マタイによる福音書説教117 主の2013年12月8日
婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちはお金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
マタイによる福音書第28章11-15節
説教題「真実を隠す」
今日からアドベント(待降節)の第2週に入ります。本日より教会の近隣に教会案内とクリスマスの集いの案内チラシを配布し始めます。クリスマスの準備を進めつつ、今ひと時神の御言葉に静まる時を持ち、再臨のキリストに心を留めましょう。
2010年4月11日よりマタイによる福音書より説教をはじめまして、いよいよ来週で終わります。今朝は、マタイによる福音書の28章11-15節の御言葉を学びましょう。
祭司長たちたち、ファリサイ派の人々、民の長老たち、すなわち、ユダヤの民の指導者たちは、主イエスを葬った墓の入り口を塞ぐ大きな石に封印をし、ピラトに願って番兵たちを置いて主イエスの葬られた墓を守らせました。
指導者たちが心配したことは、主イエス御自身が死人の中から復活することを預言されていたからです。もし弟子たちが墓から主イエスの遺体を盗み出し、主イエスは復活したと民衆に広めることを恐れていました。
ユダヤの指導者たちは、墓の入り口を塞ぐ大きな石に封印し、番兵たちに墓を守らせることにより、彼らの心配を取り除こうとしました。しかし、彼らの妨害は、神の御業と天使の出現で、無力にされました。
マタイによる福音書は、わたしたちに番兵たちが天使を見て、死人同然になったことは、神が現れ、御業をなさる前では、たとえ権力ある人間たちと言えでも全く無力であることを伝えようとしています。そして、ユダヤの指導者たちは、民衆から真実を隠すことにしたのです。
二人のマリアは、復活の主イエスに出会い、その後エルサレムの町に戻りました。彼女たちがエルサレムの都に着かないうちに、墓の番兵たちの中の数人の者たちがエルサレムの都に帰り、祭司長たちに主イエスを葬った墓で起こった出来事を報告しました。彼らは、エルサレム神殿の指導者である祭司長たちに大きな地震が起こり、天使が現れて、墓を塞いでいた石をわきに転がし、その大きな石の上に座ったこと、そして天使が二人の女たちにキリストが復活したと伝えて、墓が空であることを見せたことを報告したでしょう。
その報告を聞きました祭司長たちは、民の長老たちと集まって相談しました。「集まって相談した」とは、ユダヤの指導者たちが会議をしたという意味です。
指導者たちは、番兵たちの報告によって、彼らに守らせた墓に主イエスの遺体がないという事実を知りました。もちろん、ユダヤの指導者たちは、キリストの復活を信じてはいません。しかし、彼らは主イエスの弟子たちがユダヤの民衆にキリストが復活したと言い広めることを恐れています。
そこでユダヤの指導者たちが民の長老たちを集めて会議を行い、ユダヤの民衆たちの前から真実を隠すことを決議したのです。そのために指導者たちは、主イエスを裏切ったユダに銀貨30枚を与えたように、番兵たちにそれ以上の多額の金を与えました。そして、彼らは、番兵たちに偽りの証言をさせたのです。
その証言とは、次の証言です。「弟子たちが夜中にやって来て、我々が寝ている間に死体を盗んで行った」という偽りの証言です。
マタイによる福音書が世に現れたのは、主イエスが復活して、半世紀が経ったのちです。紀元80年代です。キリスト教とユダヤ教が対立し、キリスト教会がキリストは復活されたという福音を伝えることに対して、ユダヤ人たちが「自分たちでイエスの遺体を隠したのだろう」と反論していたのです。それをマタイによる福音書はユダヤ人たちに弁明しているのです。
ユダヤの指導者たちが番兵をお金で買収し、「イエスの弟子たちが自分たちが寝ている間に、イエスの遺体を持ち去った」と偽りを証言させ、そのデマが50年後の今もユダヤ人社会の中で広まっていると。
番兵たちは、エルサレム神殿の警護をする者たちだったでしょう。しかし、ユダヤの指導者たちがローマ総督ピラトに願って、彼らは主イエスが葬られた墓を警護しました。もし番兵たちが寝込んでいる間に、主イエスの弟子たちが主イエスの遺体を盗んだのであれば、番兵たちは総督ピラトによって職務怠慢の罪を問われることになるでしょう。それゆえにユダヤの指導者たちは、番兵たちに彼らが流すデマが総督ピラトの耳に入っても、総督を説得し、番兵たちに迷惑をかけないようにしようと約束しました。
その結果、番兵たちは、ユダヤ民衆に「イエスの弟子たちが夜、自分たちが寝込んでいる間に、イエスの遺体を盗んで行った」と言い広めました。
こうしてユダヤの指導者たちのユダヤの民衆の目から真実を隠すことは、番兵たちがユダヤの民衆に「イエスの弟子たちが夜に墓に来て、わたしたちが寝込んでいる間に遺体を盗んで行った」というデマを流すことで成功しました。
ですから、マタイによる福音書は、ユダヤ人たちに「あなたがたが今信じている『イエスの弟子たちが夜に墓に来て、イエスの遺体を盗んで行った』という噂は、もともとはユダヤの指導者たちが番兵に教えた偽りの証言である」と弁明しているのです。
このマタイによる福音書の弁明によって、わたしたちはキリスト教会の復活の福音について次のことを学ぶことができると思うのです。主イエスが復活され、聖霊が降り、ペンテコステにエルサレムにおいてキリスト教会が生まれ、その後50年間キリスト教会は、キリストの福音を否定し続けるユダヤ人たちに「キリストが死人の中から復活された」ことを語り続けたのです。また、ユダヤ人以外の異邦人たち、キリストの復活に疑いを持ち、キリスト教会の伝道を妨害する者たちにも、キリストの復活を弁明し、福音を宣べ伝えたのです。
使徒パウロが弟子のテモテに次のように命じています。「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国を思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(Ⅰテモテ4:1-3)。
ユダヤの指導者たちが隠した真実を、キリスト教会とマタイによる福音書は、どんなにユダヤの指導者たちに妨害されようと、ユダヤ人たちに疑われようと、キリストの復活の福音を語り続けることで、打ち破ろうとしました。聖霊のお働きである教会の伝道で、打ち破ろうとしました。
伝道の困難さは、今に始まったことではありません。キリストが復活なさったときから、キリストの復活の福音はユダヤの指導者たちに妨害され、信じない異邦人の王や権力者たちに妨害されました。
日本でも戦国時代にカトリック教会が伝道し、徳川政権の迫害によってキリシタンは地下に隠れました。そして、幕末にプロテスタント教会が日本に伝道しました。しかし、信じない日本の権力者によって、妨害されてきました。戦後になり、日本国憲法の信教の自由が保障され、キリスト教は自由にどこでも布教できるようになりました。それでも、徳川時代から日本人の心に植えつけられたキリスト教への偏見は消えていません。
わたしは、金曜日に国会で特定秘密法案が国会を通過したというニュースを聞いて、戦前のあるキリスト者の悲劇を思い起こしました。日本がアメリカと戦争し、宣教師たちに帰国命令が出ました。一人のクリスチャンの青年が、宣教師にお別れを言うために会いに行きました。それを見張っていました特高が、その青年を逮捕し、彼が宣教師にどんな日本の機密を漏らしたかと、拷問をし、その青年は獄中で死にました。わたしたちキリスト者にとって、特定秘密保護法案は将来キリスト教会とキリスト者の伝道に大きな障害となるかもしれません。
それでもマタイによる福音書はわたしたちに次のように告げているのです。教会とわたしたちの伝道に国家権力や不信仰者たちがどんな妨害をしても、キリストの福音は勝利し続けると。教会とわたしたちが恐れることなくキリストの復活を語り続け、伝道し続けることで、キリスト教会とわたしたちは、聖霊によって固く立てられ、その妨害を克服することができるのです。ですから、折が良くても悪くても、ここで礼拝を続け、家族に、友に、近隣の方々に復活されたキリストを伝え続けようではありませんか。お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、折が良くても悪くても、教会とわたしたちがキリストが復活されたという福音を世の人々に伝え続けることができるようにお導きください。国会で通りました特定秘密保護法案が、将来教会とわたしたちキリスト者にどんな災いとなるのか、今は予想もつきません。ただ、将来わたしたちの国において信教の自由が制限され、教会とわたしたちの福音宣教に障害となる事態が起こらないとも限りません。しかし、主イエスよ、私たちは祈ります。この教会が世の人々に、わたしたちの家族に、友人に、近隣の人々にキリストの十字架と復活の福音を語り続けることができるようにしてください。世の権力が真実を隠そうとしても、主イエスよ、福音宣教を通して真理であり命であるキリストを世の人々に伝えることができるようにお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
マタイによる福音書説教118 主の2013年12月15日
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書第28章16-20節
説教題「わたしたちと共にいてくださる主イエス」
アドベント(待降節)の第3週に入りました。クリスマスに向けて心備えをし、今朝の神の御言葉に耳を傾け、再臨のキリストを待ち望みましょう。
2010年4月11日よりマタイによる福音書の説教をはじめまして、本日で終わります。今朝は、マタイによる福音書の28章16-20節の御言葉を学びましょう。
マタイによる福音書は、わたしたちに次のことを記しています。第1に復活の主イエス・キリストが約束どおり、11弟子たちにガリラヤのある山に現れ、会ってくださったことです。第2に復活の主イエス・キリストは、11弟子たちに大伝道命令を下されました。全世界の異邦人たちをキリストの弟子とせよとお命じになりました。第3に復活の主イエス・キリストは、世の終わりまでどんな日にもキリスト教会と共におられることを約束してくださいました。
マタイによる福音書は、ルカとヨハネによる福音書とは異なり、復活の主イエス・キリストがエルサレムの都に現れ、11弟子たちにお会いになられたことを記してはいません。
天使と復活の主イエスは、主イエスを葬った墓を訪れた二人のマリアに11弟子たちに次のことを伝えるように命じられました。それは、復活の主イエスが11弟子たちよりも先にガリラヤに行かれ、ガリラヤで彼らにお会いになるということです。
二人のマリアから天使と復活の主イエスの御言葉を聞いた11弟子たちは、ガリラヤに行きました。そして復活の主イエスが「指示しておかれた山に登り」ました。
旧約聖書に主なる神がモーセとイスラエルの民にシナイ山に現れ、出会われたように、復活の主イエスは11弟子たちにガリラヤのある山に現れ、11弟子たちに出会われました。山は、主なる神が民に現れ、御自身と御自身の御意志をお伝えになる場であります。
その出会いの光景を、マタイによる福音書は、次のように記しています。「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」(17節)と。
11弟子たちは、復活の主イエスが彼らの目の前に現れられ、主イエスを主なる神として礼拝しました。「しかし、疑う者もいた」とありますね。11人の弟子たちの中に弟子のトマスのように疑う者がいたということでしょうか。
この「疑う者」とは、「迷う者」とも言える言葉です。「あっちかこっちかを迷う者」のことです。十字架刑によって殺されて、墓に葬られた主イエスが、復活して生きておられることを、11弟子たちは容易に信じられなかったでしょう。確かに11弟子たちは、自分たちの目の前に現れた復活の主イエスを見て、主イエスを礼拝したのです。しかし、信じられなかったのです。
そこで主イエスは、11弟子たちにお近づきになり、お言葉を通して御自身が復活したことを証しなさいました。
そして、復活の主イエスは、11弟子たちに「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と宣言されました。復活の主イエスは、11弟子たちに御自身の御言葉を語りかけることで、彼らの心に主イエスが復活されたことを確かにされました。11弟子たちにとって復活の主イエスが彼らに語られる御言葉とその御言葉に服従することが復活の主イエスを疑うことを克服する道だったのです。
復活の主イエスは11弟子たちに「わたしは天の父なる神より天と地との一切の権能を授かっている」と宣言されました。それは、第1に人の罪を赦す権能です。キリストは十字架の死を通してわたしたちの罪を償われました。そして、死人の中から復活し、わたしたちのために永遠の命を得てくださいました。それゆえに復活の主イエスは、御国においても、この地上においても「一切の」、すなわち、わたしたちの罪を赦し、わたしたちに永遠の命を与える「完全な」権能を父なる神から授けられ、今お持ちになっています。第2に神御自身の招きをする権能を、父なる神より授けられました。父なる神が永遠から選ばれた神の民を、キリストが11弟子たち、すなわち、教会を通してお招きになるのです。復活の主イエスは、すべての民を、すなわち異邦人たちを御自身の弟子とするために、11弟子たちをこの世に遣わす権能を、父なる神に授けられました。第3に天と地を支配する権威を、父なる神に授けられました。キリストは父なる神と共に審判者の権能をお持ちになりました。
復活の主イエスは、11弟子たちに御自身が父なる神に授けられた権威に基づいて、彼らに大伝道命令を下されました。それが、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という伝道命令です。
「すべての民」とは、全世界の異邦人たちのことです。マタイによる福音書は、これから11弟子たちが復活の主イエスの伝道命令によって異邦人相手の伝道に乗り出そうとしているのです。マタイによる福音書がわたしたちに伝える復活の主イエスは、11弟子たちを全世界に遣わして、すべての異邦人たちを「わたしの弟子」、すなわち、キリスト者にするように命令されるお方です。
マタイによる福音書は、復活の主イエスが11弟子たちに具体的に異邦人伝道を命令されたことを記しています。異邦人たちに父と子と聖霊の御名において洗礼を授けて、教会員とし、11弟子たちに命じておいたキリストの教えをすべて守らせることです。
要するに復活の主イエスは、11弟子たちにキリストの弟子作りを命じられました。それは、教会を造る伝道です。
そのために二つの方法を命じられました。第1は、「父と子と聖霊の御名において」洗礼を施して、教会員にすることです。異邦人たちにキリストの福音を伝え、キリストを救い主と信じるように導き、罪の悔い改めとキリストを主と告白する者に洗礼を施して教会員とし、キリスト教会を形成します。
第2は、キリストの弟子たちの訓練と成長です。「キリストの教えをすべて守らせる」ことです。「すべて守る」とは、教会における礼拝、説教、礼典、牧会、祈祷会、教会教育、奉仕等を通して教会を建て上げていくことです。わたしたちの教会のキリストの弟子作りは、主に礼拝と祈祷会、聖書の学びの集い、男子会・婦人会、有志の学び等を通してなされています。
復活の主イエスは、11弟子たちに最後に次のように祝福を約束されています。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(20節)と。
天地を支配し、わたしたちの罪を赦し、わたしたちを神御自身に招く権能をお持ちの主イエスが、「インマヌエル」の神としてわたしたちと共にいてくださると約束してくださいました。
復活の主イエスは、わたしたちと共に、教会と共にいてくださる神です。わたしたちがこの世に生きる限り、教会がこの世界の終わりまで存続し続ける限り、復活の主イエスは、共にいてくださいます。復活の主イエスは、わたしたちの内に、そしてこの教会の内に、聖霊を通して留まり、わたしたちと教会を助けるために、わたしたちと教会を教え、信仰から信仰へと成長させるために、そして永遠の神の御国へと導くために、「いつも」、すなわち、「すべての日々にわたり」、「いかなる日も」復活の主イエスはわたしたちと共に、教会と共にいてくださるのです。お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、3年と9ヵ月、マタイによる福音書を学び続ける恵みにあずかり、感謝します。マタイによる福音書を通して、わたしたちも11弟子たちと同様に今、異教の国日本においてキリストの弟子作りを、教会建設を命じられています。復活の主イエスは、わたしたちにも「この教会を出て行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」とお命じになっています。今年は、お二人の方が罪を悔い、キリストを救い主と信じて洗礼を受けて、教会員となってくださる恵みを与えられ、感謝します。また、礼拝と祈祷会と男子会・婦人会、聖書を学ぶ集い、有志の学び会を通して、キリストの弟子としての成長の道を歩む恵みが与えられ、感謝します。喜びがあれば、悲しみもあり、苦しみと苦難の日もありました。また弱さを覚えることもありました。いつも復活の主イエスは、約束通り、わたしたちと共にいてくださり、教会と共にいてくださり、わたしたちと教会をお守りくださり、心より感謝します。来年も、主よ、わたしたちと共にいてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。