ウェストミンスター大教理問答 22   主の2015年2月18日

 聖書テキスト:ローマの信徒への手紙第15章15-21節(新約P295-296)

 問31 恵みの契約は、だれと結ばれましたか。
 答 恵みの契約は、第二のアダムとしてのキリスト、また彼にあって、彼の子孫としてのすべての選民と結ばれた。
 問32 神の恵みは、第二の契約のうちに、どのように現われているか。
  答 神の恵みは、第二の契約のうちに、次のように現われている。すなわち、神は罪人に、価なしに仲保者と、彼による命と救いとを備え、提供される。また彼らを彼に関係づける条件として信仰を要求しながらも、すべての選民に聖霊を約束し、与えて、他のすべての救いの恵みと共に、その信仰を彼らのうちに造り出させ、また彼らの信仰と神への感謝との真実の証拠であり、神が救いのために指定された道でもあるすべての清い従順を可能ならしめる。
 
  ウ大教理は、神の救いが神の恵みの契約として遂行されることを告白します。それは、神の救済史であり、キリストにおける神の救いの歴史です。
 
  「第一の契約」、すなわち、「生命の契約」・「わざの契約」は、「公人としてのアダム」と結ばれました。「公人としてのアダム」は、全人類と全被造物の代表者でした。アダムが神に服従するという条件で、全人類が神に服従し、永遠の命を得ることができました。「第一の契約」の神の動機は、神が創造された全人類と全被造物への愛といつくしみでした(問22の答)。
 
  「第二の契約」、すなわち、「恵みの契約」は、神が「公人としてのキリスト」と結ばれました。「公人としてのキリスト」は、選民の代表者です。アダムの原罪より彼のすべての子孫、すなわち、全人類は罪を犯し、堕落しました。「罪の支払うべき報酬は死である」(ローマ6:23)。ゆえに全人類は永遠に滅ぶべきものとなりました。しかし、神は愛といつくしみにより全人類の中からある者を選び、救いにあずからせるためにキリストによる救いをご計画されました(エフェソ1:4-10)。
 
  ゆえに、ウ大教理はガラテヤの信徒への手紙3章16節を引用し、神はアブラハムの子孫であるキリストと恵みの契約を結ばれたと告白します。「第二のアダムとしてのキリスト」とは、「公人としてアダムと結ばれた契約」(問22の答)と表現されているように、キリストが「公人として」神と結ばれた契約です。アダムが全人類を代表し、キリストは神のすべての選民を代表者しました(イザヤ書53:10-11)。
 
  父なる神と御子キリストは、恵みの契約(すなわち、贖いの契約)を創造前に結ばれました(エフェソ1:4-10)。キリストは、キリストにあって選ばれた者のすべてのために恵みの契約を結ばれました。ゆえにすべての選民もキリストと共にこの契約を結びました。
 
  「神の恵み」とは、罪のために神の怒りと呪いに値する人々に価なしで与えられる神の愛といつくしみです。問32でウ大教理は、その「神の恵み」を「第二の契約のうちに、どのように現われているか」と問うています。宮崎訳は「表されていますか」であり、松谷訳は「明らかにされていますか」です。
 
  第一にわたしたち罪人に無償で仲保者と仲保者の救いと命を備え、提供されています。第二に神はわたしたち罪人に仲保者(キリスト)と結びつくために信仰を要求され、同時に選民のすべてに神は聖霊を約束し、与えてくださいます。
 
  仲保者(キリスト)は、わたしたち罪人が神と和解するために必要です。仲保者キリストは、信じるわたしたちに罪の赦し(神との和解)と永遠の命を与えてくださいます。「彼らを彼に関係づける条件」とは、キリストを信じる信仰です。「関係づける」とは、仲保者(キリスト)によって提供される種々の利益にあずかることです。
 
  要求される「キリストへの信仰」は、聖霊を通して与えられます。さらに神は聖霊を通してその他の救いの恵みを与えてくださいます。そしてわたしたちの内に信仰を造り出してくださいます。また、聖霊はわたしたちの神に対する信仰と感謝が真実であるという証拠を、「神が(わたしたちの)救いのために指定された道(神の律法)でもあるすべての清い従順を可能にならしめ」ます。
 
  このように恵みの契約は、わざの契約のように行いの契約ではありません。キリストに対する信仰を求められます。同時に聖霊のお働きです。すべては、聖霊を通してわたしたちに与えられ、聖霊がわたしたちを神への従順に導かれます。

 

 

 ウェストミンスター大教理問答 23   主の2015年2月25日

 聖書テキスト:コリントの信徒への手紙二第3章6-11節(新約P328)

 問33 恵みの契約は、常に同じやり方で施行されたか。
 答 恵みの契約は、常に同じやり方で施行されたのではなく、旧約の下での施行は新約の下でのそれと違っていた。
 問34 神の恵みは、旧約の下では、どのように施行されましたか。
  答 神の恵みは、旧約の下では、約束、預言、いけにえ、割礼、過越、その他の型や規定によって施行された。それはみな、やがて来たるべきキリストを予兆したものであり、選民を約束のメシアを信ずる信仰に教育するのに、その時代のために十分であった。彼らも当時、このメシアによって完全な罪のゆるしと永遠の救いをえていた。
  問35 恵みの契約は、新約の下では、どのように施行されたか。
  答 本体であるキリストが現われた新約の下では、この同じ恵みの契約は、昔も今も、み言葉の宣教と、洗礼と主の晩餐の礼典によって施行されねばならない。ここでは、恵みと救いが、一層完全・明確・効果的に万国民に提供されている。
 
  ウ大教理は、恵みの契約(神の救済の歴史)がキリスト出現以前の「旧約の下では」とキリスト出現後の「新約の下では」は、同じやり方で施行されたのはないと告白します。問33の「同じやり方」は「同一の仕方で」(宮崎・松谷訳)ということです。「施行された」は「執行された」(鈴木・松谷訳)ということです。「施行」と「執行」に意味の相違はありません。どちらも「法令を実地する、実現する」という意味です。使徒パウロは、Ⅱコリント書第3章6-9節で恵みの契約の「旧い施行(文字に仕える)」と「新しい施行(霊に仕える)」を対比し、二つが異なることを説明しています。
 
  ウ大教理は、問34と答でキリスト出現以前の旧約の下では恵みの契約がどのように施行されたかを、次のように告白します。
 
  「約束」「預言」「いけにえ」「割礼」「その他の型や規定」によって恵みの契約は施行(執行)されました。恵みの契約は、キリストの救いですから、「旧約の下では」と「新約の下では」のどちらでも恵みの契約の施行者(執行者)はキリストです。ゆえに「八.仲保者」でウ大教理は恵みの契約の仲保者がキリストであることを告白します。そのことの関連で「約束」とはキリスト(メシア)の約束であり、「預言」とは来たるべきキリスト(メシア)の預言であり、「いけにえ」とは十字架のキリストの影であり(ヘブライ10:1)、「割礼」はアブラハムが信仰により義とされた証しで、「洗礼」の予型であり(ローマ4:11)、「過越」の小羊は本体であるキリストの影であり(Ⅰコリント5:7)、その他の型とは「メルキゼデク」「モーセ」、「ヨシュア」「ダビデ」「ソロモン」がキリストの「祭司・預言者・王」の予型であること、「規定」とは、たとえばレビ記のきよめの規定等です。
 
  以上の旧約の下での恵みの契約の施行(執行)は、以下の二つの目的がありました。「やがて来たるべきキリストを予兆」と「神の選民を約束のメシアを信じる信仰に教育する」ことでした。そしてウ大教理は、旧約の下での神の選民が来たるべきメシア、贖いのキリストを信じるのにその時代、十分であったと告白しています(ヘブライ11:13)。旧約時代のアブラハム、モーセ、ダビデたち、神の選民は来たるべき贖い主キリストを信じて、神に罪を赦され、義とされ、永遠の命を得ました。
 
  ウ大教理は、問35と答で恵みの契約がどのように施行(執行)されるかを告白します。本体であるキリストが出現された後の「新約の下では」同じ恵みの契約は「み言葉の宣教」「洗礼」「主の晩餐」によって施行(執行)されます。復活の主イエスは11使徒たちに全世界への福音宣教を命じられました(マルコ16:15)。同時に三位一体の神のみ名によって洗礼を命じられました(マタイ27:19-20)。そして主イエスは12弟子たちと最後の晩餐をされ、使徒パウロはこれを主イエスが命じられたものとして守るように勧めています(Ⅰコリント11:23-25)。そしてキリストが再臨され、この世が終わるまで恵みの契約は今後も「み言葉の宣教」「洗礼」「主の晩餐」によって施行(執行)されます。
 
  「新約」とは、厳密に言えば、キリストの苦難から最後の審判までの一定の期間です。旧約の下では「約束」「預言」「いけにえ」「割礼」「過越」「その他の型や規定」と実に多くのものでキリストを表し、キリストを指し示しましたが、新約の下では本体であるキリストが出現され、「み言葉の宣教」と「洗礼」と「主の晩餐」によってキリストの救いを神の選民に実に効果的に、そして単純・簡潔に与えられています。使徒パウロは、新約の下での恵みの契約の施行(執行)の方が優れていると述べています(Ⅱコリント3:6-9)。聖霊が御言葉と礼典を通してわたしたちを確実にキリストの救いにあずかれるように導いてくださるからです。



 ウェストミンスター大教理問答 24   主の2015年3月4日

 聖書テキスト:

 問36 恵みの契約の仲保者は、だれであるか。
 答 恵みの契約の仲保者は、主イエス・キリストである。彼は神の永遠のみ子、み父と同質同等でありながら、時満ちて人となられた。それで昔も今も引き続き永遠に、二つの完全な異なった性質と、一つの人格をもつ神にして人であられる。
 問37 キリストは、どのようにして、神のみ子でありながらひととなられたか。
  答 神のみ子キリストは、聖霊の力により、処女マリヤの本質をとって彼女の胎に宿り、彼女から生まれて、真実の体と理性的霊魂を取ることによって、人となられた。しかも罪がなかった。
 
  ウ大教理は、恵みの契約(神の救い)から仲保者キリストを信仰告白しています。わたしたちの救いの仲保者はキリストです。ウ大教理は、それを「恵みの契約の仲保者キリスト」と告白しています。
 
  「恵みの契約の仲保者は、だれであるか」「恵みの契約の唯一の仲保者は、主イエス・キリストである」。これはカテキズム問答です。恵みの契約の仲保者キリストの聖書的根拠は、テモテのへの手紙一2章5節の「神は唯一であり、神と人の間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです」という御言葉です。
 
  仲保者主イエス・キリストは、「神の永遠のみ子」であり、「み父と同質同等」です。仲保者主イエス・キリストは、永遠から「言」として「神と共にある」「父の独り子としての栄光」を持ち、「わたしと父とはひとつである」と宣言されるように「神の永遠のみ子」で、父なる神と同質同等でした(ヨハネ1:1,14,10:30,)。使徒パウロも仲保者キリストを「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執せず」(フィリピ2:6)と賛美しています。
 
  同時にウ大教理問答は、恵みの契約の仲保者主イエス・キリストは、「時満ちて人となられた」と告白しています。その聖書的根拠として、使徒パウロが「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラテヤ4:4)という御言葉を挙げています。
  そこでウ大教理は、恵みの契約の仲保者主イエス・キリストが「昔も今も引き続き永遠に、二つの完全な異なった性質と、一つの人格をもつ神にしてひとであられる」と告白します。ウ大教理は、キリストが三位一体の神の第2位挌、すなわち永遠に子なる神という一つに人格に神と人という二つの完全な異なる性質をもたれていることを告白しています。
 
  キリストは処女マリアから生まれますが、「聖なる者、神の子」(ルカ1:35)、」であり、キリストはアブラハムの子孫として生まれられたが、「永遠にほめたたえられる神」です(ローマ9:5)。「キリストのうちには、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており」(コロサイ2:9)、キリストは永遠に生きて、祭司職をもち、ご自分を通して神に近づく者を完全に救うことがおできになります(ヘブライ7:24-25)。
 
  恵みの契約の仲保者主イエス・キリストは、人間性をとられても、神であり、神と人間との間の唯一の仲介者であり、わたしたちが礼拝する神であります。「一つの人格をもつ神」とは、わたしたちが教会で礼拝する神であります。その神であるキリストは、完全な神と人の性質を持たれるのです。
 
  問37は、永遠に神のみ子であるキリストが、どのようにして人性をとられたのかという問いであります。
 
  ウ大教理は、キリストの人性を「真実の体と理性的霊魂」と説明しています。人間性とは、物質的肉体のみではありません。「理性的霊魂」も含まれています。「理性的」とは「理性を備えた」霊魂ということです。人は肉体だけではなく、思考、推理の能力を持っています。人は理性的霊魂と肉体から成り立つのです。
 
  ウ大教理は、神のみ子キリストが「聖霊の力により」人となられたことを強調しています。聖霊の力が超自然的に働き、キリストは「処女マリヤの本質をとって彼女の胎に宿り、彼女から生まれて、真実の体と理性的霊魂をとることによって、人となられ」ました。ですから、アダムの原罪により自然に生まれる全人類とは異なり、罪と咎なく生まれられました。
 
  三位一体論は紀元5世紀、カルケドン信条で確立しました。キリストは神性と人性の両性をもつ唯一の人格であり、人であるが罪がなく、礼拝の対象であると。

 

 

 

 ウェストミンスター大教理問答 25   主の2015年3月11日

 聖書テキスト:ローマの信徒への手紙第4章21-26節(P277)

 問38 仲保者は、なぜ神でなくてはならなかったのか。
 答 仲保者は、人間の本性を神の無限の怒りと死の力の下に沈み切らぬように支え防ぐため、ご自身の苦難と服従と執成しを価値あり効果あるものとするため、また神の正義を満足させ、神の好意を獲得し、特選の民を買いとり、彼らにみたまを与え、彼らのすべての敵を征服し、彼らを永遠の救いに導くために、神でなくてはならなかったのである。
 
   ウ大教理の問38-40と答で恵みの契約の仲保者である主イエス・キリストがなぜ神であり人であらねばならないか、また子なる神という一つの人格において神であり人であらねばならないかを問うています。キリストの二性一人格の教理です。
 
  問38では、仲保者キリストがなぜ神でなければならないかを問うています。そして答では、キリストが神でなければならなかった理由を8つ挙げています。
 
  第1の理由は「人間の本性を神の無限の怒りと死の力の下に沈み切らぬように支え防ぐため」です。使徒言行録2章24-25節とローマの信徒への手紙1章4節と4章25節を見てください。神がキリストを死者の中から復活させられました。キリストは父なる神の御子であり、死者の中からの復活によって神であることを立証されました(ローマ1:4,4:25)。モーセは神と民との仲保者でしたが、人であり、罪と死に服しました。しかし、キリストは神であられたので、神の呪いの十字架の下で死んでも、罪と死に沈むことなく、3日目に罪と死に勝利し、死人の中から復活されました。
 
  第2の理由は、「ご自身の苦難と服従と執成しを価値あり効果あるものとするため」です。キリストの十字架の死と服従と執成しによって教会(神に召された者たち)は神ののものとされ、永遠の御国を相続しました(使徒言行録20:28,ヘブライ9:14,同7:25-28)。人間は、神に従順に従い、神の怒りと呪いに耐えることはできません。だから神であるキリストが人となり、神に従順に従い悪魔の誘惑、受難と十字架の死に耐えられたゆえに、「ご自身の苦難と服従と執成し」が価値と効果のあるものとなりました。
 
  第3と4の理由は、「神の正義を満足させ、神の好意を獲得」するためです。使徒パウロは、仲保者のキリストが御自身をいけにえとしてささげ、神の義を満たされたことを述べています(ローマ3:24-26)。またキリストが神の愛する子であることを証言しています(エフェソ1:6,マタイ3:17)。キリストは父なる神の愛子であられたので、ご自身の犠牲で神の義を満足させ、神の好意を獲得されました。
 
  第5の理由は、「特選の民を買いと」るためです。パウロはキリストの十字架の死の贖いが、「良い行いに熱心な民を御自分のものとして清める」(テトス2:13-14)ためであったと述べています。キリストの十字架の死は、神の選びの民のためでした。どうしてキリストは多くの人々の贖いが可能なのでしょうか。キリストは神であられたので、神の民の贖いとして、ご自身の命を十字架で犠牲にできたのです。
 
  第6の理由は、「彼らにみたまを与える」ためです。パウロは、わたしたちが神の子であることを次のように証しします。神がわたしたちに御子の霊である聖霊を与え、わたしたちが神を「アバ、父よ」と叫ぶことの事実にあると(ガラテヤ4:6)。聖霊はキリストの命の霊で、キリストは子なる神であるので、父なる神と共にわたしたちに命の御霊をお与えくださるのです(ヨハネ14:16-17他)。
 
  第7の理由は、「彼らのすべての敵を征服」するためです。祭司ザカリヤの讃歌の中で神がわたしたちのすべての敵を征服し、滅ぼし、わたしたちを神に仕えさせてくださることを賛美しています(ルカ1:68-69,71,74)。仲保者キリストは、神であられるので、死者の中から復活し、罪と死に勝利し、わたしたちのすべての敵を、すなわち、悪魔と罪と死と滅ぼしてくださいます。
 
  第8の理由は、「彼らを永遠の救いに導く」ためです。キリストは「多くの苦しみによって従順を学ばれ」「キリストに従順に従うすべての人々の永遠の命の源になられ」ました(ヘブライ5:8-9、9:11-15)。キリストは従順によって父なる神から義を得られ、その義をわたしたちにお与えくださり、わたしたちは神に義とされ、永遠の御国に入ることができるのです。またキリストは罪の贖いとして十字架に死なれて、わたしたちの罪を贖い、永遠の命をお与えくださいました。
 
   ウ大教理は、仲保者キリストが神であるという事実がどのようにして恵みの契約(救いの歴史)の実現を保証しているかを教えてくれています。




 ウェストミンスター大教理問答 26   主の2015年3月18日

 聖書テキスト:マタイによる福音書第1章18-25節(新約P1-2)

 問39 仲保者は、なぜ人でなくてはならなかったのか。
 答 仲保者は、わたしたちの本性を向上させ、わたしたちのために、人間性において律法への服従をなしとげ、苦しみを受け、執成しをなし、わたしたちの弱さを思いやるために、また、わたしたちが神の子たる身分を授けられ、慰められ、はばかることなく恵みのみ座に近づくために、人でなくてはならなかったのである。
 
  ウ大教理の問38と答で恵みの契約の仲保者である主イエス・キリストがなぜ神であらねばならなかったのかを学びました。今夜は、ウ大教理問答問39と答で仲保者がなぜ人であらねばならなかったのかを学びましょう。
 
  問39の答で、仲保者キリストがなぜ人でなければならなかったか、その理由を8つ挙げています。
 
  第1の理由は「わたしたちの本性を向上させ」るためです。すなわち、仲保者主イエス・キリストは、わたしたち人間を救うために、「天使を助けず、アブラハムの子孫を助ける」(ヘブライ2:16)ために天使性ではなく、人間性を取られました。「わたしたちの本性を向上させ」るとは、わたしたちの罪ある人間性を救うという意味です。
 
  第2の理由は、「わたしたちのために、人間性において律法の服従をなしとげ」るためです。仲保者主イエス・キリストは、律法の下に来て、わたしたちに代わって神の律法に完全に服従するために、人でなければなりませんでした(ガラテヤ4:4)。人類の始祖であり、代表者であるアダムが神の律法に違反し、全人類は皆、アダムにあって罪を犯し、堕落しました。ゆえに自然に生まれる人は皆、罪ゆえに神の律法に完全に服従できません。ですから、神である仲保者キリストが人間性を取り、わたしたちのために第2のアダム、すなわち、わたしたち神の選民の代表者として神の律法への完全服従を成し遂げてくださいました。アダムはわざの契約に失敗しましたが、キリストは完全に成し遂げて義と永遠の命を得られました。
 
  第3と4の理由は、わたしたちのために「苦しみを受け、執成しをし」てくださいました。仲保者キリストは、わたしたちの大祭司でした。それゆえ仲保者キリストは、わたしたち選民を父なる神に執成すために、人間性において苦しみ、執成しをしてくださいました。わたしたちが血と肉を備えるように、キリストも備えられ(ヘブライ2:14)、今も、そして永遠に大祭司としてわたしたちを父なる神に執成してくださっているので、わたしたちを完全に救うことがおできになります(ヘブライ7:24、25)。
 
  第5の理由は、「わたしたちの弱さを思いやる」ためです。大祭司キリストは、わたしたちの仲保者として「わたしたちの弱さに同情できないかたではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたち同様に試練に遭われ」(ヘブライ4:15)ました。キリストはわたしたちのために大祭司の資格ある者として人類の苦しみや悩み、弱さを共に苦しむために人間性を取られました。
 
  第6の理由は、「わたしたちが神の子たる身分を授けられる」ためです。使徒パウロは、「それは律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(ガラテヤ4:5)と証ししています。律法と罪の支配下でわたしたちは、神の怒りの子でありました。しかし、キリストが罪と律法の奴隷であったわたしたちを贖い出して、神の子の身分(神の養子)を授け、神の御国の相続人にしてくださいました(ガラテヤ4:7)。
 
  第7と8の理由は、「慰められ、はばかることなく恵みの御座に近づくため」です。仲保者キリストは、わたしたちを慰めるために人間性を取られました。主イエスは次のように言われています。「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。」キリストが人間性を取られたのは、わたしたち罪とその悲惨さに悲しむ者たちを慰めるためでした。キリストは、御言葉と癒しの御業によってわたしたちを慰めてくださいます。
 
  「はばかることなく」とは「大胆に」ということです。わたしたちは、キリストの十字架と復活の御業のゆえに、神の「憐みを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの御座に近づく」(ヘブライ4:16)ことがウ許されています。キリストがわたしたちの身代わりに十字架で肉を裂き、血を流され、そしてわたしたちの永遠の命の保証として死人の中から復活されました。だから、今、わたしたちはキリストの隣在される礼拝に大胆に出ることができます。