ウェストミンスター信仰告白65    主の20181226

 

 

 

聖書箇所:ヨハネによる福音書第51930(新約聖書P172173)

 

 

 

 「八.仲保者キリストについて」の「三」

 

 

 

 主イエスは、このように神性に結合された彼の人性において、限りなく聖霊をもってきよめられまた油そそがれ、ご自身のうちにすべての知恵と知識の宝があった。み父すべての満ち足れる徳が彼のうちに宿るのをよしとされた。それは、きよく傷なく汚れなく恵みとまことに満ちて、仲保者と保証人の職務を遂行するために完全に備えられるためであった。この職務は、彼が自らとられたのではなくて、み父の召命によるのであり、み父が彼の手に一切の権能とさばきを委ねて、彼にそれを遂行するように命じられたのである。

 

 

 

今夜は、ウ告白の第八章の「三」節を学ぼう。

 

 

 

前回と前々回は、第82節を二回に分けて学んだ。恵みの契約の唯一の仲保者であり、保証人である主イエス・キリストの二性一人格の教理と受肉について学び、ウ告白が古代信条のカルケドン信条を踏襲し、キリストは一人格の中にまことの神であり、まことの人であり、神性と人性の入れ替わり、変化、混合、分離はないと告白するのを学んだのである。

 

 

 

ウ告白は、3節で仲保者キリストの二性一人格をキリストの御業から、すなわち、キリストの仲保者と保証人としての職務から考察する。

 

 

 

 第8章三節を他の訳と比較しよう。

 

(1)  村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 主イエスは、このように神性と結合されたかれの人性において、限りなく聖とされ、限りなく聖霊で油注がれて、自らの内に知恵と知識のすべての宝を持っておられた。そして御父は満ち溢れるものが主イエスの内に宿ることをよしとされた。それはかれが、聖く、傷なく、汚れなく、恵みと真理に満ちて、仲介者と保証人の職務を遂行するのに完全に備えるためであった。その職務は主イエスが自分で取られたものではなく、御父によってそれに召されたのであって、御父はすべての権能と裁きをかれの手に委ねて、その職務を遂行する命令をかれに与えられたのである。

 

(2)松谷好明訳(一麦出版社)

 

主イエスは、このようにして神性に結ばれた彼の人性において、聖霊でもって限りなく、聖とされ、油注がれ、その結果、御自身の内に、知恵と知識のすべての宝を持っておられ、御父は、すべて満ちあふれるものが主イエスの内に宿るのをよしとされた。それは、主イエスが、清く、傷なく、汚れなく、恵みと真理に満ちて、仲介者と保証人の職務を遂行するのに、完全に備えられるためであった。この職務を、主イエスは、自らに引き受けたのではなく、彼の御父によってそれに召されたのであり、御父は、主イエスの手に一切の権能と裁きをゆだねて、彼にその職務を遂行するようにとの戒めをお与えになられた。

 

 (3)鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

主イエスは、このように神性に結合された人性において、限りなく清められ、聖霊をもって油注がれ、御自身のうちにすべての知恵と知識との宝をもっておられた。御父は、彼のうちに満ちあふれるものをすべて宿るのをよしとされた。それは、清く傷なく汚れなく、恵みと真理とに満ちて、仲保者と保証人としての職務を遂行するために完全に備えられるためであった。

 

彼は、この職務を自らとられたのではなく、御父によってそれに召されたのである。御父は彼の手にいっさいの権能と裁きとを委ね、それを遂行するように命じられたのである。

 

 

 

このように神性に結合された彼の人性において」とは、受肉しこの世に来られたキリストにおいてという意味である。

 

 

 

ウ告白は、次のように教えている。永遠の神、父なる神の独り子なる神が処女マリアから生まれ、人間性を取られることで、恵みの契約の仲保者と保証人の職務を完全に遂行することに備えられたのである。すなわち、彼の人性は聖霊によって油注がれ、彼の内にすべての知恵と知識の宝が宿り、それを父なる神は見て満足されたのである。だから、キリストの人性は聖霊によって清く傷なく汚れなく、恵みと真理に満たされている。だから、主イエス・キリストは、受肉の時に完全に十分に恵みの契約の仲保者・保証人としての資格を与えられ、その職務を遂行する準備を完全に整えられていたと。

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白66    主の201919

 

 

 

聖書箇所:マタイによる福音書第281620(新約聖書P60)

 

 

 

 「八.仲保者キリストについて」の「三」(続き)

 

 

 

 この職務は、彼が自らとられたのではなくて、み父の召命によるのであり、み父が彼の手に一切の権能とさばきを委ねて、彼にそれを遂行するように命じられたのである。

 

 

 

今夜は、ウ告白の第八章の「三」節(続き)を学ぼう。

 

 

 

前回は、仲保者キリストの二性一人格を真の人の子キリストの御業から学んだのである。すなわち、キリストは人性を取られることで、恵みの契約の仲保者と保証人の職務を完全に遂行することに備えられたことを学んだのである。

 

 

 

今夜は、ウ告白がこの職務が父なる神の召しであること、真の人の子キリストが父なる神に一切の権能と裁きを委ねられ、恵みの契約を完全に遂行されることを学ぼう。

 

 

 

 第8章三節のその部分だけを他の訳と比較しよう。

 

(1)  村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 その職務は主イエスが自分で取られたものではなく、御父によってそれに召されたのであって、御父はすべての権能と裁きをかれの手に委ねて、その職務を遂行する命令をかれに与えられたのである。

 

(2)松谷好明訳(一麦出版社)

 

この職務を、主イエスは、自らに引き受けたのではなく、彼の御父によってそれに召されたのであり、御父は、主イエスの手に一切の権能と裁きをゆだねて、彼にその職務を遂行するようにとの戒めをお与えになられた。

 

 (3)鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

彼は、この職務を自らとられたのではなく、御父によってそれに召されたのである。御父は彼の手にいっさいの権能と裁きとを委ね、それを遂行するように命じられたのである。

 

 

 

ウ告白は、キリストが恵みの契約の仲保者と保証人の職務を自ら進んで取られたのではないと告白する。「み父の召命によるのであり」と、父なる神の召しであったことを明らかにする。真の人であるキリストは、父なる神のお意志に完全に服従し、恵みの契約の仲保者と保証人の職務を完全に遂行されるのである。それが、キリストの十字架への道である。

 

 

 

ウ告白は、次に「み父が彼の手に一切の権能とさばきを委ねて」と教えている。真の人の子であるキリストが恵みの契約の仲保者と保証人の職務を完全に遂行するために、父なる神はキリストに一切の権能と裁きを委ねられたのである。だから、復活された主イエスは、11弟子たちに「わたしは天と地の一切の権能を授かっている(マタイ28:18)と宣言されたのである。主イエスは、弟子たちに「父なる神がもたれている天と地との一切の権能を、わたしに委ねられた」と宣言されたのである。だから、復活の主イエスは11弟子たちに父なる神の権威を持って伝道命令を下されたのである。全世界の民を弟子にせよと。これは恵みの契約の遂行である。神がアブラハムと恵みの契約を結ばれて、彼を全世界の国民の祝福の基とされたのである。それを復活の主イエスが11弟子たちの福音宣教と教会形成を通して、すなわち、御言葉を語り、洗礼を授け、教会員を訓練することで、恵みの契約を全世界へと推進されているのである。

 

 

 

福音宣教は御国建設である。すべてをキリストの支配下に置くことである。恵みの契約が完全に遂行され、御国が実現するとき、キリストは再臨し、すべての者に審判を下されるのである。父なる神は、真の人の子であるキリストに、このすべてのことを命じられ、そのために一切の権能を授けられ、裁きを委ねられたのである。

 

 

 

復活の主イエスは、11弟子たちに伝道命令を下し、彼らに恵みの契約の遂行を促すと共に、ご自身が恵みの契約の仲保者と保証人として、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(マタイ28:20)と約束されている。復活の主イエスは、わたしたちが礼拝し、伝道し、教会形成し、恵みの契約を遂行するとき、いつも共にいて下さり、共に働いてくださっている。

 

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白67    主の2019116

 

 

 

聖書箇所:マタイによる福音書第281620(新約聖書P60)

 

 

 

 「八.仲保者キリストについて」の「四」

 

 

 

 主イエスは、最も快くこの職務を請け負われ、それを果たすために律法のもとにおかれ、律法を完全に成就された。その霊魂において、最もひどい苦しみを直接的に忍び、その肉体において、最も苦しい痛みを耐え、十字架にかけられて死に、葬られて死の力のもとに留まられたが、朽ち果てなかった。受難されたのと同一のからだで、三日目に死人の中からよみがえり、そのからだをもって天に昇られ、み父の右に座して、執り成しておられる。そして世の終わりに、人間とみ使いをさばくために再来される。

 

 

 

今夜は、ウ告白の第八章の「四」節を学ぼう。

 

 

 

前回と前々回で、恵みの契約の唯一の仲保者で、保証人であるキリストの二性一人格を学んだ。特に神の独り子であるキリストが受肉し、まことの人性を取られることで、キリストは恵みの契約の仲保者と保証人の職務を完全に遂行することに備えられたことを学び、キリストのその職務は父なる神の召しであり、父なる神は、キリストがその職務を遂行するために一切の権能を委ねられたことも学んだのである。

 

 

 

今夜は、ウ告白が3つの点を指摘していることを学ぼう。第一にキリストはこの職務を快く請け負われたという点、第二にそのために御自身を律法の下に置かれ、積極的服従と消極的服従をなさったという点、第三にキリストの低き状態と高き状態である。

 

 

 

 第8章四節を他の訳と比較しよう。

 

(1)  村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

 この職務を、主イエスはじっさい心から喜んで引き受けられた。そしてそれを遂行するために律法の下に置かれ、じっさい律法を完全に履行された。最も過酷な責め苦を直接霊において、そして最もひどい苦痛を肉体において耐え忍ばれた。十字架につけられて、死に、葬られて、死の力の下にとどまられたが、それでも朽ち果てることはなかった。三日目に、苦難を受けたその同じ体をもって死人の中からよみがえり、またその体をもって天に昇り、そこで御父の右に座して執り成しておられるが、世の終わりに、人間と天使たちを裁くために、戻って来られるのである。

 

(2)松谷好明訳(一麦出版社)

 

この職務を、主イエスは、心から喜んでお引き受けになられた。その職務を果たすために彼は、律法の下に置かれて、律法を完全に成就し、その魂においては最もひどい苦しみを、その肉体においては最も激しい痛みを直接耐え忍び、十字架につけられて死に、葬られて、死の力の下にとどまられたが、しかし、朽ち果てることはなかった。三日目に彼は、苦しみを受けたのと同じ肉体をもって、死者の中からよみがえり。またその同じ肉体をもって天に昇り、そこで彼の御父の右に座って、執り成しておられ、世の終わりのとき、人間と天使を裁くために再び来られる。

 

 (3)鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

主イエスは、この職務を全く快く引き受けられた。そして、それを果たすために律法のもとにおかれ、律法を完全に成就された。

 

彼はその魂において最も悲痛な苦しみを直接に忍び、その肉体において最も痛々しい苦痛に耐え、十字架にかけられて死に、葬られて死の力のもとにとどまられたが、朽ち果てなかった。

 

彼は、三日目に死人のなかから、苦しみにあわれた時と同じ体をもってよみがえり、その体をもって天に昇られ、御父の右に座して、執り成しておられる。そして世の終わりに、人間と天を裁くために再び来られる。

 

 

 

鈴木訳は、ウ告白の意図を信徒に理解しやすいように、行を分けている。主イエスは、恵みの契約の仲保者と保証人の職務を心から喜び請け負われたのである。ヘブライ人の手紙の記者は、詩編4089節の御言葉を、受肉しこの世に来られたキリストの御言葉として記している。キリストが受肉し、この世に来られ、自らを人として、律法の下に置かれたのは、自ら進んで恵みの契約の仲保者と保証人の職務を果たすためである。

 

 

 

そして、主イエスは、神の律法を完全に成就されたのである。自分から命を捨てることで、そして、再び命を得ることで(ヨハネ10:18)、恵みの契約を遂行し、保証人となられたのである。それが主イエスの十字架への道であった。

 

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白68    主の2019113

 

 

 

聖書箇所:マタイによる福音書第281620(新約聖書P60)

 

 

 

 「八.仲保者キリストについて」の「四」

 

 

 

 主イエスは、最も快くこの職務を請け負われ、それを果たすために律法のもとにおかれ、律法を完全に成就された。その霊魂において、最もひどい苦しみを直接的に忍び、その肉体において、最も苦しい痛みを耐え、十字架にかけられて死に、葬られて死の力のもとに留まられたが、朽ち果てなかった。受難されたのと同一のからだで、三日目に死人の中からよみがえり、そのからだをもって天に昇られ、み父の右に座して、執り成しておられる。そして世の終わりに、人間とみ使いをさばくために再来される。

 

 

 

今夜は、ウ告白の第八章の「四」節を続けて学ぼう。

 

 

 

前回ウ告白がこの4節で次の3つの点を指摘していることを学んだ。第一にキリストはこの職務を快く請け負われた。第二にそのために御自身を律法の下に置き、積極的服従と消極的服従をなさった。第三にキリストは低き状態と高き状態を通して恵みの契約(救いの御業)を遂行された。

 

 

 

第一にキリストは快く恵みの契約の仲保者と保証人の職務を請け負われた。ヘブライ人への手紙の記者は詩編40編7-8節をキリストの御言葉として聞いた(ヘブライ10:510)。父なる神は、御自身の独り子キリストを、罪の贖いの犠牲とするために、キリストに肉体(人性)を備えられた。そして、キリストはまことの人としてこの世に来られ、「巻物の書」、旧約聖書に預言されている通りに、父なる神の御心を行われ、恵みの契約を遂行されたのである。そのためにキリストは、自ら進んで御自身の命を捨てられた。

 

 

 

第二に父なる神は、御自身の独り子キリストを、御自身が定められた時が来た時、処女マリアの胎を通してこの世に遣わされた。律法を定めた方がまことの人として、律法に服従する者としてこの世に遣わされた(ガラテヤ4:4)

 

 

 

 その目的は、まことの人であるキリストが、神の律法の下で積極的服従と消極的服従を通して恵みの契約を遂行するためである。

 

 

 

ウ告白が「それを果たすために律法のもとにおかれ、律法を完全に成就された。」と告白している。キリストは洗礼者ヨハネから洗礼を授けられ(マタイ3:15)、十字架の死に至るまで父なる神に服従し、律法を完全に成就された(マタイ5:17,フィリピ2:68)。これを、キリストの積極的服従というのである。これによってまことの人であるキリストは義を得られた。

 

 

 

ウ告白は続いて「その霊魂において、最もひどい苦しみを直接的に忍び、その肉体において、最も苦しい痛みを耐え、十字架にかけられて死に、葬られて死の力のもとに留まられた」と告白する。キリストがまことの人となられたのは、神の選民の罪を贖うためである。「罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命なのです。(ローマ6:23)。キリストは、わたしたちの罪の身代わりとなり、霊と肉体において直接にあのゴルゴタの丘の十字架において耐え難い痛みと苦しみを身に受けられて、死なれたのである。これをキリストの消極的服従というのである。ウ告白は、キリストが受肉から十字架の死に至る生涯を、業の契約との関係から見ている。

 

 

 

最後にウ告白は、「朽ち果てなかった。受難されたのと同一のからだで、三日目に死人の中からよみがえり、そのからだをもって天に昇られ、み父の右に座して、執り成しておられる。そして世の終わりに、人間とみ使いをさばくために再来される。」と告白する。死んで葬られたキリストは、受難の体のまま復活された(ヨハネ20:27)。そして、その体のまま昇天し(ルカ24:51,使徒1:9)、今も父なる神の右に座し(使徒7:5556)、恵みの契約を遂行し、神の選民の救いを執り成しておられ(ヘブライ7:25)、再臨され、すべての人間と天使を裁かれる。

 

 

 

キリストの低き状態は、受肉、受難、十字架の死、墓に葬られた状態である。キリストのへりくだりをいうのである。高き状態は先在のキリストと昇天し、神の右に座れ、そして再臨し、人と天使を裁かれるキリストの状態である。フィリピの信徒への手紙2611節は、簡潔にキリストの低き状態(へりくだり)と高い状態(高挙)を告白している。

 

 

 

 

ウェストミンスター信仰告白69    主の2019123

 

 

 

聖書箇所:ローマの信徒への手紙第51521(新約聖書P280)

 

 

 

 「八.仲保者キリストについて」の「五」

 

 

 

 主イエスは永遠のみたまによって、ひとたび神にささげられたその完全な服従と自己犠牲により、み父の義を全く満たされた。そして和解のみならず、天国の永遠の嗣業を、み父が彼に与えられたすべての者のために買いとられた。

 

 

 

今夜は、ウ告白の第八章の「五」節を学ぼう。

 

 

 

前回と前々回でウ告白の4節を学んだ。恵みの契約の仲保者であり、保証人であるキリストが、恵みの契約を遂行するために、受肉し、御自身を律法の下に置かれ、キリストは低き状態(へりくだり)で積極的服従(父なる神に完全な服従)と消極的服従(自己犠牲)で父なる神の義を満たされ、高き状態(高挙)で今恵みの契約の仲保者として、わたしたちを父なる神に執り成してくださっていることを学んだ。

 

 

 

今夜は、キリストが神の選民のために和解と永遠の嗣業を買いとられた救いの御業を学ぼう。

 

 

 

8章五節を他の訳と比較しよう。

 

(1)  村川満+袴田康裕訳(一麦出版社)

 

主イエスは、その完全な従順と、永遠の御霊によってただ一度御自身を神に献げられたそのいけにえにより、御父の義を完全に満足させられた。そして御父がかれに与えられたすべての者たちのために、和解だけでなく、天の御国の永遠の相続財産をも獲得されたのである。

 

(2)  松谷好明訳(一麦出版社)

 

 主イエスは、永遠の御霊によってひとたび神に献げた、彼の完全な従順と自己犠牲により、彼の御父の義を十分に満足させ、御父が彼に与えておられる者たちすべてのために、和解ばかりでなく、天国における永遠の嗣業も、買い取っておられる。

 

(3)鈴木英昭訳(つのぶえ社)

 

 主イエスは、彼が永遠の御霊をとおして神にささげられた、完全な服従と自己犠牲とにより、御父の正義を完全に満たされた。そして、彼は、御父が彼に与えられたすべての者のために、神との和解だけでなく、天の御国の永遠の嗣業をも、買い取られた。

 

 

 

恵みの契約の仲保者であり、保証人であるキリストは、だれのために積極的服従(完全な従順)と消極的服従(十字架の贖い)をなさったのか、とウ告白は問うているのである。

 

 

 

ウ告白は、キリストの十字架に目を向ける。十字架のキリストは、真のひとであり、「永遠の御霊」を持つ真の神であられる。神人キリストが恵みの契約を遂行するために、「完全な服従」と「自己犠牲」により、父なる神の義を完全に満たされたのである。

 

 

 

ローマ書5章で使徒パウロは、「アダムとキリスト」を対比している。ウ告白はそれを前提にキリストの御救いを述べている。ウ告白にとって「アダム―キリスト」の対比は、業の契約と恵みの契約の対比である。一人の人アダムの不従順()によって多くの人が死ぬことになりました。しかし、一人のキリストの死によって、キリストが恵みの契約の仲保者、保証人として恵みの契約を遂行し、完全に父なる神に服従され、御自身を罪の贖いの犠牲としてささげ、父なる神の義の要求を完全に満足させられました。

 

 

 

だから、キリストが父なる神の義を満足させることで、罪人である神の選民たちは二つの喜びに満たされたのである。第一に「和解」である。アダムの不従順()以来、神と人は敵対関係にあった。第二に業の契約においてアダムの不従順ゆえに得られなかった約束の永遠の命を、キリストが完全な服従と自己犠牲によって神の選民全てのために「天国の嗣業」、すなわち、永遠の命を獲得してくださったのである。

 

 

 

わたしたちは、毎週の主の日の礼拝のたびに、この二つの神の恵みを喜ぼう。和解と永遠の命を、心から喜ぼう。