ウェストミンスター大教理問答16       主の2014年1月7日

 聖書箇所:創世記第3章1-19節(旧約P3-5)

問21 人間は、神が最初に彼を創造されたその状態を続けたか。
答 わたしたちの始祖は、彼ら自身の意志の自由にまかされていて、サタンの誘惑により、禁じられた木の実を食べて神の命令にそむき、それによって、彼らが創造された無罪の状態から堕落した。

  今夜より、ウ大教理問答で、「人間の罪と罰」を学びましょう。問21から29とその答から創造されたままの状態の人間がサタンの誘惑により神の命令にそむき、無罪の状態から堕落し、死と滅びの刑罰の下に置かれた人間の悲惨な状態について学びましょう。

 問21は、神に創造された人間が創造されたままの無罪の状態に留まったのか。という質問です。

 ウ大教理は、問20の答の後半で業の契約、または命の契約について聖書の教理を述べました。創世記2章17節で主なる神は人間に対して特別な摂理でもって、命の契約を結ばれました。すなわち、人の完全な服従を条件として永遠の命を約束されました。それが、「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」という、主なる神のアダムへの命令でした。命の契約には違反に対する罰則があり、それが死であります。
 
  問21の真の問いは、人間が主なる神との命の契約を守ったのかというものです。主なる神は、人間の心からの服従を願われました。主なる神は、人間をロボットのようにお造りになりませんでした。自らの理性と意志で判断し、行動するようにお造りになりました。ウ大教理は次のことを暗示しています。神が、人間の意志の自由にまかされたので、人間は罪を犯す方向を選ぶことが可能となったと。
 
  創世記第3章6-8節は、人間が蛇(サタン)の誘惑で堕落したことを記述しています。この記述は罪がアダムとエバの内からではなく、外から来たことを教えています。ウ大教理は、「彼ら自身の意志の自由にまかされていて」と告白し、人間に自由意志があることを明らかにします。罪は外から来ましたが、人間であるアダムとエバが神から委ねられた彼らの自由な意志で、罪を招きました。
 
  次にウ大教理は、人間の罪が「サタンの誘惑により」来たことを告白しています。主なる神は、人間と命の契約を結ばれ、違反に対して罰則の死を定められましたが、人間を罪に陥れたお方ではありません。それは、問19の答にある主なる神が御自身に背いて堕落することを許された天使、すなわち、サタンであります。彼がエバを誘惑し、アダムが命の契約に違反するように誘ったのです。
 
  ウ大教理は、その結果、創造されたままの人間が罪を犯し堕落したことを次のように告白します。「禁じられた木の実を食べて神の命令にそむき、それによって、彼らが創造された無罪の状態から堕落した。」
 
  この事実は、旧約聖書のコヘレトの言葉第7章29節に次のように記述されています。「ただし見よ、見出したことがある。神は人間をまっすぐに造られたが 人間は複雑な考え方をしたがる、ということである。」神は人間を正しく造られたが、後に人間は罪を犯し、堕落したということを述べています。
 
  使徒パウロは、コリントの信徒への手紙二第11章3節で、次のように述べています。「ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。」パウロの言葉からわたしたちが理解することは、人間の罪と堕落がサタンの誘惑を通してなされたということです。
 
  そのことによって人間は、創造されたままの無罪状態にとどまれずに、堕落したのです。

 



 ウェストミンスター大教理問答17       主の2014年1月14日

 聖書箇所:ローマの信徒への手紙第5章12-21節(新約P280)

問22 全人類は、その最初の違反において堕落したか。
答 公人としてのアダムと結ばれた契約は、彼自身だけでなく、彼の子孫のためにも結ばれていて、普通の出生によって彼から出る全人類は、その最初の違反において、彼にあって罪を犯し、彼と共に堕落した。

問23 堕落は、人類をどのような状態にしたか。
答 堕落は、人類を罪と悲惨の状態にした。

  ウ大教理問答は、問22と答で全人類の罪と堕落を告白し、問23と答でアダムの堕落が全人類にどんな影響を与えたかを告白しています。

 問22の「その最初の違反」とは、アダムの違反であります(創世記3:6)。主なる神は、アダムと生命の契約を結ばれました。ウ大教理の問20の答で「個人的な、完全な、不断の服従を条件として、彼と命の契約を立て、命の木をその保証とし、死を罰則として、善悪を知る木から取って食べることを禁じられた」と告白しています。
 
  「個人的な」(パーソナル)は、「人格的で」という訳(宮崎訳)が正確で、主なる神とアダムとの命の契約は、個人的契約ではありません。主なる神は、アダム個人と契約を結ばれたのではありません。
 
  使徒言行録の17章26節で使徒パウロは、「神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ」と述べています。ウ大教理は、アダムを「公人としてのアダム」と呼び、主なる神は「公人としてのアダム」と命の契約を結ばれました。「公人としてのアダム」とは、アダムが人類のかしらであり、代表者であるということです。ですから、ウ大教理は、「彼の子孫のためにも結ばれていて」と告白しています。アダムの最初の違反は、彼の子孫たちの違反でもありました。
 
  ですから、「普通の出生によって」生まれるアダムの子孫は、すなわち、すべての人類は、アダムの最初の違反において、アダムと共に罪を犯し、アダムと共に堕落しました。
 
  創世記3章6節でアダムがエバから善悪を知る木の実を渡されて、食べました時、彼のすべての子孫たちである全人類が共に食べて、罪を犯しました。だから、使徒パウロは、「一人の人によって罪が世に入り」(ローマ5:12)。「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされた」(ローマ5:19)と証言しています。
 
  ウ大教理問23と答は、アダムの最初の罪の影響を告白しています。アダムの最初の違反により、アダム個人だけでなく、彼のすべての子孫が無垢な状態から罪人に堕落しました。使徒パウロは、ローマの信徒への手紙5章12節で、次のように証言します。「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって市が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」
 
  アダムの最初の違反によって、すべての人類が罪を犯し、その結果この世界に死が入って来ました。パウロは、ローマの信徒への手紙6章23節で、「罪が支払う報酬は死です」と証言しています。罪は悲惨の原因であり、悲惨は罪の結果です。
 
  ヨハネス・ヴァスは、次のように証言しています。「聖書によると、人間はエデンにおいては神によって創造されたままであったので正常であった。しかし人間は罪におちて異常となり、現在ではたった一人の正常な人間もいないのである。現代の人間の平均というものは、どの点からいっても異常であって、神が創造された人間の完全性から大きくはずれている。さらに近代科学は、老年と死というものを人間にとっての正常な経過とみなしているが、聖書からみるとこれら二つのものは共に異常なもので、創造されたままの人間には全く無縁のものであった。」(『ウェストミンスター大教理問答講解』上 P98)。

 

 

 

 ウェストミンスター大教理問答18       主の2014年1月21日

 聖書箇所:ローマの信徒への手紙第3章9-19節(新約P276-277)

問24 罪とは何であるか。
答 罪とは、理性的被造者に規準として与えられた神のどの律法にでも、少しでもかなわないこと、またそれを犯すことである。

問25 人間が堕落したその状態の罪性は、どの点にあるか。
答 人間が堕落したその状態の罪性とは、アダムの最初の罪のとがと、彼が創造されたその義を失っていることと、それによって彼が、霊的に善であるすべてのものに、全く嫌気さし、不能となり、逆らうものとなり、すべての悪に全く、それも絶えず、傾いている本性の腐敗である。これは普通に原罪と呼ばれ、すべての現実の違反がそれから生ずるのである。

  ウ大教理問答は、問24と答で罪を定義し、問25と答で原罪を告白しています。

 ウ大教理は、問24で「罪とは何であるか」と問うて、答で「神のどの律法にでも、少しでもかなわないこと、またそれを犯すことであると」と告白しています。
 
  「理性的被造者」とは、「理性のある被造者」(宮崎訳)、すなわち、わたしたち人間です。問17の答でウ大教理は神が人間を男と女に創造し、「彼らに生ける、理性のある、不死の霊魂を賦与し」、「彼らの心にしるされた神の律法と」と告白しています。神は人間に理性を授け、人間の心に記された神の律法を守ることができる力を授けられました。最初の人間、主なる神と契約を結んだ人類の代表者であるアダムは、「理性的被造者に規準として与えられた神の律法」を守ることができる力を授けられていました。
 
  ヨハネの手紙一の3章4節で、使徒ヨハネは罪を次のように定義しています。「罪を犯す者は皆、法に背くのです。罪とは、法に背くことです。」「法」とは神の律法のことです。使徒ヨハネの時代、ある異端者たち(「反キリスト」)は御子キリストを認めず、道徳に反する罪を犯しても、神の御旨に背くとは考えていませんでした。
 
  使徒パウロは、旧約聖書の申命記27章26節を引用し「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と述べています。罪とは、神の律法にかなわないこと、それに背く(「違反する」)ことです。
 
  アダムは、主なる神の「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」という命令に背いて、罪を犯しました(創世記3:6)。
 
  ウ大教理問は25と答で、人間の原罪を告白しています。人間の原罪とは、問25の「人間が堕落したその状態の罪性」のことです。ウ大教理は答で「人間が堕落したその状態の罪性とは、アダムの最初の罪のとが」と告白しています。
 
  使徒パウロはローマの信徒への手紙5章12節と19節でアダムの最初の罪のとががすべての人間に転嫁されたと告白しています。アダムは最初の罪である原罪で、とが、すなわち、腐敗し、それが普通の出生で生まれるすべての人間に転嫁されました。
 
  次にアダムは原罪で「彼が創造されたその義を失っていること」です。創造の時に持っていた神との正しい関係と交わりを失いました。
 
  さらにアダムの原罪で、人類は堕落し、本性的に腐敗しました。ウ大教理は、それを次のように告白します。「それによって彼が、霊的に善であるすべてのものに、全く嫌気がさし、不能となり、逆らうものとなり、すべての悪に全く、それも絶えず、傾いている本性の腐敗である。」
 
  使徒パウロは、ローマの信徒への手紙3章10-19節でダビデの詩編14編を引用して、アダムの原罪により、人類はあまねく全的に罪に腐敗していると告白しています。エフェソの信徒の手紙2章1-3節で使徒パウロは、人は罪に死んでいるので神を喜ばすことはできないと告白します。ローマの信徒への手紙5章6節で人間は霊的に無力で、不敬虔であると告白しています。ローマの信徒への手紙8章7-9節で神を敵とする人間は神を喜ばすことができないと告白しています。創世記6章5節で主なる神は、人間が常に悪いことばかり、心の計っているのを御覧になっています。使徒ヤコブは、ヤコブの手紙1章15節で原罪が人間のすべての現行罪の源であることを告白しています。キリストご自身もマタイによる福音書15章19節で、人間のすべての罪と悪が人の心から出て来ると指摘されています。