊飼いたちに天使が現われ、主イエス・キリストの御降誕を告げるクリスマス物語は、よく知られ、親しまれている物語です。

 

ルカによる福音書は、このクリスマス物語を物語るために、ローマ皇帝アウグストゥスがローマ帝国の全住民の人口調査を命じたことを記しています。

 

皇帝の勅令によって、ヨセフは身重のマリアを伴って、登録をするために共にベツレヘムに行きました。そして、そこで主イエスがお生まれになりました。ヨセフたちは宿泊の部屋がなかったので、馬小屋に身を寄せ、乳飲み子の主イエスは飼い葉桶の中に寝かされていました。

 

ルカによる福音書にとって主イエスの御降誕は、ユダヤの国における小さな村ベツレヘムでの小さな出来事ではありませんでした。全世界の人々の救いに関わる出来事でした。

 

そのすばらしいニュースを、天使から最初に聞いたのが、ベツレヘムで野宿し、羊たちの番をしていた羊飼いたちでした。

8節の「その地方」とはベツレヘムです。ベツレヘムの野で、エルサレム神殿の祭司たちが動物犠牲の羊たちを放牧していました。ベツレヘムの野で野宿し、羊たちの番をしていたのは、祭司たちが放牧していた羊たちを世話している者たちだったでしょう。

 

羊飼いたちは、ユダヤの国で宗教的に汚れた者として軽蔑されていました。毎日一定の期間、羊たちの番を夜通ししているのです。安息日を守ることも、身を汚さいないことに気を付けることもできなかったでしょう。彼らは罪人でした。

 

だからルカによる福音書は、9節で次のように記しているのです。「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

 

幼子主イエスの御降誕を羊飼いたちに告げる天使が現われたのです。天使は、彼らに神からの啓示を告げ知らせました。「主の栄光」とは、まさに神がそこにいますというしるしです。だから、天使を通して神が出現され、罪人である羊飼いたちは非常な恐れを感じたのです。彼らは「わたしたちは死ぬ」と思ったことでしょう。

 

天使は、羊飼いたちに「恐れるな」と命じて、次のように主イエスの御降誕を告げ知らせ、そのしるしを伝えました。

 

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(1012)

 

天使は、羊飼いたちに「民全体」、神の民イスラエルの全体に対する福音を告げました。

 

ルカによる福音書は、天使が羊飼いたちに告げた福音がユダヤの人々だけではなく、世界の人々への福音であると理解しています。「今日ダビデの町で」とは、昔ダビデ王が生まれたベツレヘムで、今日救い主が生まれたということです。この救い主はユダヤ人たちだけの救い主でありません。世界の民の救い主です。

 

天使は、ベツレヘムに生まれた乳飲み子を、「この方こそ主メシアである」と述べています。「主メシア」という表現はここだけです。

 

主イエスが生まれられたころ、ローマ皇帝や神々に「救い主」という言葉が使われていました。天使は羊飼いたちにベツレヘムに生まれられた幼子こそ真の救い主であると述べているのです。

 

使徒言行録236節で使徒ペトロがユダヤ人たちに説教してこう述べています。「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。

 

使徒ペトロは、説教で、主イエスを復活して生けるキリストと言っています。従って天使は、ベツレヘムに生まれられた幼子主イエスを、将来復活して、すべてに命を与えて救う使命を持つ主と言っているのです。

 

そして、天使は、羊飼いたちに民全体への大きな喜びとしての救い主の誕生に対するしるしを次のように告げ知らせています。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。

 

天使は羊飼いたちに告げ知らせた幼子の誕生に、飼い葉桶に布に包まれて寝かされている幼児をしるしとして与えました。

 

天使のお告げが終わると、突然この天使に天の大軍が加わり、神を賛美し、次のように賛美しました。「 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(14)

 

 マリアから生まれた神の子の誕生によっていと高き所における神の栄光が地上に下りました。だから、この地に神の平和が訪れました。そして、その神の平和が神の御心に適う人に、神が選ばれた地の人にあるようにと、天使たちは賛美しました。

 

神が望む人々に、神が好意を持たれる人々に、神が選ばれた人々に、神の平和と救いがあるようにと、天使たちは賛美したのです。

 

 まるで天使たちの賛美に励まされるように、天使たちが去ると羊飼いたちは、夜通しの羊の世話を止めて、ベツレヘムに行こうと話し合いました。彼らは、主が知らせてくださって、現実にベツレヘムで起こった幼子の誕生を見て来ようではないかと話し合いました。

 

 羊飼いたちは、ベツレヘムに行きました。宿屋を一軒ずつ訪ね歩いたでしょう。ヨセフとマリアが泊まり、マリアから生まれた幼子はすぐに見つかりました。天使が告げたとおり幼子は布に包まれて、飼い葉桶に寝かされていました。

 

 その光景を見て、羊飼いたちは天使の告げた言葉を信じました。そして、彼らは天使が彼らに告げたことを人々に証ししました。彼らが話すことを聞いたベツレヘムの人々は、ただ不思議に思いました。しかし、人々は羊飼いたちの証しを信じなかったでしょう。

 

 ただ一人心に留めた者がいます。幼子の母マリアです。彼女は、羊飼いたちの話を聞いて、幼子の誕生の意味について心に留めたのでしょう。

 

 ルカによる福音書は、羊飼いたちのクリスマス物語の最後にこう記しています。「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 

 羊飼いたちは、ベツレヘムで起こった神の出来事を見た証人たちです。彼らは、天使が告げた言葉のとおりに、ベツレヘムのある宿屋で布に包まれた幼子が飼い葉桶に寝かせてあるのを見つけました。そして、天使が告げた言葉を信じました。そして、神を賛美して、彼らの仕事場に戻りました。

 

 この羊飼いたちは、今のわたしたちです。今わたしたちも、ルカによる福音書のこの御言葉を通して、天使が羊飼いに告げた御言葉を聴いているのです。そして、この幼子こそわたしたちの救い主であると信じているのです。そして、羊飼いたちが神を賛美して彼らの日常生活に帰って行ったように、わたしたちもこれから神を賛美しながら、自分たちの日常生活へと帰って行くのです。

 

 クリスマスは、ヨハネによる福音書が伝えるように、神御自身が人として生まれられたという出来事です。

 

 この出来事は、このルカによる福音が羊飼いのクリスマスとして物語るように、歴史の中でベツレヘムという村で起こった出来事です。しかし、ベツレヘムで生まれられた幼子、飼い葉桶で布に包まれて寝かされていた幼子は、天使を通しての神の啓示です。

 

だから、クリスマスの出来事は信仰の出来事でもあります。この生れた幼子は神の子キリストであるという信仰によってしか、クリスマスの出来事を真に受け入れることは出来ないのです。

 

お祈りします。

 

主イエス・キリストの父なる神よ、今年もコロナウイルスの災禍の中で過ごしました。

 

その影響で教会は、危機的な状況にあります。

 

しかし、主の憐れみによって、今年一年この教会の礼拝が支えられ、わたしたちの信仰が守られたことを感謝します。

 

兄弟姉妹たちが主の日の礼拝を共にできないという事情は様々ですが、離れていてもオンライン礼拝をとおして共に神の御言葉を聴けることは感謝です。

今から聖餐式の礼典を執り行います。主イエスよ、わたしたちにあなたの御救の恵みを、神の栄光を見させてください。

 

共に与れない兄弟姉妹を憐れんでください。

 

今年最後の礼拝です。どうか、今年最後の残された日々を感謝し、過ごさせてください。

 

どうか、主イエスよ、わたしたちにあなたの再臨と御国の実現を待ち望ませてください。主イエスよ、わたしたちのところに来てください。

 

 

 

この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。