ウェストミンスター大教理問答 19   主の2015年1月28日

 聖書テキスト:詩篇51編3-11節(旧約P884-885),エフェソの信徒への手紙第2章2-3節(新約P353)

 問26 原罪は、どのようにしてわたしたちの始祖からその子孫に伝えられるか。
 答 原罪は、わたしたちの始祖からその子孫に、自然的出生によって伝えられる。それゆえに、この仕方で彼らから生まれ出るすべての者に、罪のうちにはらまれ、また生まれるのである。
 問27 堕落は、人類にどのような悲惨をもたらしたか。
 答 堕落は人類に、神との交わりの喪失と、神の憤りとのろいとをもたらした。それゆえに、わたしたちは生まれながらにして怒りの子、サタンの奴隷であり、この世と来世とにおけるすべての刑罰を、正当に受けるのである。

  ウ大教理は、問26と答で「アダムの罪(原罪)の子孫への転嫁」について、聖書から信仰告白しています。「原罪」とは、「万人が生まれながらに持つ悪しき傾向性(堕落している人間の本性)」であります(岡田稔『教理学教本』)。
 
  ウ大教理問答は、アダムの罪と堕落した本性がどのようにアダムからわたしたち子孫に伝えられたかを問うています。ダビデが詩篇51編7節で「わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです」と告白しています。ですから、教会は、ラテン教父アウグスティヌスから「母の胎から生まれながらに腐敗性(原罪)を持って生まれてきた」と主張してきました。カルヴァンもアウグスティヌスを支持しています。遺伝説と言われています。ウ大教理もその伝統に従い、アダムの原罪は、自然出生によって彼の子孫に伝えられると告白しています。
 
  ウ大教理問答が作成された17世紀前半にソムール学派が間接転嫁説を次のように主張しました。「アダムの第一の罪の罪責は子孫に転嫁されない。原罪はアダムから遺伝する腐敗性だけである。」この主張は、フランス改革派教会のカレントン会議(1644年)で否決されました。セミ・ペラギウス主義とみられたからです。
 
  ウ大教理は、上記の会議の後に作成されましたが、この神学論争に触れていません。今日では、ジョン・マレーが「アダムの罪の子孫への転嫁」について論じています。アダムは全人類の根元であり、アダムの最初の罪を彼の子孫たちも連帯しているのです。
 
  ウ大教理は、問27と答で堕落(原罪)が人類にどのような悲惨をもたらしたかを問うています。
 
  ウ大教理は、アダムが原罪で堕落し、人類に二つの悲惨をもたらしたと、聖書に従って次のように告白しています。第1は、堕落によって神との交わりを喪失しました(創世記3章8節、10節、24節)。第2は、生まれながらに神の憤りとのろいの子となりました。使徒パウロがエフェソの信徒への手紙2章3節で「生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」と告白しているとおりです。
 
  ウ大教理は、「わたしたちは生まれながらにして怒りの子」ですから、実際に使徒パウロが言うように「サタンの奴隷であり」(Ⅱテモテ2:26)、堕落によって「この世と来世とにおけるすべての刑罰」を神から受けるべき者となりました(創世記3:17)。「この世」、すな わち、地上における生涯、神の呪いの中に置かれますし、「必ず死ぬ」と宣告されたように、来世における永遠の滅びが定められました(創世記2:17)。使徒パウロがローマの信徒への手紙6章23節で「罪が支払う報酬は死である」と証ししますように、堕落によって全人類は永遠の滅びという神の刑罰の中に置かれています。
 
  ウ大教理は、堕落は人類にどのような悲惨をもたらすかと問うていますが、「第一の罪を犯したアダムは救われたのであろうか」(岡田稔)ということについては全く言及していません。ヴォルレビスは「わたしたちはアダムたちが神の恩恵によって受け入れられていると信じる」と書いています(『改革派教義学』)。しかし、聖書に明白な証言はありません。ウ大教理は、聖書に明言を見出せぬ問題を、賢く避けています。アダムが罪を悔い改めたか、来たるべきキリストを信じる信仰を持っていたかについて、聖書は沈黙しています。
 
  わたしたちも、徹底して聖書の御言葉に従うというウ大教理に従いたいと思います。同時にウ大教理が時代の制約を受けていることを認めるべきです。遺伝説では、アダムの罪責を、わたしたち子孫も共に担っていることを明らかにできないという短所があります。



 ウェストミンスター大教理問答 20   主の2015年2月4日

 聖書テキスト:エフェソの信徒への手紙第4章17-19節(新約P356)、マルコによる福音書第9章43-48節(新約P80)

 問28 この世における罪の刑罰とは何であるか。
 答 この世における罪の刑罰とは、内的には、心の硬化、正しからぬ思い、迷わす力、心情のかたくな、良心の恐怖、恥ずべき情欲であり、外的には、わたしたちのために被造物に下された神ののろい、また、わたしたちの体、名声、身分、関係、職業においてわたしたちに降りかかる他のすべての害悪、また死そのものである。
 問29 来世における罪の刑罰とは何であるか。
 答 来世における罪の刑罰とは、楽しい神のご臨在からの永久的隔離と、永遠に地獄の火の中で間断なく受ける魂と体との最も悲痛な苦悶である。

  ウ大教理は、問28と29と答でこの世と来世における罪の刑罰について、聖書の御言葉に従い下記のように信仰告白しています。
 
  ウ大教理問答の問28と答は、「この世における罪の刑罰」です。「この世における罪の刑罰」を、「内的」と「外的」に分けて、説明しています。「内的」とは、人間の霊的状態のことです。「外的」とは、自然界が神に呪われたことであります。
 
  罪の刑罰によりこの世における人間は霊的に死んだ状態にあります。それは、以下の6つの状態です。(1)「心の硬化」とは、「無知とその心のかたくなさ」(エフェソ4:18)です。罪の刑罰としての「心の盲目」です。「心の硬化」を「盲目な思想」(鈴木英昭)、「知性の無分別」(宮崎彌男)、「知性の闇」(松谷好明)。(2)「正しからぬ思い」とは、「無価値な思い」(ローマ1:28)です。抑制力がなく、自らを罪に委ねることです。「正しからぬ思い」を「邪悪な意識」(鈴木英昭)、「無価値な思い」(宮崎彌男)、「邪悪な思い」(松谷好明)。(3)「惑わす力」とは、神が人に送られるもの(Ⅱテサロニケ2:11)です。偽りを信じるようにされます。「迷わす力」を「全くの思い違い」(宮崎彌男)、「完全な思い違い」(松谷好明)。(4)「心情のかたくな」とは、悔い改めようとしない「かたくなな心」(ローマ2:5)です。「心情のかたくなさ」を「心の硬化」(鈴木英昭、松谷好明)、「心のかたくなさ」(宮崎彌男)。(5)「良心の恐怖」とは、「神を無視する者はおののきに捕えられた」(イザヤ33:14、創世記4:14)ことと良心の呵責(マタイ27:4)です。「良心の恐怖」を「良心の恐れおののき」(宮崎彌男)、「良心のおびえ」(松谷好明)。(6)「恥ずべき情欲」とは「神が彼らを恥ずべき情欲にまかせられる」(ローマ1:26)ことです。倒錯した性行為は神の刑罰です。神は、罪の刑罰として、以上のように人間を人間の罪の性質と性向に委ねられました。
 
   ウ大教理は、「外的」な罪の刑罰について、聖書の御言葉に従って次の3つを上
  げています。(1)「わたしたちのために被造物に下された神ののろい」とは、神が
  罪を犯したアダムの宣言されたことです。「お前は女の声に従い 取って食べるな
  と命じた木から食べた。お前のゆえに土は呪われるものとなった」(創世記3:17)。
  自然災害等は神の呪われた自然界に生じたものです。(2)「わたしたちの体、名声、
  身分、関係、職業においてわたしたちに降りかかる他のすべての害悪」とは、病
  気、すべての災い(申命記28:15-19)です。病気、悪い噂、貧しさ、人間関係のゆ
  がみ(家族の愛憎、友の裏切り、学校と職場のいじめ等)です。(3)自然界の死です。
  「死そのもの」は、「罪が支払う報酬」(ローマ6:23)です。死は、自然の法則では
  なく、法廷的な刑罰です。わたしたちが行いの報酬として手にするのはすべて恥
  ずべきものであり、その究極のものが死です(ローマ6:21)。
 
   ウ大教理の問29と答は、「来世における刑罰」です。ウ大教理は聖書の御言葉
  に従い次の2つを挙げています。(1)「楽しい神のご臨在からの永久的隔離」とは、
  「彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の
  破滅という刑罰を受けるでしょう。」(Ⅱテサロニケ1:9)ということです。喜ばし
  い神の臨在から永久に隔離されることが、来世における神の刑罰です。「楽しい神」
  を「喜ばしい神」(宮崎彌男)、「神の慰めに満ちた御前からの永久の分離」(松谷好
  明)。「神の臨在とは、天を祝福の場所とするものであり、神よりの隔離とは、地
  獄を悲しみと嘆きの場所とするものである」(ヨハネス・ヴォス)。
 
   (2)「永遠に地獄の火の中で間断なく受ける魂と体との最も悲痛な苦悶である」
  とは、主イエスが「地獄の消えない火の中に落ちる」(マルコ9:43)、「地獄に投げ
  込まれる」(同:46)、「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」(同:48)
  と言われているものです。主イエスは、「体を殺しても、魂を殺すことのできない
  者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」
  (マタイ10:28)と言われています。永遠に霊と肉の全体にわたって神の刑罰の苦悩
  を経験するのです。